鈴村ふみ『櫓太鼓がきこえる』

才能がなくても、やる

鈴村ふみ『櫓太鼓がきこえる』

 第三三回小説すばる新人賞を受賞した『櫓太鼓がきこえる』は一九九五年生まれの俊英・鈴村ふみの手による相撲小説だ。角界の「呼出」を主人公に据えた本作は、業界の裏側を楽しめるお仕事小説にして、まっすぐな青春成長小説でもある。


普段はスポットの当たらない人たち

 漫画の『ああ播磨灘』や『火ノ丸相撲』、映画の『シコふんじゃった。』など、相撲を題材にした物語は少なくない。しかし、『櫓太鼓がきこえる』の主人公・篤は力士ではなく、裏方である呼出だ。従来のエンターテインメントの文法からは出てこなかった、斬新な発想と言える。

「大相撲を好きになったのは小学生の時です。ずっと応援している相撲部屋があったんですが、その部屋には関取がいなかったために、テレビや雑誌に取り上げられることがなくて寂しかったんです。〝相撲の世界にいる、普段スポットの当たらない人たち〟を小説にすることで、彼らの存在を知ってもらうきっかけになるかもしれない。そこから相撲界を支える裏方のみなさんにも連想が進んでいって、呼出の男の子を主人公にしようと決めました」

 高校を一年もたたずに中退した篤は、熱心な相撲ファンである叔父の勧めで、一八歳になる年の春に新米の呼出として角界入りを果たす。九月の秋場所から始まり名古屋場所に至る年六場所=全六章で構成された物語は、不仲な両親と暮らす実家を出たいという一念だけで呼出になった少年の、変化と成長を追いかけていく──。

「自分としては、ジャンルで言うとお仕事小説なのかなと思って書いていました。特別な志もなく業界に入ってきた人間が、だんだんその仕事の楽しさに目覚めていくというのは、お仕事小説の王道ですよね」

 取組前に「ひがあああしいいいいーーー」「にいいいしいいいーーー」と力士の四股名を呼び上げる姿は、相撲に詳しくない人でも想像がつくかもしれない。

 だが、新米の呼出には他にも多くの仕事がある。序ノ口の取組から土俵にあがり、幕内の結びの一番では懸賞旗を掲げて土俵を回る。場所前の土俵作り(土俵築)も、呼出がその役を担う。興業のほぼ全ての過程に関わるこの仕事に就く人物を視点にしたからこそ、相撲文化を包括的に記述することが可能となった。

 何よりの驚きは、呼出は相撲部屋に所属しているという事実だろう。彼らは力士たちと共同生活し、同じ釜の飯(ちゃんこ)を食べている。

「呼出の篤が主人公ではあるんですが、朝霧部屋という相撲部屋そのもののこともちゃんと書きたい、という気持ちは強くありました。世間的には名前も知られていないような下位の力士にも、上位の力士に負けないぐらい魅力的なドラマがそれぞれにある。
 章ごとに一人か二人ずつ、スポットを当てる力士を変えていくことで、そこも表現していきたい。力士同士だけでなく、力士と呼出の間でも互いに影響し合い成長していくさまを描きたかったんです」

成果に結びつかなくとも一所懸命に打ち込む姿を

 朝霧部屋の力士たちのドラマを描くうえでは、相撲という厳然たる勝負の世界ならではの、エンターテインメントの快感原則は採用しなかった。

「私の勝手なイメージなんですが、相撲を扱ったお話は、力士が強くなることを目指すストーリーが主流なのではないでしょうか。そういう話は探せば既にあるだろうから、わざわざ自分が書く必要はないなと思ったんです。だから、朝霧部屋の力士たちは番付がちょっと上がったり下がったりするだけで、誰かが関取になったりすることはありません。目覚ましい成果にはなかなか結びつかないんだけれども、それでも相撲が好きで、上位に憧れて、一所懸命に相撲に打ち込む姿を大切に書きました」

 とはいえ描かれているのは、ストイックな姿だけでない。男だらけの共同生活ゆえのわちゃわちゃした雰囲気には、おかしみが宿る。朝霧部屋にとって一番の「若手」である篤のことを、先輩力士たちは何かと目をかけ、時にちょっかいを出す。

「近年の相撲人気のおかげで、相撲部屋の日常がテレビや雑誌でも取り上げられることが増えてきたんですよね。今は多くの部屋がSNSをやっているので、そこで得られた情報なども大きかったです。例えば、篤が呼び上げの自主練をしているところへ先輩力士がやってきて、自分の四股名に続けて、幕内力士の四股名を呼んでくれと言うシーンがあります。幕内に昇進して、強い力士と戦っている気分になって楽しんでいるんです。あのシーンは、自分が横綱になったというていで、横綱の土俵入りごっこをする力士の方もいらっしゃるという話を聞いたことから発想しました」

 美化や英雄化を、回避しようとしている筆も信頼できる。例えば、朝稽古で切磋琢磨している力士たちの描写をする際に、〈力士たちの背中には朝露に似た汗が光り始める〉という表現で止める。

 その汗を「美しい」とまで書いてしまったら、読者の価値観との離反が始まりかねないからだ。

 力士たちは誰もがみな、角界に憧れて入門してきた経歴を持つ。それに対して志もなく呼出となった篤は、どこか負い目のようなものを持ってしまっている。しかし、力士たちの姿を間近で目撃し続け、呼出の先輩たちと交流し自分の「ファン」だと言ってくれる人との出会いも経て、自分はここにいたい、この仕事が好きだ、と感じられるようになっていく。

 主人公が丸一年かけて自分の「居場所」=いるべき場所を得るプロセスには、作家自身の執筆当時の心境も重なっていた。

呼出が主人公ならばこのラストしかない

「小学校の頃からいつか小説家になりたいと思っていたものの、大学を出て就職してからは書くことさえできていませんでした。
 実は『櫓太鼓がきこえる』は大学時代に三〇ページ目ぐらいまで書いていたんですが、そこからピタッと止まってしまっていた。二五歳になった時、前の職場で働くことが辛くなって退職しました。次の職場が決まるまでの間、『今小説を書かなければ、私はきっと一生書けない。行きたい場所にはもう行けないんだ』と自分で自分を追い詰めて、火事場の馬鹿力で書き上げたんです」

 物語のクライマックスでは、篤がスポットライトの当たる場所へと躍り出る。そこで描かれる展開は、新鮮な驚きとして胸に飛び込み、熱くさせられるだろう。

「最後の展開は初めから決めていました。呼出を主人公にした場合、もっとも盛り上がれる場面はなんだろうと考えた時に、これしかないと思ったんです」

 その場面で現れる二五〇ページ七行目のセリフが、裏方の新米呼出である篤に当たった最高のスポットライトだ。

「私はこの一行のために何万字も書いてきたんだな、と自分でも感動しました。いつか必ず篤をここへ連れていきたい、という気持ちがあったからこそ、書くことを諦めずにいられたんだと思います」

 ここ最近、小説の中で書いていたことと、今の自分の心境とのシンクロに気付くことが多々あるのだと言う。

「賞をいただいてから周りの人に〝すごいね!〟とたくさん褒めていただいたんですが、受賞エッセイ一つとっても全然うまく書けないんです。自分の〝すごくなさ〟にどんどん気付いてしまい落ち込みました。そんな時に……朝霧部屋の部屋頭の武藤さんは、周りからは褒められたり評価されたりするんだけれども、自分には才能がないと悩んでいるキャラクターです。彼の〝たとえ才能がなくても、自分にできることをやるしかない〟という姿勢に、ものすごく励まされたんですよ。私も、才能があるかどうかではなくて、とにかく書くことが好きだから、これからも書き続けていくぞと思えるようになったんです」

 相撲については近い将来また書きたいと言う。いわゆる「外国人力士」をテーマの一つにし、メディアではなかなか取り上げられない、彼らが抱える葛藤に光を当てる構想を練っているそうだ。

「相撲のことだけしか書けないと思われるのはイヤなので、どんどん作風は広げていきたいです。その時もきっと、普段の生活をしている中では見過ごされてしまいがちな、もしくは外からレッテルを貼られてしまって繊細な心情が切り捨てられてしまうような、光の当たらない場所にいる人たちのお話を書くことになるのかなと思っています」

 その小説もきっと、誰かの背中を押すことになるはずだ。


櫓太鼓がきこえる

集英社

角界の裏方「呼出」に光をあてるお仕事小説。主人公は高校入学後一年もたたずに中退して、なりゆきで相撲部屋に弟子入りする。志は高くなかったが、力士たちと共同生活をしながら、角界の一員として働くことに喜びを見出していく。頁をめくるたびに温かな気持ちになれる。


鈴村ふみ(すずむら・ふみ)
1995年、鳥取県米子市生まれ。境港市在住。立命館大学文学部卒業。本作品で小説すばる新人賞を受賞。北方謙三氏ら選考委員をうならせた。

(文・取材/吉田大助 撮影/織田佳子)
〈「STORY BOX」2021年6月号掲載〉

パク・ソルメ 著、斎藤真理子 訳『もう死んでいる十二人の女たちと』/日常のなかに「社会」を描く新進気鋭の韓国人作家
【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第32話 首を斬られた女神像の事件――どえむ探偵秋月涼子のおねだり