本と私 瀬川晶司さん
苦境を救ったドラえもん
瀬川晶司さんは自ら嘆願書を出し、 61年ぶりに実施されることになった日本将棋連盟の 編入試験でプロの棋士となり、話題をさらった。
2005年のことだった。
内気で目立たない少年は小学校5年生で将棋に魅了され、 中学生選抜選手権で優勝。
奨励会に入り、青春のすべてを賭けてプロを目指したが、 年齢制限の壁に阻まれて、26歳にして夢を断たれた。
一度は将棋と縁を切るが、その絶望から這い上がり、 35歳でサラリーマンから将棋のプロへと転身。
棋界の制度をも変えたその行動は「将棋維新」とも譬えられた。
その人物像を、愛読書とともに追う。
「君は今のままでだいじょうぶよ」
──一般に、将棋のプロになるには日本将棋連盟の養成機関「奨励会」に入り、26歳までに四段に昇段しなければならない。しかし瀬川さんは奨励会退会後に各種アマチュア棋戦で結果を残した後に嘆願書を提出。特例として35歳でプロ編入試験への挑戦を許されることになった。マスコミがその経緯を報じ、世間の注視も集まるなか、その決して落とせない第一局に敗れた時のことだった。
将棋は非常に激しいゲームで、負けた者は人格まで否定されるほどのショックを受けます。だから棋士は、敗戦を忘れる術を自然と身に付ける。でも、あの時は数日経っても心の痛みが消えない、異常な心理状態でした。僕に期待してくれる周囲の重圧が理由だというのは自分でも気づいていた。とはいえ、どうすればいいかわからずに焦燥するばかりでした。
──そんな中、ドラえもんの絵が描かれた1枚のハガキを受け取る。
そのハガキは小学校5年時の担任だった苅間澤大子先生からでした。そこには「だいじょうぶ。きっとよい道が拓かれます」と書いてあった。読んだ瞬間、堰を切ったように涙が溢れました。そのハガキが僕の心を救い、結果的に編入試験を通ってプロになれたのです。
僕は小学校低学年の頃は、勉強にも運動にも自信が持てない子供だったんです。当時、『ドラえもん』が大好きだったのも、自分をのび太に重ね合わせていたのだと思います。でも苅間澤先生はとにかく子供を褒める人だった。あの頃は将棋ブームで、僕が学校の休み時間に友人に対局で勝ったのを見て、先生は「将棋が強いんだ。君は今のままで十分。だいじょうぶよ」と声をかけてくれた。その瞬間から、将棋は僕にとって特別なものになりました。そして自分の意志で、プロになるという大きな夢を持つことができた。先生は僕が『ドラえもん』を好きなことを覚えていて、その苦境の時にハガキを送ってくださったんです。
──神奈川県横浜市生まれ。クラスでも目立たない少年だったが、本はつねに身近にあったという。
両親も兄も読書が好きで、家には多くの本があったから、自然に読むようになりました。そのひとつが『星の王子さま』です。真に大事なものはお金ではなく、目には見えない気持ちだと綴られていて、今も心に残る一冊です。それ以外は推理小説ですね。高木彬光の『人形はなぜ殺される』を読んで夢中になって以来、名探偵・神津恭介シリーズも読破しました。それから森村誠一の『人間の証明』や松本清張の『ゼロの焦点』。ゲーム好きなので、トリックを考えるのが楽しかったんです。
全てを失った青年
居場所は図書館
──プロを目指して腕を磨き、14歳の時に全国中学生選抜将棋選手権大会で優勝。見事、奨励会へ入会する。
奨励会へ入った人のうち26歳までに四段に昇段し、プロ棋士になれるのはたった2割です。当時の教科書は『米長の将棋』という米長邦雄先生の実戦集でした。その棋譜を見て、同じように何度も駒を並べて勉強した。22歳で三段まで昇りましたが、その後は低迷し、年齢制限の壁に阻まれて退会を余儀なくされます。将棋だけに青春のすべてを賭けてきた僕にとっては、人生がまさにゼロになった、と感じた瞬間でした。
──将棋に関係するものはすべて処分した。将棋を恨み、生ける屍のようにただ日々をぼんやり過ごした。
1年ほどはニート生活で、その間はよく図書館に行ったんですよ。赤川次郎などの推理小説、それから吉川英治の『宮本武蔵』や『三国志』、司馬遼太郎の『国盗り物語』といった歴史小説など手当たり次第に読みました。でも、「いつまでぶらぶらするんだ」と兄に激しく怒られて、子供の頃になりたかった弁護士を目指そうと。高木彬光の作品に弁護士・百谷泉一郎シリーズがあって、憧れていたんです。それで神奈川大学第二法学部に入学しました。
──大学時代、アマチュアとして将棋を伸び伸びと指す楽しさに改めて気づいた。やがて将棋部の活動が盛んなNEC関連の情報処理会社に入社する。プロの公式戦に成績優秀なアマチュアとして特別に出場資格を得るなかで、7割以上の高勝率を上げる。その実力を見た新聞記者や一部の棋士が、再びプロを目指すべきだと支援。61年ぶりに実現したプロ編入試験に挑むことに。
自分でも迷いましたが、やはり将棋が好きだから、プロになれればこれほど幸福なことはないと、決心しました。もうひとつ、実力さえあれば年齢に関係なくプロに挑戦できるルートを作りたいという想いもあった。当時の制度では、小さい頃に将棋と出会える、恵まれた環境のエリートしかプロになれなかったんです。嘆願書を出したあとに、ある人が僕の行動を明治維新になぞらえて「将棋維新」だと言ったんですよ。その時は、うれしかったですね。高校時代に『竜馬がゆく』を読んで以来、大志を抱いた坂本龍馬に憧れていましたから。
あの人気俳優に指導
波乱の半生が映画に
──現在、プロとして年間40局ほどの対局に臨む。関西遠征などの時、新幹線のなかで読書をするのが常だ。
人に薦められて手に取り、予想を覆すトリックに夢中になった東野圭吾の『容疑者Xの献身』。それから池井戸潤の『下町ロケット』も大人の夢物語で面白かったですね。あとは百田尚樹の『永遠の0』や『海賊とよばれた男』、それに『幻庵』です。江戸後期、囲碁界の風雲児だった幻庵因碩を描いた長編群像劇で、百田さんは実在の人間のドラマを書かせたらやはり抜群ですね。日々、将棋のことしか考えないけれど、読書の時だけはそれを忘れられる。良い気晴らしというか、想像の世界へ飛んで行けるのが楽しいんです。
──幼少期からプロ棋士になるまでの経緯を綴った自著『泣き虫しょったんの奇跡』は「脱サラ棋士のサクセスストーリー」「あきらめなければ夢は叶う」と評判を呼んだ。2018年には映画化され、公開される。
主演の松田龍平さんはじめ、出演する俳優さんに将棋の指導をさせていただきました。じつは豊田利晃監督も奨励会でプロを目指していた方なんですよ。映画化は信じられないほどうれしいです。僕にとって将棋はかけがえのない、自分を最大限に表現できるもの。将棋は戦いの情報がすべてオープンですし、始まったら誰にも相談できません。しかも運の要素はほぼないので、勝てば自分の実力だし、反対に負けたらすべて自分の責任になる。会社の仕事だとそこまでゼロか100かにはならないですよね。そのシンプルさが、僕にとっては将棋の最大の魅力でもあるんです。
(構成/鳥海美奈子)