翻訳者は語る 小山太一さん
昨年十月、上皇后美智子さま(当時・皇后陛下)が誕生日に発表されたお言葉から、「皇后の積読本」として突如注目を集めた英国のユーモア小説『ジーヴズの事件簿』。どんな難題も解決してしまう切れ者の執事と、ちょっとお馬鹿な若主人のやりとりが何とも可笑しい名著を、故・岩永正勝さんと共訳した小山太一さんは「上質な息抜き本」と表現します。
〈「自分が好きだから読ませたい」〉
本作の共訳の話を頂いたのは、一五、六年前。当時総合商社にお勤めだった岩永さんがジーヴズの大ファンで、何とかして出版したい、ついてはプロの翻訳家と共訳したいというのです。私も実はそれより少し前にジーヴズの企画を大手出版社に持ち込んだことがありました。その時は断られてしまい理由も納得のいくものだったので、「出版してくれるところはないだろうな」と思っていたんです。
岩永さんは、昭和の大翻訳家・朱牟田夏雄さんのご子息が友人で、「若手の研究者で一緒にやってくれる人を知らないか」と相談し、私に話が来たわけです。「自分が大好きだからみんなにも読ませたい」という一読者の熱情に打たれ、それならば、と改めてある出版社に持ち込んだところ、「うちよりもこちら向きだろう」と文藝春秋を紹介され、トントン拍子で出版することに。二〇〇五年に単行本になり、一一年に文庫になると聞いた時には「世の中、意外に洒落のわかる人がいるんだな」と思ったものです。
その状況が大きく変わったのが、昨年十月。「ジーヴズがアマゾンのランキングで二位になっている!」と最初に気づいたのは妻でした。何が起こったのかと思って調べ、やっとことの経緯がわかったのです。
〈二転三転の後にオチ、の積み上げ〉
初めて原書を読んだのは、九九年から〇三年までのイギリス留学中でした。それまでも日本で翻訳されたウッドハウス作品は読んでいましたが、無駄がなく、非常によく計算されていると改めてその巧さを感じました。短篇の中で二転三転があってオチ、という積み上げ方、数々の仕込みをきっちり回収するなど、構成が抜群に巧く、文章も古くささがない。
翻訳作業は、岩永さんの訳文を整理し、直していくというもので、ギャグはもっと笑えるようにするなど、かなりの部分を変えました。本来、人の翻訳を直すというのは嫌な作業なんです。共訳というのはある意味バトルで(笑)、お互いの訳文を真っ赤に直し合ったりするものですが、本稿に関しては岩永さんが「自分の訳文はどうなってもいい」という態度で臨み、修正をプロの意見としてありがたく受け取ってくれました。ですので、直す作業も嫌ではありませんでした。
〈原文からジーヴズの声が聞こえる〉
楽しかったのは、ジーヴズにどう喋らせるかを工夫することでしょうか。彼は決して慇懃無礼ではなく、礼儀正しいけれど、では忠義の従僕かというと一ミリたりとも譲らないところがあり、結果的には完全に主人のバーティを操っている。そんな彼のキャラクターが楽しく、訳すうちにだんだん原文からジーヴズの声が聞こえてきて、ウッドハウスに導かれるまま翻訳したという感じでした。
なぜ本作が今の日本で受け入れられているか? ひと言で言うと、上質な息抜き本だということでしょうか。息抜きのために著者が全力を注ぎ、非常に作り込まれた小説になっているからこそ、いまの読者も惹きつけるのでしょう。
〈エレガントなユーモアへの憧れ〉
海外文学を読み始めたのは中学生の頃。エラリー・クイーンなどミステリーから入りましたが、あまり謎解きに興味がないタチで、高校生になるとオースティンやサッカレーなどを読むようになりました。中野好夫訳の『自負と偏見』にはまり、その一方でケストナーのユーモア小説にも夢中になりました。『消え失せた密画』『雪の中の三人男』『一杯の珈琲から』などは、ウェルメイドかつエレガントなユーモアに溢れ、きれいに笑わせてくれる憧れの作品でした。
最初に翻訳に挑戦してみたのも高校生の時でした。スティーブン・リーコックの『Sunshine Sketches of a Little Town』という作品を訳しては直し、大胆にも大学一年の時に翻訳家の浅倉久志さんに送ってみたのです。もともと、浅倉さんが訳された『ユーモア・スケッチ傑作展』が大好きでしたので。すると講評をつけた返事をくれました。その時のアドバイスは今もよく憶えています。
大学院時代には恩師の柴田元幸さんからの紹介でジャクソンの『穴掘り公爵』を訳す機会を頂きました。「こういうエキセントリックな文章は、小山くんにやらせたら面白いと思う」とおっしゃって。
振り返ると、人との出会いに恵まれてここまで来たなと思います。これから挑戦してみたいこと? 死ぬまでに、オースティンを全部訳したいですね(笑)。
ジーヴズの事件簿
才智縦横の巻/大胆不敵の巻
P・G・ウッドハウス/著
文春文庫