今月のイチオシ本【エンタメ小説】
『俺達の日常にはバッセンが足りない』
三羽省吾
あれは、どういう流れだったのか。いい感じでお酒が回った仲間たちと、バッティングセンターに行ったことがある。総勢何人で行ったのか、誰がいたのか、全員の顔まではもう思い出せないのだけど、空振りしては笑い、球がかすっては笑い、ととにかく楽しかった記憶しかない。夜が深い、猥雑な歌舞伎町のなか、あのバッティングセンターだけは、夏休みの真昼の校庭のようだった。本書を読みながら、ずっとその光景を思い出していた。
物語の真ん中にいるのは、土建業を営む実家で〝お飾り専務〟として働くシンジと、シンジの中学時代の同級生のエージ。高校を中退し、フリーターになったものの、何をやっても長続きしない。借金をして思いつくまま様々な商売を立ち上げては、「飽きた」と放り出すエージを「馬鹿で短絡的ですくいようのないロクデナシ」だ、とシンジは思っている。
諸事情により、シンジの家に居候をしているエージが、ある日突然、バッティングセンターを作ろう、と言い出したことから、物語は転がり始める。また、エージの得意の思いつきかよ、と話半分に聞いていたシンジだったが……。
このエージのキャラがね、いいんですよ。周りに迷惑しかかけてこなかった彼は、シンジの友人たちの間では疫病神扱いではあるのだけど、それでもどこか見捨ててしまえない可愛げがある。このエージのキャラ造形が巧い。シンジはシンジで、渋々ながらもエージに振り回されることで、彼もまたゆっくりと変わっていく。
ネグレクト家庭に育ち、ヘビーな親を背負いながらも、何があってもへこたれずに生きて来たエージの姿が、物語を読み進めていくうちに、どんどん胸に響いてくる。コロナ禍にあって、閉塞感に満ち満ちた、ただ今の現実世界に、エージが巻き起こすつむじ風が、痛快に吹き抜けていく。いいなぁ、この感じ。
読み終わった時、むくむくと元気になること、保証します! そして、バッティングセンターに行ってみたくなることも。
(文/吉田伸子)
〈「STORY BOX」2021年10月号掲載〉