『失われた貌』櫻田智也/著▷「2026年本屋大賞」ノミネート作を担当編集者が全力PR

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あの素晴らしい一刻ときをもう一度


「作家と編集者は、原稿を挟んで対話するものでしょう」

 随分昔のことになるが、ある作家が会合の席でぽろっと零した一言が、ずっと頭に残っている。

 その場で真意の説明がされたわけではないが、「どんなに酒席で盛り上がろうが、親しく付き合っていようが、作家と編集者はまず第一にビジネスパートナーである。対立も辞さず、原稿について真摯に意見をぶつけ合うのが関係性の本質であり、それがなおざりになっていたら何の意味もない」という意味だと勝手に理解した。

 だから、というわけではないが、著者との遣り取りで最も意識してるのは、どんな些細なことでも、「とにかく、気づいたことは全部伝える」ということだ。

 内容が面白いのは大前提。でも、もっと読みたいと思ったり、ちょっと分かりにくいと感じることはある。そこで「まあ、いいか」と遠慮せず、第一読者として、率直に球を投げること、それもできるだけ多くの球数を投げることが仕事だと思っている。

 投げられた球に対して、「なるほど、そんな風に読む人がいるんだ。じゃあ……」と思って検討してもらえたら嬉しいし、「これは、こういう意図だからこれでいい」という説明があれば、それで納得もする。

 人によって様々だろうが、僕が仕事の中で一番好きなのはこの遣り取りだ。作品について、それを書いた人と直接ディスカッションして、より良い到着点を目指す。こんなに楽しい時間を他に知らない。

 そんな分かっていたはずのことを、『失われた貌』で改めて実感した。

 僕が手当たり次第に投げた球を、櫻田さんは千手観音の如き手腕ですべて打ち返してくれた。目標にしていた刊行時期まであまり時間がなかったが、だからこそと言うべきか、寸暇を惜しんで遣り取りし、とても濃密な時間が流れていった。

 最終的に「これでいこう!」となったとき、僕はやりきった感があったし、それは櫻田さんも同じだったと後から聞いた。

 作品作りに正解はない。数多の選択肢の中から、ベストと思える物語を模索した結果が、唯一の形として世に出ることになる。その際、「もうちょっと時間があったら」とか、「あそこがこうできていたら」など、何かしらの反省が残ることは、残念ながらある。

 しかし、この『失われた貌』に関して、それは一切なかった。「対話」を重ねた結果、「これ以上のものにはできない」と納得して世に問えた。そこには自信がある。

 そして、その充実感や満足感と共に感じたのは、「ああ、もう出さないといけないのか」という寂しさだった。決して、「この面白さを独り占めしたい」などというさもしい根性ではない。むしろ、早く沢山の人に読んでもらいたい気持ちで一杯だった。

 けれど、そのためには、こんなにも楽しいキャッチボールを終えなければならない。それが寂しくてならなかった。

 そんな僕を神様は哀れに思ったのか、『失われた貌』はすぐに評判と評価をいただき、沢山の取材申し込みをもらい、あちこちの書店にお邪魔できて、年末のミステリランキングで三冠となり、本屋大賞にもノミネートされた。寂しがっている暇はなかった。

 書店に行くと、楽しくて仕方なかった時間の詰まった本が店頭に並んでいる。そんな光景を見るにつけ、とても幸せなことだなと思う。櫻田さん、ただひたすら楽しかった、と素直に言える時間を味わわせてくれて、ありがとう。

 小説の面白さと一緒に、あの高揚がほんのちょっとでも伝わったらいいなと思い、この原稿を書いている。

全力PR『失われた貌』_長くてクドい口上

──新潮社 出版部 新井久幸


2026年本屋大賞ノミネート

失われた貌

『失われた貌』
櫻田智也
新潮社
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