「草笛光子」という生き方。[後編]
そのバイタリティはどこから生まれてくるのでしょうか。大反響の前編に続き、草笛さん流の人生の過ごし方を伺いました。
食いしん坊だから、元気でいられる。
「元気で動ける体をつくっておかないと、いい仕事はできません。舞台はもちろん、写真の撮影だって、カメラマンのリクエストに応じていろんなポーズをとらないといけないでしょう。ちょっと足が上がらない、体が回らないじゃ、ダメですもの。
私は、十年以上前から家にパーソナルトレーナーの方に来てもらっています。それまでは、舞台に上がる前にストレッチしたりするだけでよかった。でも、七十歳を過ぎて自分の体と向き合った時に、このままじゃダメだと思ったんです」
朝、食事している時に、お昼は何にしようか。晩御飯は何がいいかな、って思いを巡らせているような食いしん坊だという草笛さん。食欲は、まさに元気と健康の源。若い頃にハリウッドを訪れた時のこんなエピソードを紹介してくれた。
「撮影所に映画関係者が集まる大きなレストランがあるんです。そこに行った時、私は着物を着ていました。美味しそうなお料理が運ばれてくる。どのお皿も私はきれいに平らげちゃった。着物姿だからといって、遠慮はしません。食いしん坊ですから(笑)。すると、アメリカ人の小柄なおじさまが、一緒に写真を撮らせてくれないかと、近づいてきたんです。スタッフが、ざわざわしているから、どうしたんだろうと思ったら、その人はハリウッドでも有名な映画監督のセシル・B・デミルさんだったんです」
セシル・B・デミル監督といえば、『十戒』や『クレオパトラ』などの作品でハリウッドの草創期を飾った超大物。そんな、名監督がなぜ草笛さんに声をかけたのか。
「じつは、日本の女優さんも時々ハリウッドにやってくる。でも、みんなレストランの席についても、お淑やか。あまり食べないで、そっと帰ってしまうのだそうです。ところがわたしは、美味しそうにたくさん食べていた。珍しい女優だと思われたんですね(笑)」
まさに自然体で生きる草笛さんらしい微笑ましいエピソード。そして草笛さんは夜更かしも好きという。
「健康のためにも、早寝早起きがいいことはわかっています。でも、私、夜が好きな女なんですね(笑)。テレビを観ながらストレッチして、そのあと新聞を広げて読み始めると止まらなくなる。気がつくと、あっという間に午前三時。今読んでいる記事が、自分の役作りの肥やしになるかもしれないと思うと、ついつい……」
若い頃は夜更かしなんて平気だったという草笛さん。だんだん思い通りにならなくなる体を前に「老い」とは何だろうと考えるようになったという。
「私がたどりついた結論は、老いとは“おっくう”ということです。"おっくう"を感じる頻度が増えていくことが、老いること。だからおっくうがらずになんでもチャレンジすることが必要だと思うんです」
毎日が大切な一日。その日を精いっぱい生きたい。
ナチュラルなシルバーヘアが、美しい草笛さん。じつは二十代の頃から白髪に憧れていた。それでも六十代までは、カラーリングをしていたという。
「髪の毛を染めなくなった直接のきっかけは、二〇〇二年に出演した『W;t(ウィット)』という舞台。がんで死んでいく人の役でした。オリジナルはニューヨークの舞台で、私はどうしても日本でやりたかった。でも、人が死んでいくお話はお客さんが入らないのでは、と言われました。ところが、パルコ劇場でできることになったんです。私、やります! とすぐ手を挙げました。演出家の方からは、坊主にしてもらいますけど大丈夫ですか? といわれましたが、もちろん二つ返事でお受けしました。そしてこの舞台で頭を剃ったあと、白髪と黒髪がいいバランスで生えてきたんです。真っ白じゃなくて、きれいなグレーに見えるでしょう。それが気に入って、このままでいいと決めたとたん、心まで解放された気がしたんです。それからは、ずっと自然のまま、ありのままの自分。もう無敵ですね(笑)。黒く染めていた頃は、茶色と黒の服ばかり着ていました。ところが白髪になると、華やかな色のものが似合うようになりました。鮮やかなピンクや、ブルーがよく似合う。気分も晴れやかになって、毎日が楽しいんですね」
草笛さんには、どうしてもこの作品をやりたかった理由があるという。それは、大切な友人をふたり、がんで亡くしたから。ふたりがどんなにつらい思いをしたのかどんなに怖かったのか。舞台の上ではあるが、体験したいと考えたからだという。
「舞台作品ですが、私にとってはドキュメンタリーでした。夜、病室の電気が消えて医者もナースもインターンもみんないなくなる。暗闇のベッドにただひとり残される。病との闘いに絶望していくようで、とてもさびしくてつらかった。ああ、あの人はこんな思いをしていたのだろうかと追体験しているようでした。
そこに、学校の先生が出てくる。夢なのか、亡霊なのか。あなたに読んで聞かせたい本があるの、といって本を読んでくれるんです。すると、自然と涙が溢れてきた。そうして、私は死んでいく。ベッドではずっとかぶっていた真っ赤な野球帽を、そのシーンで取ると、お客さんは初めて私の坊主姿を見る。ベッドを下りて、観客席の中をずーっと歩いて、ネグリジェをパーッと落として、裸になるの。そして、舞台は終わります」
さすがに、草笛さんの裸体を観客に晒すことはできないと、スタッフはさまざまな演出方法を模索。しかしどれもこの作品のフィナーレとしてはしっくりこない。もう、やっちゃえと思い切った草笛さん。もちろん観客は大絶賛し、舞台は大成功だった。
常に新しいことに前向きな草笛さん。〇六年初演のふたり芝居『6週間のダンスレッスン』を今秋から新たに『新・6週間のダンスレッスン』として全国で上演する。お相手はTOKIOの松岡昌宏さん。今回のツアーでこの公演はついに二百回に到達するという。
「人生何が起こるかわからない。明日死ぬかもしれないでしょう。そう思うと、毎日が大切な一日。その日を精いっぱい生きられるように、いい生き方ができるように常に心がけています。そのためには、健康でなければならない。だから怪我したり、病気になったりしないよう、毎朝仏壇に座って、ご先祖様にお願いしているんです」
草笛さんのチャレンジはまだまだ続く。
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草笛光子(くさぶえ・みつこ)
1933年生まれ。神奈川県横浜市出身。1950年松竹歌劇団に入団し1953年『純潔革命』で映画デビュー。主な映画出演作に『社長シリーズ』『それから』『犬神家の一族』『沈まぬ太陽』『武士の家計簿』など。2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』では真田信繁の祖母役を務めた。1999年に紫綬褒章、2005年に旭日小綬章を受章。