湊かなえさん『未来』

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優しい人になりたい
著者近影(写真)
minatosan
イントロ

「イヤミス」の金字塔と呼ばれ第六回本屋大賞にも輝いた『告白』(二〇〇八年八月刊)で、湊かなえは作家デビューを果たし精力的な執筆活動を続けてきた。「デビュー一〇周年記念作品」として書き下ろされたのが、自己最長となる原稿用紙約七〇〇枚の大作『未来』だ。本作は、これまでの集大成でありながら、新鮮な読後感をもたらす。

『未来』を書き出す際に決めていたのは、主人公とラストシーンだったという。

「デビュー一〇年の節目となる作品で何を書こうかと考えた結果、逃げ場のない子どもが主人公の物語にしようと決めました。今まさに逃げ場がないと思っているような読者が、救われるとまでは言えないですけれども、前を向くことができるようになる。未来というものをイメージするための、拠り所になるような作品が書けたらなと思ったんです」

 物語の幕開けとなる序章では、夏の夜を走る高速バスの情景が描かれる。この乗り物を選んだ理由も、ラストのイメージからの逆算だ。

「夜の乗り物が好きなんですよ。夜を走り抜けて、夜明けと共に目的地に辿り着く。暗闇の中から光差す場所に行くっていうイメージが、この物語の主人公の心境と重なり合うんじゃないかと思いました」

 主人公の「わたし」は、同性の友人と共にバスに乗っている。リュックから取り出したのは、過去に受け取った不思議な手紙。読み返すと、書き出しは〈一〇才の章子へ/こんにちは、章子。わたしは二〇年後のあなた、三〇才の章子です〉。続く文面には、彼女自身にしか知り得ないことがたくさん記されていた。この手紙は本当に未来からのものなのか? 「わたし」は今何歳で、隣りに座る彼女は何者で、いったいどこへ向かっているのか。

 すると、手紙を受け取った小学四年生のある夜へと時間は巻き戻り、「章子」と題された本編が始まる。そこから二〇〇ページ超かけて記録されていくのは、まるで日記のように、彼女が未来の章子(「大人章子」)に宛てて書き綴った手紙の数々だ。その後で、手紙の内容に関わる、通常の小説形式を採用した短編三本+αが現れる。『未来』は湊かなえ史上、もっともチャレンジングな構成が採用されている。

「ずっと手紙が続くと読みづらいし、物語に入りづらくなる人がいるかもしれないと思ったので、最初は章子の手紙の合間合間に、普通に地の文がある小説パートを挿入していく予定でした。全体の原稿ができあがったところで、手紙は手紙で前半に全部まとめて、後半の短編で手紙の内容をフォローしたり引っ繰り返す、という構成の方がいいなと考え直したんです。自分でもこんな書き方をしていいのかな、戸惑われる方もいるんじゃないかなと思いました。でも、最後に差し込む光を一番強く感じてもらうには、この構成がふさわしいんじゃないでしょうか」

問題や救いは関係の中から

 手紙の章で記されているのは、一人の少女を襲ったあまりにも辛い現実だ。父を亡くし母は心の病を患っているため、章子は幼い頃から家事を担っていた。学校では人気者の実里に目を付けられ、執拗なイジメに遭う。担任教師の林は歪んだ動機で章子に手を差し伸べ、父方の親族は母が犯した過去の罪をリークし、母の新しい恋人・早坂が親子の自由を奪う。そして、学校にすら行けない状況に──。隅々まで、湊作品特有の辛苦が滲む。

「逃げ場のない子どもの"逃げ場のなさ"を描くために、まずは辛い目に遭わせなければいけないというのが、書いていて本当に辛かったです。でも、ちゃんと追い詰めておかないと、読んだ方に"現実にはもっと大変な子がいるよね"と思われてしまいます。一方で"こんなこと現実にはないよ"ってところまで行ってしまうと、他人事になってしまうんです。すごく辛いけど現実にあり得るかもしれない、"もしかしたら同じような境遇の子が身近にいるかもしれない"と感じてもらえるような、ギリギリのさじ加減を探っていきました」

 悲劇へと追い詰め逃げ場のない状況を高めながら、作家が常に考えていたのは「章子をどうやって救えるか?」だった。

「まったく思い浮かばなくて、冒頭の一〇〇枚ぐらいを書いたところで筆が止まってしまいました。それから二年間、原稿を進められずにいたんです」

 再び筆を執ると決意した時、書き方を変えてみた。

「章子の手紙だけを書いたり読んだりしていると、章子が主人公で、他の登場人物は脇役というふうに感じます。でも、彼らもまた各々の人生にとっての主人公だし、章子の手紙の中だけでは書き切れないものがたくさんあるはず。章子の話はいったん後回しにして、他の登場人物達の話を先に書いてみようと思ったんです」

 章子の周りにいる人々の人生を描いていくことで、その中心にいる章子の人生が浮かび上がった。「外から固めていって、中身ができた。こんな書き方って初めてです」と本人も驚きを隠さない。だが、この物語が求めた必然でもあったのだ。

「何か問題が起きた時に、悪者を一人立てた方が精神的にはラクですよね。その人のことを責めればいいわけですから。でも、それで問題自体が解決することはありません。社会の中で問題が起こるのは、誰か一人のせいじゃない。たくさんの人の"こうしていれば良かったのにな"ってことがちょっとずつ重なって、誰かの心を押しつぶすような現実が生まれるんじゃないでしょうか。同じような原理で、誰かを救うこともあるんじゃないかと思うんですよ。それまで何も関係のなかった人が純粋な善意で、逃げ場のない章子に手を差し伸べる展開を書くつもりはありませんでした。辛さを抱えた人同士が支え合い、ちょっとずつ関係していくことによって、彼女がなんとか前を向いて行くような物語にしたかったんです」

 章子を光差す場所へと送り出す、関係の繋がりを描く際には、ミステリ作家としての想像力を爆発させた。

「この作品の中で書かれている、時間も場所も離れた人と人との思いの繋がりって、作中の本人達は最後まで知らないままなんですよね。でも、本を読んでいる人は、頭の中でさまざまなピースを組み合わせて"ああ、そういうことだったんだ"って分かる。例えば、章子の手紙だけを読んでいたら、"お母さんがしっかりしてればこんなことにならなかったのに!"って不満を抱く人がいると思うんですよ。そんな不満を抱えながら後半のエピソードを読んでいって、お母さんの人生を理解したところで"文句を言ってごめんなさい"って気持ちになってもらう(笑)。ミステリの新人賞からデビューさせてもらっての一〇年目の作品ですから、"それまで見えていた景色がガラッと変わる"というミステリとしての要素は絶対に入れたかったんです」

あの人の年齢に行き着くまでは

 実は、本作のメインとなる設定は、作家自身の経験が元になっている。

「人生で一番しんどかった中学一年生の時に、大人になった自分に宛てた手紙を書いていたんです。誰にも言えない辛さを文章にすることで、気持ちを吐き出すことができてスッキリもしたし、将来の自分が今の気持ちを受け取ってくれるんだ、という安心感もすごく良かったんですよね。"とりあえず、自分が宛てたあの人の年齢に行き着くまでは頑張ろう"って、前向きな気持ちになれました」

 辛く苦しい「今」が永遠に続くと思ってしまうから、心が折れそうになるのだ。だが、「今」があれば「過去」があり、「未来」がある。その事実に思い至れば、心は軽くなる。『未来』がチャレンジングな構成を採用している理由は、そのメッセージを色濃く実現するためなのだ。

「今がしんどくて、この先も辛いことしかないんだと思うと前に進めなくなるけれど、そう言えば過去にはこんな楽しいことがあったし、未来の自分はきっと笑顔になっていると想像することによって、自分を救うことができる。その想像を相手に向ければ、例えば初めて会って苦手だなあと感じた人も、今が不機嫌なだけかもしれないって思えるようになりますよね。その人なりの正義があるし自分とは異なる立場や価値観があるんだと思えれば、人にも優しくなれる。そういった想像力を養ってくれるのが、本であり物語であると私は信じています」

著者名(読みがな付き)
湊かなえ(みなと・かなえ)
著者プロフィール

1973年広島県生まれ。2007年「聖職者」で第29回小説推理新人賞を受賞。08年同作品を収録したデビュー作『告白』は「週刊文春08年ミステリーベスト10」で第1位、第6回本屋大賞を受賞。12年「望郷、海の星」で第65回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。16年『ユートピア』で第29回山本周五郎賞を受賞。18年『贖罪』がエドガー賞〈ペーパーバック・オリジナル部門〉にノミネートされた。

〈「STORY BOX」2018年8月号掲載〉