今月飲むのを我慢して買った本
読み終えたとき、黄色く色づいた銀杏が散る美しい風景を分かち合う喜びに包まれる彩瀬まるさんの『骨を彩る』。
紀伊國屋書店グランフロント大阪店(大阪)奥野智詞さん
しくしくと、ちくちくと痛む。心の傷といえば簡単なのだけれど、簡単に「傷」というだけでは表せない。心のどこかに何かがひっかかっているようで、ふとした瞬間に思い出しては気になってしまう。そんな2つの物語をご紹介します。
まずは『骨を彩る』。母親という傘の下から歩き出そうとする女性の心の揺れを、丁寧にすくいとった『あのひとは蜘蛛を潰せない』を読み、新刊が待ち遠しかった彩瀬まるさんの最新作だ。
亡くした妻のことを少しずつ忘れてしまっている自分に気づく男をはじめ、息子がいじめられているかもしれないという不安から家族とすれ違い、自分の境遇に向き合う母親など、登場する人たちはみんななんとか日々を過ごしているのだけれど、自分の骨がどこか足りないような喪失感を抱えている。
そんな喪失感のある風景を誰かと共有することができて、ようやく今を、そして「これから」を生きられる。
「彩る」とはこれからを生きること。
読み終えたとき、表紙の黄色く色づいた銀杏が散る美しい風景、この風景を分かち合うことの喜びにふわりと包まれる。
穂高明さんの『これからの誕生日』は、部活の合宿に向かう道中にバス事故で友人たちや教師を失い、たったひとり助かった少女と彼女を取り巻く人たちの波紋を描いた連作短編集。
自分だけが助かったという罪悪感は彼女を蝕み、投げかけられる周囲の人たちの安易な「よかった」という善意や匿名の悪意がますます彼女を追い詰める。絞り出すような声で「謝りたい。生きててごめん、って」と吐き出させてしまうほどに。
傷、記憶、過去。失ってしまったものは消えないし、なかったことにはできない。自分の中で忘れようにも忘れられずに息づく風景に向き合うこと、受け入れること。そうして過去から「これから」のことを考え始める。
それぞれ痛みを抱えた人たちが「これから」の風景を誰かと分かち合うことを願わずにはいられない。
たまたま手に取った2つの物語は希望の光をちらりと覗かせながら、そっととげを残して胸の内に入り込む。
当店の売れ行き30位前後にいる小説
椰月美智子さんの『市立第二中学校2年C組10月19日月曜日』は、十四歳だった頃の自分が羨ましくなる1冊。
三省堂書店成城店(東京)早野佳純さん
「小田原は幕の内弁当のような街」という一文は、なんとも絲山秋子さんらしい。『妻の超然』の表題作では、そんな街に暮らす四十代の理津子と、若い女とバレバレの浮気をしている年下の夫、文麿のお話が理津子の視点から描かれています。
夫の不貞にも知らん顔で生活をおくり、浮気相手からのプレゼントであろうブランド品の文麿の派手なパンツを僅かな逡巡ののち「まぁ別の人が穿いたわけじゃないのだから」と洗濯機に放り込む理津子の振る舞いは、夫に対する超然なのか、それとも妻としての怠慢なのか。同じ女としては考えてしまいます。
一つ一つの言葉や表現にいちいちクスリとしたり時にはニヤリとしながら、読み終える頃には作者がいわんとする「超然」の意味が心の中にストンと着地しています。絲山さん、おそるべし。
次に椰月美智子さんの『市立第二中学校2年C組10月19日月曜日』は、タイトル通りあるクラスの「一日」がクラスメイト三十八人それぞれの視点で進んでゆきます。誰もが感じたであろう十代の頃の窮屈さ。作中の生徒たちも懸命に悩んだり怒ったりその分思いきり笑ったりしていて、なんて輝かしいのでしょうか! しかしそんな時代はほんの一瞬しかないことを、大人は知っています。その瞬間を巧みに切り取り「一日」として書き上げたこの作品は、十四歳だったあの頃の自分が少し羨ましくなってしまうこと間違いなしです。
最後は池澤夏樹さんの『星に降る雪』。岐阜県の天文台で技師をしている田村は親友を登山中の雪崩で失い、自身もまたその事故で死にかけた体験から「星からのメッセージ」を待つようになります。
同じ事故に遭いトラウマを抱えながらも地に足を着け生きていく親友の元恋人の亜矢子と、「星とつながるという幻想。むしろ妄想」を抱き、宇宙から無数に降り注いで天文台の地下深くの巨大なタンクを満たす水を一瞬だけきらめかせるニュートリノに想いを馳せる田村。二人の交わらない会話と、人智を超えたものへの憧憬。
静謐で美しく、ページを繰る度に雪のようにとけていってしまいそうに淡いこの物語は、今の季節の読書におすすめです。
私はこの本を1日1冊1すすめ
日本の作品では稀有なスケールの大きな冒険小説・笹本稜平さんの『遺産 The Legacy』こそ、まさに「遺産」です。
ときわ書房千城台店(千葉)片山恭子さん
冬の真っただ中、胸を熱くする一気読み必至の男の物語を3冊ご紹介。
1冊目は、琉球時代小説のジャンルを確立した池上永一『黙示録』。18世紀前半、主人公・了泉が属する大道芸一座の花形が事故死する衝撃的な場面から物語は幕を開けます。一座は解散、病気の母を抱え困った彼は元踊り奉行の石羅吾に天賦の才能を見出され、やがてライバル雲胡と花形を争う楽童子に成長。身分制度の最下層出身の了泉が、怒りや悲しみ、妬みをバネにのし上がってゆく姿はえげつないのに痛快、「全然いい人じゃないところが素敵」なのです。また、清と江戸幕府の両国の間を、生き抜く知恵として圧倒的な美を以て見せた琉球の姿が、清国の徐葆光という二大知性の一人を通して描かれるのも見どころのひとつです。神をも畏れぬ振る舞いの了泉が、驚くべき変化を遂げる圧巻の後半まで、一気に読ませます。
ダークヒーロー繋がりで、2冊目は待望の文庫化、樋口毅宏『民宿雪国』。主人公・丹生雄武郎は世界的な画家、民宿雪国の主、殺人を重ねる悪党の顔を持つ。彼に繋がる人物が、社会現象にもなった、さる大きな事件や事故の張本人たちを髣髴とさせ、虚構と現実の境界が曖昧に思える仕掛けの巧みさに、震えが止まりません。大海原を漂いながら雄武郎が行き着いた境地と、その結末は……? 差別とは、人権とは、生きるとは? 根源的な問いについて今一度考えさせられる、二度読み必至の問題作であり、かつ傑作。
最後は海繋がりで。新作が出ると読まずにいられない作家、笹本稜平『遺産 The Legacy』。本の厚さに胸が高鳴ります。船乗りだった父を持つ興田真佐人。彼の祖先が航海士を務めた400年前に沈んだというスペインのガレオン船が見つかり、国家レベルの水中遺産引き揚げプロジェクトに発展しますが、妨害や駆け引きありで状況は二転三転。ハラハラし通しで、物語の結末は最後の最後までわかりません! またこの作品では「大事なのは一回きりの人生をどう生きたか。なんの見返りも求めることなく、全霊を投じて生きた人生こそ美しい」など胸が熱くなる名言が数多く語られます。日本の作品では稀有なハリウッド並みにスケールの大きいこの冒険小説こそが、まさに「遺産」です。
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