数奇な運命を辿る少女
宿泊先の藤岡の部屋にルームサービスのためにやってきた少女が、ロサだ。藤岡は彼女が単なるホテルのメイドとしてではなく、交渉相手から一夜の相手として差し向けられたと気づく、すぐ追い出すと彼女が叱られるのではと心配した彼は、時間つぶしにロサにチェスを教え、彼女の並外れた記憶力に驚く。しかも彼女は、かつて藤岡が別の地で見かけた祭りで、処女神として奉られていた少女と同一人物であるように思えるのだが……。
ロサの人物造形は当初とは大きく異なっていった。驚異的な記憶力、不思議なカリスマ性のある女の子ではあるが、
「最初に考えたのは謎めいた美少女でしたが、それよりも生々しい実在感を持った存在になりました。第一稿では超能力みたいなものを持たせていたんですが、そうするとやっぱり絵空事になってしまう。後からすべて削りましたし、記憶力も根拠のあるものにしました」
ロサを劣悪な環境から救いたいが日本人サラリーマンの彼にできることは限られており、藤岡は悩む。やがて、彼女の凄まじい過去も明らかになっていく。
彼のビジネス上の苦闘やロサに関する奮闘、そして、ロサ自身の数奇な運命が交錯しながら、物語は進んでいく。現地の宝石商や少数部族やナクサライト、選挙、処女神の風習、現地NPOなども登場、さまざまな角度からインドの今を知ることができるのも魅力だ。
「トリビア小説にする気はまったくなかったんです。でもストーリーは虚構だけれども、実在の国の直面している問題はきちんと押さえて正確に書かないとまずいかな、と思いました。当初考えていたような神秘の国の美少女と日本の通俗的なビジネスマンの小説に実在の国を使うのは失礼千万。たとえば海外の作家が、外国人旅行者が京都を訪れて白塗りで日本髪の少女に導かれてお茶屋の不思議な世界を体験する、なんて小説を書かれたらどう思います? 調べれば背景にあるもっと大きな問題やテーマが見えてくる。そのあたりは一からきちんと書かなければ伝わらない部分があり、結果的に情報をたくさん書きこむことになりました。他国の問題であると同時に日本社会のあり方に直結していくことだとも思いましたから」
もちろん、そうした情報が説明的にならずにフィクションのなかに溶かし込んであるからこそ、読み手はページをめくる手が止まらなくなる。インド社会に根強くある女性蔑視などショッキングな事柄もあり、自分の持つ価値観を激しく揺さぶられる。
「女性に対する暴行などは最近メディアでも取り上げられてひどい国だといわれていますが、それは近代国家だからこそ。問題が表面化するということは報道の自由があり、現状を変えようとしているからだと思います。たとえばアフガニスタンの田舎町で同じようなことが起きてもニュースにはならない。それが我々の文化だとひらき直るところさえある」
一方、多数の部族と多言語を持ち、階級差別も激しいこの国が、どんな人でも十八歳以上なら選挙権を持つ民主主義国家であることも改めて思い起こされる。
「中国のような中央集権国家だったらもっと発展ははやいはず。インドの民主主義というのは、近代化を進めるネックにもなっている。あえてそういう困難な道を選んだ国として評価していいと思います」
インドの人々が旧宗主国イギリスに対して悪感情を持たないことも、日本の旧植民地との違いを感じさせられる。
「いかに大日本帝国の植民地政策がまずかったかということですよね。イギリスもえげつないことはしましたが、統治方法は洗練されていた」
現地取材も敢行
二〇一一年秋には、東インドのオリッサ州に赴いて、現地取材を敢行したという。
「先住民がたくさん住んでいて、NGOが活動している地域に行きたかったのですが、候補を探してもナクサライトが暴れまわっていて危険だと言われる場所が多くて。結局取材できるのはラヤガタだけでしたが、そこに行くオリッサ州内の最短ルートは危険なので、いったん隣のアーンドラ・プラデーシュ州に出て高速道路で大回りしてラヤガタに入りました。州を越えたとたんに軍の駐屯地があると思ったら警察で、ものものしいたたずまいにビビりました」
インドの勉強会でお世話になっている方々にアドバイスをもらい、現地に詳しい人を紹介してもらい、旅行中はシーク教徒のガイドもつけたので、危険なことは何もなかったという。「何があってもおかしくない場所だったとは思いますが、みなさんに守ってもらったんです」と篠田さん。
「デリーのホテルは停電はあるけれど清潔でしたし、地方ではものすごく汚いところに泊まる覚悟でスリーピングシーツを持っていきましたが、まったく使いませんでした。同行した編集者の女性と、あれが珍しいこれが美味しい、あのサリーの着方がおしゃれ、とか騒いだり、朝、道路際にみんなが茶色いお尻を並べて用を足しているところを、どんな風に水で洗うのか興味津々で眺めたり(笑)」
その体験があったからこそ、現地の人々の生活が現実感を持って描かれる。また、クリスタルを輸入するビジネスのシステム、人工水晶の製作過程も実に丁寧に描かれる。山峡ドルジェの社員で、人工水晶の開発に夢をかける技術者の寺島も、この分野の将来を担う頼もしく誠実な存在として魅力的だ。
「脇役のなかの脇役なんですけれども、人工水晶の会社を二社取材した時に案内をしてくださった方々のものづくりへの情熱が印象的で、意識しないうちに寺島という人物の中に反映されていたんだと思います」
脇役といえば、貴石加工販売業者のナヤルや先住民たち、衆院議員になる芸術家バゲルのほか、NGOのイギリス人スタッフで、正義感はあるが行き過ぎた行動をとるドナヒューや、海外NGOの活動に参加する藤岡の娘なども重要な存在だ。
十数年にわたる物語
藤岡とロサの出会いに始まり、十数年にわたる物語となる本書。
「話の骨格を変えた時点で、これは長い話になるなと思いました。ただ、読者がついてきてくれるか不安だったんです。問題意識を共有して共感してもらえるかどうかというと、自分には関係がないと感じる人のほうが多いでしょうから。でも、売れればいい、の安直な仕事はしたくない。いざ連載を開始したら編集長から予想以上に反響があると聞いてびっくりしたり、励まされたり……」
遠い国の深刻な現実の話であっても、社会というもののシステムや価値観についての認識のあり方について、自分たちの生き方に重ね合わせて感じる部分が多々あるはず。そして何よりも、物語としてべらぼうに面白いのだから、読んで損をするはずがない。
出会いから十数年後、藤岡のビジネスやロサの人生は、どのような道を辿っているのか。彼らはどのような思いを抱いているのか。
「ロサについては安易に反省させたくなかったし、死なせたくもなかった。結婚して幸せになるという書き方もあるかもしれませんが、女性がそれでしか幸せになれない世界こそ、変えていかなければいけない。実際には根気のいる難しいことですが、激烈な半生を歩んだ彼女には、こうなってほしいという私の願いをこめました」
ラストに待っている、光と願い。藤岡と同じ気持ちで、読者も本を閉じることになるだろう。
(文・取材/瀧井朝世) |