最初に発想したのはラッパーの予言者
さまざまなシーンが連なり、やがて切ない事実が浮かび上がる『名も無き世界のエンドロール』で小説すばる新人賞受賞作を刊行して三年。今年になって待望の新作を立て続けに発表した行成薫さん。時系列が自在に行き交う『バイバイ・バディ』に続く最新作『ヒーローの選択』もまた、予想を裏切る展開が待っている。
「『名も無き世界のエンドロール』を応募した後、次に書いたのがこの小説です。『名も無き〜』が少し重い話だったので、一回ふざけてみようと思い、ちょっとおかしなラッパーの予言者を出してみようと思ったのが最初です」
というから既読の人は意外に思うかも。本作はヒーローというテーマが出発点だと思わずにはいられない内容だからだ。
主人公はウォーターサーバーの販売会社の営業員、清水勇介、二十九歳。成績は振るわず、上司には罵倒され、恋人には振られ、すべてがうまくいかない日々を送っている。その日、彼が訪問営業先で出くわしたのは小学生時代の同級生、小山田信吾。彼は清水の来訪を予期していたようで、友人でラッパーの予言者ケンジが、「八百四十一年後に世界が終わる」と予言していると言い、それを防ぐために清水にも「世界を守り隊」に入るように勧誘する。
「この話を考えていた頃、確かちょうど選挙の時期だったんです。それで、“俺が一票入れても影響なんてない”“自分が何をしても世の中は変わらない”という意見を聞いて、そうじゃないと言いたくて。一庶民でも、生きていると何かしら社会を動かすことがあるかもしれないという、責任感と希望を持てるものを書きたくなりました。それと予言というものをどう絡めようかと考えて、こんな話になりました(笑)」
ケンジに会い、世界を守り隊に関わることになった清水。仲間は五人。しかしみな、決して英雄タイプではない。
「政治家や歌手などカリスマ的なヒーローがいると、一般庶民はその人に夢を託してしまう。そうではなく、自分が自分のままで生きているだけで何かを変えることがあるという話にしたかった。それで、むしろ失敗や挫折を経験して、今裕福に暮らせていない人を出すことにしました。それで清水勇介の人物設定が決まりました。他は、まず清水が優柔不断でなかなか動かないので、はしゃいでくれる人を入れようと思って小山田信吾を出しました。元ボクサーのロッキー岩城に関しては、自分が格闘技が好きだったのでエッセンスを入れたくて」
清水や小山田と幼い頃に一緒に遊んだ鴨下修太郎は市長の息子だが、親は不祥事で捕まった。また、アイドルを卒業する長曾根ヒカルもいる。
「鴨下は性格的にも能力的にもヒーローになりうるのになれない人ですね。長曾根ヒカルはいちばん最後に出てきたんですが、当時、地下アイドルのニュースをよく見かけて、大きな夢を持って頑張ることと、ヒーローを目指すことが重なったし、だいたいの人が実現できない、というところも同じなので、そこからインスパイアされたように思います」
彼らの目的が、八百四十一年後の世界の終わりを防ぐため、というのがユニークだ。
「先に予言という発想があったので、今現在というより未来を変えることを考えました。それでカオス理論のバタフライエフェクトなどを参考にしたのですが、蝶の羽ばたきという微妙な差異が、未来にものすごく大きな変化を生じさせると考えると、未来は予測できないという結論になる。一方で、予言というものは因果論が中心になっていて、何かの因果によって未来が変わるという、つまり未来は予測がつくという考え方なので対極になるんですよね」
そこでまず、その両方が成り立つような世界設定を考えたという。
「未来を作り替える何かが存在してカオス理論を潰すという考え方でないと、予言が成り立たない。それで、世界というものを擬人化して、その人が未来を都合よく作り替えていくという設定で考えました。その場合、歴史を変えるヒーロー的な人間というのは、その目的のために置かれているパーツにすぎなくなる。本当に何か変化をもたらすとすれば、それは庶民ということになりますよね」
八百四十一という数字にも意味がある。これは二十九の倍数になるが、
「僕自身、二十九歳の誕生日に、すごく大人になってしまった気がして。それで清水を二十九歳という設定にしたり、ロッキーが人に刺されてボクサーを引退したのが二十九歳だったことにしたりしました。それに占星術的な話では、土星回帰の周期が二十九年ですよね」
小さな選択が大きな変化をもたらす
本作では選択というのが大きなテーマにもなっている。たとえば前半、清水が参加した飲み会の席で亜衣という女性が出す問題。要約すると、
〈囚人を溺死させるための水牢Aには二百人の囚人が、水牢Bには一人の囚人がいる。実は全員無実の罪。今、水牢Aに水が流れこみ十五分で確実に全員死ぬ予定だが、あなたが水道管のバルブを操作すれば水牢Bに水の流れを変えることができる。その場合水牢Aの二百人は確実に助かるが水牢Bの一人は確実に死ぬことになるが、どうするか?〉
作中では設問はまだ続く。このような命題の時に、人はどのような選択をするのか。
「自分がトロッコの進路を切り替えることで犠牲者の数が変わる、という有名なトロッコ問題という思考実験を僕が水牢というシチュエーションに変えたものです。どちらを選ぶにしても、何か理由がないと自分を納得させられないですよね。でも、どちらかを選べばポジティブな結果が得られるとは限らない。我々が日々選択しなければならないのは、そういうものが多いはず。それを飛び越える選択ができる人が、ヒーローなのかなと思いました」
行成さん自身、幼い頃にはヒーローに憧れる気持ちもあったが、それが薄まったのは、選択の問題にあったようだ。
「大人になるにつれ自分はヒーローになるタイプではないという分別がついてきましたが、自分の場合は諦観というよりも、理屈で諦めたタイプでした。こちら側にとって正義であることでも、あちら側に立てばそうでないこともある。そういう多面性を見ると何も選択できなくなる。でもヒーローというのは、おのれの正義を貫ける人なんですよね」
では、清水たちはどのような選択をするのか。著者が考えていたのは、彼がヒーロー的な選択をしたというよりも、
「彼の選択がヒーローの選択になるんです。それをもたらしたのは彼自身の意志の力ですよね。世間のいいなりになって生きていても、自分の選択がヒーローの選択になりうるというのが伝えられたら、と思いました」
清水たちが向き合う人々も、強烈な個性を持っている。ある人物に関しては、
「感情が一切分からない哲学的ゾンビ、という思考実験のエッセンスを取り入れました。人間の感情が一切なく、でも人間と同じように生活できる存在がいるとしたら、はたして選択をすることができるのかどうか、ということを考えたかった」
一方、行動がすべてヒーロー的になっているのに自覚のない人物も。この人物造形には、独裁者であるヒトラーもヒントになったそう。
「ヒトラーも生まれた時から悪魔のような人間だったわけではなく、時代の流れにそって生きているうちにそうなったんだと思う。彼の場合は演説の天才だったという特性も大きい。でも世の中が違っていたら、彼は人を殺さずに人々を率いるヒーローになっていたかもしれない。独裁者もシリアルキラーも、それを作る人間、社会、世界があって生まれるものだと思うんです」
そうした人物たちとの対話のなかでは、印象的な言葉も次々飛び出す。たとえば清水が「自由に、思うとおりに生きればいいじゃないか」という言葉に対し、“哲学的ゾンビ”が返す言葉。
「この世界に、自由に生きている人なんて、一人もいないよ、清水君。本当に自由になっちゃったら、人は何をすればいいのかわからなくなるんだ」
“自由”とは日頃から理想的な言葉として耳にするが、
「そういう人たちが望んでいる自由というのは、“制限を緩くしてほしい”ということですよね。人間は役割を与えられないと動けないところがある。基本はみんな、他の歯車の動きに合わせて回っている。本当に自分ひとりで右に行くか左に行くか考えなくてはならなくなったら、自由というのは何もヒントを与えてくれない。右か左かを自信を持っていえる人が、ヒーローになれるんですよね」
こうした複雑な問いかけを盛り込み、物語は大きく旋回していく。
一人ひとりの行動について問いかけるような本作。行成さんが今の社会に対して感じていることは何か。
「日本に限らないんですが、極論と極論に分かれすぎているように思います。一度こっちだと選択したら、それ以外の選択に対する寛容さがなくなってしまう。でも、正しいと思って選択したものが本当に正しいのか、つねに噛み砕いて進んでいかないといけないし、自分と違う選択をする人のことも考えていけたらいいのにと思います。すべての人が納得する選択なんてない。一人が死ぬ未来もあるし、一人が助かる未来もある。絶対的な答えはないのだから」
歌詞はもちろん、ラップも作った
今回も過去と現在の場面や視点が次々と切り替わって進んでいく構成だが、もともと事前にプロットを綿密に作るタイプではない。
「どういうことが起きるかは漠然と決めておいて、サブストーリーをたくさん書いていくんです。実際はこの一・五倍くらいのサブストーリーを書いて、そこから取捨選択してどう並べるかを考えていきました」
場面展開については、たとえば『名も無き世界のエンドロール』では映画のカットイン、カットバックを意識したというが、本作の場合は、
「音楽のエッセンスを取り入れて、リズムをフィーチャーしようと思いました。現在のパートは頭の中でのBGMにあわせて作り、過去パートでは普通のリズムで書いています。ラップの歌詞もかなり挿入しましたが、全部フルコーラスで曲をつけています(笑)」
ケンジが歌うラップは〈容赦ねえギラついた太陽 焼けたアスファルト ヒートアイランド〉〈雲ひとつねえ晴天が暗転だ 吠え出す町中の番犬が〉といった歌詞が連なるが、
「ケンジがあまりうまくないという設定なので、格好よくなりすぎないようにしました(笑)。中二病的な発想が全開で、韻は踏ませているけれどダサくしてみたり」
ちなみに、余談で、今後小説以外でやってみたいことは、と聞くと、「作詞」という答えが。
「今回のようなラップの詞ではない歌詞を作ってみたいですね。昔バンドをやっていたのでセオリーはわかっているはずですから(笑)」
デビュー作を刊行して三年して、ようやく第二作、第三作を刊行した。時間があいたことについては、
「兼業していたのでもう一方の仕事が忙しかったんです。昨年の四月に専業になったので、これからはもっと書けると思います」
現在、精力的に書き下ろし小説の執筆や小説誌の連載に取り組んでいる。
(文・取材/瀧井朝世) |