遺影撮影を専門とした写真館
巣鴨の裏通り。煉瓦色の外壁に白い枠線がひかれたレトロな一軒家、そこは遺影を専門にした写真館。芦沢央さんの最新作『雨利終活写真館』は、ここを舞台にした連作ミステリだ。
「もともとテレビの5分ほどのドキュメンタリー番組で、遺影を撮る写真館を紹介していたんです。その人らしい写真を撮るため撮影の前にカウンセリングの時間を設け、好きなものや癖などを聞いたりしていて。こういう場所にはドラマが沢山あるだろうし、それをミステリにもできるんじゃないかと思い、アイデアを温めていたんです。それで、連載のお話をいただいた時に、自分から提案しました」
語り手は表参道の美容院を退職したばかりの黒子ハナ。実は結婚するつもりで辞めた後、相手の男性が既婚者だと判明し、仕事も恋も一気に失った状態だ。そんな彼女が訪ねたのが、巣鴨の雨利写真館。生前ここで遺影を撮影したハナの祖母について、訊きたいことがあったのだ。店にいたのは四十代半ばの終活コーディネーターの永坂夢子、三十半ば過ぎの無愛想なカメラマン雨利、アシスタントで似非関西弁を話す青年、道頓堀。みな強烈な個性の持ち主だ。
「終活が商売の場合の集客力を考えて、場所はおばあちゃんの原宿と呼ばれる巣鴨が浮かびました。行ってみると、すごく活気があって元気な街ですよね。赤いパンツがバーンと売られていたり、喫茶店がにぎわっていたり、お年寄りたちも元気で楽しそうで。終活がテーマだというと小説も重くなりがちですが、この街のエネルギーを作品にもらえたら、それを乗り越えられると思いました」
第1話の終わりで、ハナもこの写真館でヘアメイクのスタイリストとして働くことになる。第2話以降は、写真館を訪れた客たちにまつわるさまざまな謎が描かれていく。
「今回は今までの話の作り方とはちょっと違っていますね。これまではまずトリックを思いついて、そのシチュエーションに合わせて登場人物たちはどんな人だろう、と考えていました。特殊な状況を説得力あるものにするために、いかに現実にいそうな、地に足のついた人たちが書けるか、というところに気をつけていたんです。でも今回の場合は、写真館自体が一般によくある場所。ですから設定の説得力に縛られる必要がないので、キャラクターとしての魅力を出す、という挑戦をしてみました。埼玉県出身なのに、苗字が道頓堀だからという理由だけで似非関西弁を喋る青年や、夢子という名前なのに守銭奴の女性とか。ぶっきらぼうな雨利は実は鋭い観察力を持っていますが、生き生きと推理を披露するのではなく、肝心なことをぼそっと口にするだけ。実はこれは私の個人的な好みです(笑)。ハナは視点人物ですが名前通り黒子のような存在で、みんながワイワイやりながら謎を解いていく様子を、少しだけ距離を置いて見ている存在です」
写真館に舞い込む4つの謎
第1話の謎は、ハナの祖母の遺言状が絡む。手書きのそれには、ハナの伯父叔母への財産分与の指示は書かれていたものの、ハナの母親への言及がなかった。母親は自分は愛されていなかったと思い落ちこみ、心配したハナは祖母の真意を知る手がかりがないかと考え、この写真館に足を運んだのだ。ちなみに故人である祖母は非常にクイズ好きだったという設定で、
「私もこのおばあちゃんみたいなところがあるんです。家で子どもと宝探しゲームをしたり、ホテルの部屋を借りていろんなところにヒントを仕込んで脱出ゲームを作ったりしたこともあります。それでこのおばあちゃんのような人物像が浮かび、そこからトリックも決まっていきました」
2話目は、老紳士が息子と孫と一緒に遺影を撮りたいと希望する。息子の妻はすでに亡くなっており、それ以来息子親子は折り合いが悪い様子。自分の先が長くないと知った父親であり祖父である老紳士が、この先の彼らの仲を心配し、こうした場を設けることにしたのだ。
「これは真相に関するある事実を知って書くことにしたんですが、とてもナイーブな題材なので苦労しました。家族と一緒に遺影を撮る方は実際にいらっしゃるそうです。写真館にも見学に行きましたが、背景が何パターンも用意されていたりして、ビジネスとしてうまく成り立っているなあと感心しました」
3話目は、妊婦とその夫らしき男性が写った古い遺影の謎だ。ひょんなことからそのカップルの娘だという女性が写真館にやってきて、波紋が広がっていく。
「これは私自身妊娠中に書いた話で、妊婦が遺影を撮る、という状況を思いついたんです。ただ、これもとてもナイーブな話なので、実際にこの妊婦さんと同じような体験をしている人が読者だった場合、きちんと配慮がなされているのかどうかが気になって。どういう切り口がいいのか、視点をどこに置くか悩みました。妊婦その人の話にするべきか、その娘の話にするべきか、あるいは男性側から見た話にするか……。3、4パターン書いてみて、結局は娘が謎を持ち込んでくるパターンになりました」
本作がどれも人間ドラマとして胸に迫ってくるのは、作者のそうした心遣いがあるからだろう。やがて明らかになるのは写真が撮られた際の状況だけでなく、そこに写った人々の深い思い、である。
書き直しをしたのはそれだけではない。連載途中で気づき、単行本にする際に加筆訂正した部分もあるという。それは、ハナ自身も大切な人の突然の死に直面した過去がある、という点。
「この小説はちゃんと遺影を残すなど終活をして準備を整える人たちが出てきますが、でもやっぱり死というものは唐突に、理不尽にやってくるんだと思うんです。そうした死とどうやって向き合うかを書きたかった。だから、終活を通して自分の問題を解決していく人たちと、根底に解決できないものを抱えたハナという視点人物を対比させたくなったんです。突然の死に準備できていなくても乗り越える道はきっとある、と思わせる構造を作ることにしました」
きちんと別れができなかったという体験は、ハナにとって大きな悔いになっている。
「彼女にはもちろんお客さんたちを応援していく気持ちもありますが、それと同時に羨ましいとも思っているんです」
だから最終話は、彼女が抱える問題が浮かび上がってくる内容にした。ある日、末期癌を患う男性が、別々の日に若い女性と自分の妻、それぞれとの遺影の撮影を依頼してくる。しかも、若い女性のほうともかなり親密そうな様子。自身も知らぬうちに不倫をしていたことになっていたハナは、彼が堂々と浮気しているようなことに納得がいかず、顧客である彼の指示に背くことをしてしまう。
「1話目でハナの不倫のエピソードが出てきているので、まずその回収をしたかったんです。それに、ハナがまずい行動をしてしまったところから話を始めて、それまでの3話とトーンを変えたいとも思っていました」
後ろめたい思いをする彼女はさらに、過去の辛い死別とも向き合っていくことになるのだ。
どの話も、トリックの真相に向かって書かれているのではなく、その背後で揺れ動いている人の心情を繊細に描き出している点が印象的。結果的にすべてぬくもりのある話になっているのは、そもそも終活というものが、周囲に対する思いやりを含んだ行為であるからだろう。
「そうなんです。終活って、優しいですよね。自分が人生をどう生きてどう閉じるかということと同時に、必ず残された人たちのことを考えて起こされた行動ですものね。最初から終活する写真館が舞台なので嫌な感じで終わる話にはしたくないなと思っていたんですが(笑)、特にこれを書いていた時期は、読んでいて安心できて、救われる思いのする話が書きたいという気分だったように思います」
物語の最後には、落ち込んでいたハナも前向きな姿勢になっていることがうかがえる。その点でいえばこの一冊で話は完結しているわけだが、登場人物たちが魅力的なだけに、シリーズ化も期待してしまう。
「実は雨利、夢子、道頓堀にもここには書かなかった設定はあります。でもシリーズ化はみなさんに読まれるかどうかで決まりますから、今はなんともいえませんね」
どの小説でも生きづらさを書いている
芦沢作品のなかでは珍しくハートウォーミングなこの物語だが、テーマを意識的に変更したわけではなかったようだ。
「もともと、どの小説でも、生きづらさというものにどう取り組むかということを書いてきたつもりです。今回も、大切な人を喪った後も生き続けることは、大変な生きづらさだと思いました。でも、少しでもこのお話が、それを乗り越えることを後押しするような力になれば嬉しいです」
生きづらさを書いたがために、強烈にブラックな結末を招くこともある。2016年に発表したミステリ短篇集『許されようとは思いません』(新潮社)が話題となったが、これにはぞっとするような真実が明かされる話ばかりが詰まっている。
「嫌な話を書こうと思っているわけではないんですよ。ただ、取り返しのつかない犯罪が関わる話を書いた場合は、どうしてもそういう展開になってしまうことが多くて(笑)」
たとえば収録された一篇「目撃者はいなかった」は、仕事上でのミスを誤魔化そうとしたばかりに、まずい状況が重なってどんどん追い詰められていく男の姿が痛快なほどだが、
「ああいうのはトリックを先に思いついて、どんどん掘って掘って掘っていくと、ああいう話になってしまうんです(笑)。実はこの短篇集では、それぞれ憧れの作家の方を意識したものも書いていて、『目撃者はいなかった』は横山秀夫さん。組織の中で働く人が追い詰められていくところをお書きになるので」
ちなみに米澤穂信さん、連城三紀彦さんにも影響を受けているのだとか。納得がいく。
「いずれにせよ私にはつねに、人間には強さや弱さ、ずるさなどいろんな側面があるので、それらを含めて肯定したいなという気持ちがありますね」
もともとはエンターテインメント小説の新人賞出身で、ミステリ作家を志望していたわけではない。だが、これまでの作品はどれもミステリテイストだ。
「新人賞に応募していた最初の頃は、トリックはまったくない純文学系のものを書いていたんです。でもどれも2次や3次に残ることはあっても最終までいくことはなくて。それで話にどんでん返しを入れるようにしたら、すごく楽しかったし、ここでドッキリするだろうなどといった読者視点を理解できるようになったんです。そうした小説を書いてデビューできたので、自分はどんでん返しがあるものではないと駄目なんじゃないかと思うようになっていました」
だが、デビューして6冊発表し、心持ちは変わってきた。
「ようやくどんでん返しを入れないと駄目だというコンプレックスから解放されてきたように感じています。今年の4月頃に幻冬舎から長篇を出す予定ですが、これは最初ミステリのつもりで書いていたんです。でも、真相を隠したまま進めると自分がいちばん書きたい部分が書けないと気づき、最初から書き直してミステリではない内容になりました。もちろんミステリは大好きですし、今後も書いていきます。でも、そうでないものも書いていきます」
堂々とした宣言を聞くことができた。期待大。
(文・取材/瀧井朝世) |