“喪失”がテーマの連作短編集
2010年に「花に眩む」で「女による女のためのR‐18文学賞」を受賞、昨年旅行中に被災した体験を記したノンフィクション『暗い夜、星を数えて─3・11被災鉄道からの脱出─』でその筆力を知らしめ、今年は一人の女性の精神的な成長を描いた長編『あのひとは蜘蛛を潰せない』が話題となった彩瀬まるさん。最新刊『骨を彩る』は連作短編集。実は、2年半をかけた作品だという。
「『暗い夜〜』が刊行された直後にお声がけいただいて、“喪失”にまつわる話を書かないかと言われたんです。そこからプロットを出していきました。『あのひとは蜘蛛を〜』と並行して書いていた感じです」
喪失というテーマを提案された時に編集者に伝えたのは、大きな喪失ではなく、日々の中に潜む喪失を書きたい、ということ。
「被災してまもない時期だったので、震災のことを書くのは難しいと思いました。それに被災した時にお世話になった方々とお会いして話していると、津波でごっそりもっていかれてしまった喪失も辛いけれど、それと同時に日常の細かなことの喪失も辛いんだな、と感じられて。生活感が強いもののほうに、自分の興味が向いていた時期でした」
いろんな人のいろんな喪失を書く。だから短編集になったのは自然なこと。また、その章の脇役が次の章の主人公になるというつながりは、書き進めていくうちに決まっていった。
「第一話に父親の話を書こうと思ったので、最後は娘の話になるといいなと思って。その間はなんとかしていこうと思っていました(笑)」
前作『あのひとは蜘蛛を潰せない』も女性同士の友情を書くつもりが、友情の成立には精神的な自立が必要と考え、最終的に成長物語へと変化していったそうだが、
「書きはじめる前にプロットをきっちり決めるのが駄目なんです。だんだん発想が固くなっていってしまって、飛躍できなくなる気がして。今回は父と娘の喪失の内容はある程度考えておいたのですが、その間の三話に関しては、その時々に関心の強かったことを書いていったという感覚があります」
それぞれ、異なる喪失をイメージしながら書き進めていったという。
「第一話の『指のたより』は、伴侶の喪失を書こうと思いました。ただ死に別れるということではなくて、パートナーに対して“こういう人であっただろう”というイメージの喪失ですね」
妻に先立たれて十年、中学生の娘と二人で暮らす津村は、現在なんとなくつきあいかけている女性がいる。ただ、彼は妻が遺した手帳に書き込まれた一文がずっと心にひっかかっている。さらに、最近妻が夢に出てくるようになり……。
これはアンソロジー『文芸あねもね』に寄せた「二十三センチの祝福」という、サラリーマンの男性と、同じアパートに住む女性との交流を描いたものが念頭にあったという。
「あんな風なしっとりした男女の話をイメージして書きはじめたのですが、書きあげてみると恋愛っぽい話にはなっていませんでした(笑)」
妻が死んでから十年、という月日の設定はどうしてだったのか。
「親しかった人のことをずっと憶えていないと、情が薄いように思えてしまう。でも十年後というのは忘れていく頃かなと思う。私は十五歳の時に母を亡くしたんですが、四、五年経つと夢の中に出てくる母の顔がタペストリーのようになったんです。遺影や死に顔は鮮明に憶えているのに、こういう時にこういう顔をしたという、動きをともなった顔があまり夢に出てこなくなり、十代の私はそれをものすごく申し訳なく思っていました。今は記憶が薄まることについて善悪をつけることなんて必要ないと思えます」
津村もまだ妻を忘れていくことに抵抗がある。
「津村は奥さんが闘病生活を送っている頃にうまくコミュニケーションがとれなくて、そのことを消化しきれずにいる人。亡くなった後で見た奥さんの手帳の一文によって、奥さんと自分が違う人間だということを強烈に感じてもいる。その彼が、自分を守っていた甘い幻を失ったあとに、どう心持ちを立て直していくかを書きたいと思いました」
第二話「古生代のバームロール」は、津村と恋仲になりかけた相手、相沢光恵が主人公。
「そもそもは津村の妻と相似の存在として登場させたんです。津村は妻が好きだけれども手帳の言葉が嫌、光恵も好きだけれども、彼女にも受け入れがたい部分があったんです」
そんな光恵が詐欺まがいのエステで同窓生の一人と再会し、かつ恩師の葬式で他の同級生たちとも顔を合わせることに……。
「かつて仲の良かった女の子を失う話です。ちょうど自分も中学高校の同窓会があって、出席する人って、わりと今なんとかなっている人たちだけなんだろうなと感じて。問題を抱えている人は来られないだろうと思ったんです。それと、自分がエステ詐欺にあった体験が合わさって、こうなりました(笑)」
光恵の場合、そのエステの従業員が懐かしい同窓生だったというわけだ。年月を経て彼女たちの心情にはそれなりの変化が生まれている。
「教室の中はうっすらとした区分けがありますよね。運動が得意な子・苦手な子、明るい子や明るくない子。同じ区分けの人と仲良くしておいたほうがいいという感覚があったと思う。でも大人になるともう一緒に行動しなくてよくなるので、その子に対する自分の感情を素直にわかるような気がします。仲良しだったけれど実は嫌いだったということもあれば、違う区分けにいた子に話しかけやすくなったということも」
第三話の「ばらばら」は、前話で光恵から育児と家庭と仕事、すべてをこなして「人生にとりこぼしがない」と言われた同窓生の玲子が主人公。実際はあれもこれも背負い過ぎていて押しつぶされそうになっていた彼女は、夫の勧めで一人旅に出て、雪の松島を訪れる。
「これは自分が今まで生きてきた姿が、実は“骨”を失っていたのではと気づいて、なんとかしようとする話です」
作中で玲子は語る。「私の中で、いつも、骨みたいなものが、足りなくて」。両親の離婚、母の再婚、転校した小学校でのいじめ……。少しずつ、彼女が背負っているものが明らかになっていく。
「しっかりしている人って、幼少の頃からある程度負荷を背負って、耐えてきた人が多いんじゃないかと感じていたんです。そのイメージでキャラクターを作っていきました」
道中彼女が知り合うのが、サクラコという少女だ。立ち往生した真っ暗なバスの中で「怖い」と言って話しかけてきたのだ。
「この短編のなかでは、サクラコは玲子とは逆のタイプに見えるように考えました。サクラコは人に“助けて”と平気で言えるような、いってみれば自己開示することを恐れない。玲子はそれができない人だったんです」
サクラコとの出会いを経て、幼少からの思い出、現在の家族のこと、不器用な義父のことなど、さまざまな思いが彼女の胸をよぎる。そうして彼女は、自分を受け入れていく。本書が“喪失”を描いた小説だといっても、決して孤独や寂しさが主題ではないことがよくわかる。
「何かが欠落しているのは仕方がないとして、それを認識することで、埋めるなり補てんするなりできる。そういう色合いの強い話にしようと思ったのが、一話から三話ですね」
第四話「ハライソ」はかなりテイストが変わる。ネット上のゲームに参加して、長年にわたってチャットで交流してきた青年、浩太郎と年下の少女(実はサクラコ)の話だ。実生活での浩太郎は人付き合いが下手で恋人もできずにいるが、少女に対しては気さくだ。
「三話まで書き終えた時、わりと深刻な話が続いているので次は明るい喪失を書こうと考えたんです。となれば童貞喪失だろう! って(笑)。大学生がサクラコと出会うには普通のチャットでは考えにくい。共通の趣味があったほうがよいと思い、架空のゲームをつくりました」
つまりは青年の恋が描かれるわけだが、相手はサクラコではない。むしろこの二人の間には恋とは無縁の友情めいたものが育まれていき、それがなんともくすぐったく、微笑ましい。
「書いている時は必死でした。サクラコも玲子に相対していた時より甘えた気質が出てくるだろうと思って加減を考えましたし、なにより25歳の童貞男性の気持ちがわからなくて苦労しました。伊集院光さんとみうらじゅんさんの『D.T.』も読みました(笑)」
という本編は胸をキューンとさせながら読み進められるお話になっている(童貞に悩む男性が読んだらどう感じるかはわからないけれど……)。
希望を持って閉じられる円
そして最終話は、第一話の津村の娘、小春が主人公だ。自分の家は母親がいない「欠けた家庭」だと感じている彼女が共感を覚えたのは、中学二年生の時に転校してきた葵。彼女は昼食の前にお祈りを欠かさない。どんなに周囲から白い目で見られようと。
「はじめからい“ない”と言われていること、つまり母親がいないということについて、きちんと対峙しようとする話です。私も思春期の頃、周囲の大人が母を亡くした自分のことをどう扱えばいいのか困っているのを感じていました。労られると逆に自分がハンデを背負ったと実感させられているみたいで、反発していた時期もありましたね。小春についてはそのことを思い出しながら書きました。対になる葵の宗教についてのくだりも、自分の実体験がもとになっています。7歳くらいの頃にアメリカに住んでいたのですが、行く前に両親から“向こうにはいろんな宗教があるけれど、うちは無宗教だからね”と言われていて。それで、学校で仲良くなった男の子に“キリスト教は好き?”と訊かれて“嫌い”と言ったら“僕はキリスト教信者なんだ”って、悲しそうな顔をされたことがあったんです。大失態ですよね。日本人は自分と違うものを信じる人との接し方に慣れていない。そのことを思い出しながら書きました。ただ、宗教のことを書こうとしたわけではなく、自分が選んだわけではないのに背負うことになったハンデの話として書きました」
家族や友情についての繊細な心の揺れ、悠都という少年との恋も描かれていくが、
「自分が安定して書けるキャパシティよりも外に風呂敷を広げた感があって、必死でした。どうしたら小春が葵や悠都ときちんと対峙したことになるんだろうと悩んでいるうちに、100枚を超えてしまって」
書き終えた時に何かが足りない気がした。
「第二稿の時に、最後の数行に父親の津村を登場させたんです。そのシーンがあると、この本のはじめと最後がつながって円になるんだと気づいて自分でもびっくりしました。それで安心したこともあって、五話の小春と葵のやりとりなどを掘り下げることができました」
読み終えた後、カバーイラストに描かれた、黄金色の銀杏の葉の降る様を改めて美しく思える。喪失から一歩踏み出していく人々を、その黄金色が包んでいるように感じられて。
タイトルにもあるように、本書の中にはたびたび「骨」という言葉が登場する。
「場面によって意味合いは多少変わっていますね。玲子が“私には骨みたいなものが足りない”と言う時は、人として備わっているべき情緒が足りないという意味合いだし、小春が“自分の骨を蝕んでいる黒いしみ”という時の“骨”はもう変えようのない、自分を形作っているものという意味もある。人によっては“骨”=“心”と解釈する人もいるようです。読み手がいちばんしっくりくる捉え方をしてもらえたら」
それにしても改めて、彩瀬さんの文章の確かさには唸らされる。
「書き下ろしだったので、一編一編ものすごく時間をかけて書きました。気にしているのは、たぶんリズムだと思います。この流れではここで一回文章が切れるのがいいな……などと考えながら書いているので」
長編、短編、連作短編と毎回趣向を変えたものを発表しているが、
「今回の連作短編では、お父さんの津村をいろんな視点で書くことができたのは面白い体験でした。長編も短編も連作も、どれが自分に向いているかもわかりませんが、完成度の定義が違うんだということがわかった気がします」
現在は『小説宝石』に連載した連作短編を手直し中。こちらはコメディ調だという。
(文・取材/瀧井朝世) |