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彩瀬まるさん『やがて海へと届く』
自分もいつか死ぬということを前提に生きると、それまで迷っていたものがちょっと減っていく気がします。
彩瀬まるさん『やがて海へと届く』
 東北を一人旅している途中で東日本大震災に遭遇した彩瀬まるさんが、その時から心に抱いていた思いを小説に投影した。『やがて海へと届く』は、遺された生者だけでなく、死者もが登場し、日常と幻想が重なりあっていく長篇。体験者として、そしてそれを言葉化できる筆力を持った作家として、彩瀬さんにしか書けない世界が広がる本作。そこには、著者の切実な思いが詰まっている。
彩瀬まる(あやせ・まる)
1986年生まれ。2010年「花に眩む」で第9回「女による女のためのR‐18文学賞読者賞」を受賞しデビュー。著書に『あのひとは蜘蛛を潰せない』(新潮社)『骨を彩る』(幻冬舎)『神様のケーキを頬ばるまで』(光文社)『桜の下で待っている』(実業之日本社)がある。自身が一人旅の途中で被災した東日本大震災時の混乱を描いたノンフィクション『暗い夜、星を数えて ──3・11被災鉄道からの脱出──』を12年に刊行した。

被災した時から抱いていた思い

 2011年3月、彩瀬まるさんは一人旅の途中で被災した。その体験はノンフィクション『暗い夜、星を数えて──3・11被災鉄道からの脱出』に詳しい。新作『やがて海へと届く』は、その時から抱いてきた思いを2年越しで小説の形に完成させた作品だ。

「2年ほど前、小説の依頼をいただいた時に、震災で考えたことを要素として入れないか、と言われまして。はじめはいろんな方に手にとっていただくには、その要素が強くなりすぎないようにしたほうがいいのかなと考えていました。でも書き始めたら、中途半端に書くよりも、正面から書いてしまったほうがいい、という感覚に変わっていったんです」

 単行本の帯の裏表紙の部分には、本文のなかからの引用がある。

〈惨死を越える力をください。どうかどうか、それで人の魂は砕けないのだと信じさせてくれるものをください。〉

 この切実な思いは、小説とは別に、あの日以来彩瀬さんの心にあったという。

「あの震災で死にかけた体験をして東京に帰ってきた時、この世が望みがないものに思えたんです。何か、裏切られたような気分でした。あのまま死んでいたら、恨みや悔いが強く残されることになると思いました。じゃあ逆に、理不尽な死に遭っても恨みや悔いをあまり残さないように生きる、というのはどういうことだろうと思って。心を折らずに死ぬにはどうしたらいいんだろう、とずっと考えていたんです。だからそうした気持ちに対して、回答を出せるようなものを小説で書こうと思いました」

3年前、親友を喪った女性

 東京で大学を卒業後ホテルのダイニングバーで働く真奈には、すみれという親友がいた。3年前、ふらりと旅に出てそのまま消息を絶った彼女は、おそらく東北で震災にあったのだろうと言われている。ある夜、すみれの恋人だった遠野が店を訪れ、彼女と住んでいた部屋を引き払うので荷物を処分したいと言う。すみれを過去の人として扱う彼に真奈は反発をおぼえる。

「いま自分が体感していることを書こうと思いました。震災から5年が経って、真奈のように死者が遠ざかっていく感じは私にもあります。そういう時、死者にずっと誠実であろうとしても、それは嘘になるかもしれない。どうしたらうまくいくのかを考えました」

 親友の死を認めることに抵抗を感じ、心のなかで大切にし続けようとする真奈と、荷物を処分して次の一歩を踏み出そうとする遠野。また、すみれの死をいちはやく受け入れた彼女の母親も登場する。死者に対する思いはそれぞれで、もちろん正解はない。

「真奈を依怙地で潔癖な人にしようというのはありました。遠野くんは逆に、ひとつの諦めを持っている人にしました。その諦めの源は、彼自身の持っている、人は誰かに救われはしないという哲学にあります。実は、私の根っこは遠野くんに近いんです。だからこそ、あえて自分とは違う考え方をする人を主人公にしました。そのほうが、自分のなかにはない結論に辿りつくことができるんじゃないかと思いました」

 親友の死と誠実に向き合おうとする真奈は、そこからどう再生していくのか。

「書き始めた時は、自分も何が再生になるのかが分からなかったんです。でも半分以上書いたあたりから、すみれの死を受け入れるかどうかというよりも、彼女自身が、自分の人生を生き始めないといけないんだ、と感じるようになりました。真奈はすみれのことをずっと可哀相なんじゃないかって思っていますが、そんなふうにもっとも救いのないことだけを信じているのではなく、違うことを信じなくてはいけないんじゃないか。楽観とはまた違う、信じることが後半のテーマになっていきました」

 そんなふうに考え方を変えていくのは簡単な道のりではない。いなくなった人を忘れることには、罪悪感だってつきまとう。

「置いていっているような気分になるんですよね。でもそうじゃないんだと、書いているうちに感じるようになったんです」

 真奈がそう気づくのは、震災とはまったく異なるところでの死との遭遇も大きい。知人が突然自殺してしまうのだ。

「真奈はすみれの死だけを特異なこととしてとらえているので、そうではないところでも死は存在するんだと気づかせようと思いました。自殺した理由は真奈には分からない。そのことで“人のことは分からない”ということにも気づかせたかった。真奈はすみれのことをすごく思ってきたけれど、真奈が考えているすみれは、本当にすみれそのものかどうか分かりませんよね。真奈の夢には、自分にとって都合のいいすみれの幻が出てくるんですから」

 生者にしろ死者にしろ、人は他者のことを、自分というフィルターを通してしか見ることができない。

「そうですよね。でもそれ以外に、他人を知る方法はないと思う。だから、真奈の言う“死者に対して誠実である”という概念は非常にもろい。生きている間はみんな相手が他人だということを分かっているのに、死んだとたんに、生きている当時よりも自分に近い存在、ひいては自分が何かしなきゃいけない存在として扱いはじめることがある。それに、死者のことを考えている間は、自分のことを考えなくてすむ、という側面もあります。書き進めているうちに、もしかしたら、もうちょっと他に考える余地があるんじゃないかなと感じるようになりました。たとえ傲慢に見えたとしても、もっと自分が生きることに注力すべきなんじゃないか、という考え方に変わっていきました」

 また、真奈に客観性を与える存在も登場する。

「真奈でもなく、遠野くんでもない考え方を持った人が必要でした。それで、彼らとはまた違う価値観を持った人を出したんです。でも、人に寄りかかって再生していく話にはしたくなかった。真奈には、自分の結論を自分で出してほしいと思っていたので、決して支えてくれるような存在にはしないとは決めていました」

 そしてもうひとつ、思っていたのは、

「死者を思うことは、生者の回復過程として必要なことだけれども、生きている人が死んだ人のダメージや欠落を補うような献身の仕方はあまり効果のないことですよね。人生でえぐり取られたものは、生きていても死んでいても、その個人が埋めていくものなんだということは感じていました」

 真に他者を尊重するとはどういうことか、それすらも考えさせられる内容だ。

 本書には死んだ人間も登場する。実際に死にかけた体験をした彩瀬さんにとっては、それも書かなくてはならないことだった。

「どうしたら説得力のあるように死者を書けるのか、悩んでずいぶん時間がかかりました。生きている人にとって都合よくしてもいけないし。でも、編集者と話している時に、“死者は歩き続ける”という言葉が出てきたんです。死んだ人は死んだところに留まっているイメージがありますが、もしも自分が死んで魂だけになって、誰も助けに来られないという時、自分だったら未来永劫そのままでいようとは思わない。私も被災した時、あっちを選んでいたら死んでいた、という道があるんです。もしその道で死んだとして、あの場所にずっといるだろうかと考えた時、自分は歩き去るだろうと思いました」

 では、どこに向かって歩くのか。

「どんなに歩いても帰る手段が断たれている、ということが暗示されるように書きました。持っていたものをどんどん失っていくんだろうなと考えて、ああいう書き方になりました」

 生者に関しても、死者に関しても、本書の結末は想定せずに書き進めていったという。

「お読み頂くと、いかに作為が無いか分かって頂けると思います(笑)。事前に頭で考えたことを書くのはこの話にふさわしくないと思っていたんです。結局、何度も書き直しました。今は、ずっと、いずれなんとかしなきゃと思っていたことをやっと書けたという気持ちでいます」

 タイトルは最後に決まったという。

「これもすごく悩みました。水のイメージが強かったので最初は“河”という言葉が浮かんでいたんですが、もっと広い印象があるように“海”にしました。“至る”という言葉も考えましたが、最終的には自力で行くという感じが出るように、“届く”という言葉を選びました」

“真っ暗”との闘い

 実は、本書の刊行に際して、著者が寄せた文章がある(講談社の本書の特設サイトで閲覧可能)。この本を書くに至るまでにどんな思いがあったのかがよく分かる、切実な内容だ。

 震災以来、著者の中にはいつも〈冷たい石のような不信が残っていた〉という。〈家族になにかを聞かれるたびに「真っ暗だった」と言いました。〉〈それまで漠然と抱いていた、自分がこの世から歓迎されているという期待も、すべてが「真っ暗でなにもない」と感じました。〉〈真っ暗のままもとの暮らしに戻り、一人の大人として生きていくのは辛かった。なので、私は私を回復するための物語が必要でした。〉

 いちばん先にこの物語を必要としていたのは、彩瀬さん自身だったのだ。書き終えた時、著者のなかではどんなふうに気持ちは変化したのか。

「書く前はとにかく“真っ暗なもの”について何か闘う術を模索している気持ちでした。でも打ち合わせのなかで“死者は歩くんじゃないか”という言葉が出てきたり、理不尽な死にあってもそれまで体験したことは奪われないんだと思ったり、自分の死を身近に感じることができた。だからもう、裏切られたという気持ちにはならないんじゃないかと思います。この世の中がこういうものだということを知って、その上で生き残る最善の道を模索しようという気持ちになれました。人の魂は砕けないと信じることはできる。これを書いた道のりは、その信じる力を得るための道のりだったと思います。ただ、読者の方にとって完全に心地いいものにはなっていないと思います。受け止めていただけるか、不安な部分はありますね」

 これまでも彼女の作品には死が盛り込まれることはあった。だが、自身のなかで死というものの感触が確実に変わったわけだ。

「“自分の死”というものが射程に入ってきたことが大きな違いですね。今までは遠くにあってピントがずれてよく見えなかったものが、近くにくっきり見えたような感覚です。自分もいつか死ぬということを前提にして生きると、それまで分からなくて迷っていたものがちょっと減っていくような気がします。無限だったものが有限だということに気づいたというか。イメージとしては、歯磨き粉のチューブがあるとして、中味が半分くらい残ったまま死ぬのは苦しい。全部ぎゅーっと絞って使い終わって死にたい、という感じが強くなりました。毎日毎日、限られた時間のなかでやりたいことをやったという自覚や充足感がほしい。やりたいことではないことに時間を使って生きるのは辛いので、そういうことは断ち切りたい、という気持ちも強くなりました。それと、自分が死ぬと思わないでいることと、死は日常のなかにある当たり前のものとして認識していることとでは、同じような理不尽な死に直面した時に心のあり方が違うんじゃないかと思います」

 こうした肯定的な境地は、著者のような経験を経ていなくても、きっと本書を通して読者にも湧きおこるに違いない。

 ずっと心に溜まっていた思いを長篇第二作として完成させ、今後も歯磨き粉の中味をぎゅーっと出し切るように、精力的に書いている。

「夏ぐらいには、『小説新潮』で書いていた短篇をまとめたものを刊行したいと思っています。これはホラー、幻想文学の短篇集になります。その先には、『読楽』に書いていた話を単行本にまとめる予定。これは真夜中の掲示板に集まった人たちが登場する連作短篇集です」

 

(文・取材/瀧井朝世)
 

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