東ドイツに留学した日本人
1989年、敬愛するバッハを育んだ空気の中でピアノに向き合いたいと願い、東ドイツはドレスデンにある音楽大学に留学した眞山柊史。しかし彼は天才ヴァイオリニスト、ラカトシュ・ヴェンツェルの伴奏を引き受けたことから彼に振り回され、自分の音を見失ってスランプに陥ってしまう──須賀しのぶさんの『革命前夜』は、ベルリンの壁が崩壊したあの年を、東ドイツにいる日本人の視点から描く歴史エンターテインメント。これまでもナチスの情報部員と聖職者、2人の青年の運命を追った『神の棘』や、明治期に大陸に渡った女性が波瀾万丈の人生を歩む『芙蓉千里』など骨太な歴史ロマンを発表してきた須賀さん。
「今までは第二次世界大戦までの話を書いてきたので、そろそろ現代を書きたいと担当者と話していたんです。リアルタイムで知っているなかで一番印象に残っている年といえば、やはり1989年。中国で天安門の失敗があって、民主化の波が叩き潰されてから半年もたたずに、死者を1人も出さずにベルリンの壁が崩れて驚き、感動したんです」
歴史好き・ドイツ好きだった高校生の須賀さんは、壁が崩壊した日は嬉しくて学校を休み、ずっとニュースを見ていたという。その1989年を描く時に、東ドイツを舞台に選んだ点については、
「内側から書かないと意味がないと思いました。ただ、『神の棘』を書いた時、ドイツ人を主人公にしたことで読者の共感が得にくいのでは、と指摘されたんです。それは承知の上で書いたものだったんですが、今回のように冷戦下の東ドイツとなると日本の読者にはかなり遠い存在。やはり共感しやすい日本人の視点が欠かせないと思いました。外交官や仕事で東ドイツに住む主人公にする案もありましたが、それよりも当時、壁の崩壊に驚いた高校生の私に近い人間にしようと思いました。それで大学院生にしたんです」
ピアニストを目指す青年にしたことにも理由がある。
「東ドイツに留学するとなるとジャンルは限られてくる。音楽か体育が法学か医学か文学か……と考えた時、世の中と動乱とリンクさせて書けそうなのが音楽だと思いました」
眞山が愛するバッハをはじめさまざまな楽曲も登場し、その音楽の表現の的確さに溜息が出る。
「日本人誰もが知っている東ドイツの人を考えた時、東ドイツといえばザクセン、ザクセンといえばバッハだろう、と(笑)。私自身はワーグナーやブルックナーばかり聴くので、実はバッハは有名なものしか知らなくて。ピアノも弾けないんです。だから曲を表現する場面は涙目になって書いていました(笑)。でもピアノリサイタルには積極的に行って、目を開かされたのはいい経験でした」
眞山が留学するドレスデンは、第二次世界大戦で壊滅的な爆撃を受けた街としても知られているが、実際に音楽大学があるという。
「はじめは東ベルリンや、革命の発信地となったライプツィヒも考えたのですが、大学の資料がまったく手に入らなかったんです。でもドレスデンの音楽大学に留学していた女性にお話を聞くことができたので、この街を書くことにしました。小説内の、大学のカフェテリアの料理から蜘蛛が出てきた、というエピソードはその方の実際の体験。定期的に演奏会があったことや、留学生が他の学生とは別の練習室を与えられていたことも本当のようです」
音楽を志す学生たち
眞山はヴェンツェルのほか、彼とは対照的に正確無比の演奏をするヴァイオリニストのイェンツ、ピアノ科の北朝鮮からの留学生の李英哲やヴェトナムから来たスレイニェットとも距離を縮めていく。一方、町の教会で圧倒的な演奏をしてみせた美しきオルガニスト、クリスタと親しくなろうとするが、けんもほろろな扱いを受けてしまう。
「登場人物は役割が決まっていったので、そこから自然と彼らの方向性、音楽性が決まっていきました。ピアノに自分の個性が出せずに苦しむ眞山は、等身大の青春の悩みを持つ人間。男性にしたのは、相当きつい体験をさせることになるので。ヴェンツェルには・破壊者・のイメージがありました。周囲を打ちのめしてばかりのかなりのクズ人間ですが(笑)、こういう世界で生きている人間はこれくらいでないと、と思う。以前指揮者の方の対談の記事を読んでいたら、当時のヨーロッパで出世する条件はとある国の出身でゲイであること、とあって。冗談まじりだとは思いますが、そこから彼の設定が決まりました」
ヴェンツェルのライバルでもあるイェンツに関しては、
「私には海外が舞台の場合、意識的にとり入れているパターンがあるんです。トーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』などの彼の作品では、大衆と合理性の象徴=金髪、芸術の象徴=黒髪なんです。マン自身は黒髪側の人間ですが、金髪の明朗さにも憧れていて、そのアンビバレンツが彼の多くの作品に見られる。今回、それでヴェンツェルを黒髪に、イェンツを金髪にしました。ヴェンツェルは大衆に対する憧れなど皆無ですが」
クリスタをオルガン奏者にしたのは、バッハといえばオルガン曲も有名であるため。
「本当は主人公をオルガン奏者にしようと思ったのですが、そうなるとオルガンについて説明するだけでページを割いてしまう。音楽小説にするつもりはなかったので、それなら誰もが知っているピアノにしようと思いました。それで、自然とオルガンはクリスタが受け持つことに。彼女に関しては“ツンデレ”ということは決めていました(笑)」
李やスレイニェットに関しては、北側の国からの留学生がどれほどのものを背負っているのか、西からの眞山との違いを感じさせる。
「社会主義国間での留学はよくあったようです。スレイニェットにはモデルがいます。ヴェトナムからソ連に留学した青年が、最初は非常に繊細な演奏をして周囲を驚嘆させていたのに、1、2年したらただの人になったという話を聞いたんです。悲しいけれど本場の厚みに負けたのかな、と思う」
学生たちのさまざまな思いと思惑が交錯し、やがて危い事件も起きる。そのなかで眞山は演奏家として、人間として成長していく。
「学生の話にしたからには、その人間関係と成長に主眼を置かなければ、とは思っていました。眞山はなかなか自分から行動する人間ではありませんが、芸術家というのはいい意味で自分しか見ていない人たちなので、これくらいの配分でいいのかな、と思っています。ただ、もう校了だという頃に、小説の中にも出てくるシュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン管弦楽団)が来日したので聴きに行ったんです。演奏した曲は小説とは関係ありませんでしたが、音楽を聴いた瞬間に湧いてくるものがあったんです。それで、話の終盤の、眞山とある人物の対話の部分を書き直しました。言葉が誘発されるという体験だったので、音楽の力というものを身をもって知りました」
また、彼らの成長の背後では、世の中全体の空気も変わっていく。
「ベルリンの壁の崩壊までを書くことは決めていましたが、そこに至るまでは手探りで書き進めていきました。本当は、壁の崩壊後に、東ドイツには秘密警察の密告者がいたるところにいた、と分かる後日談も書きたかったんです。90年代には自分の夫が密告者で、自分を監視していた、などと、人間関係が崩壊するような事実がたくさん明るみに出たそうです。それは面白いなと思うのですが、やはり今回の小説は民衆の言葉が勝ったという高揚感の中で終わらせたかったので、省いてしまいました」
本作の中でも密告者の存在が見え隠れし、当時の東ドイツが不穏な監視社会であったことがうかがえる。ただ、社会制度は充実していたようで、西側に移住した老婦人が、生活が苦しくなった、と吐露する場面も。
「今のドイツにはオスタルギーという(オストは「東の」意味)、東ドイツを懐かしむ風潮もあるようです。東ドイツの雰囲気のカフェが流行っていたりする。社会制度も、特に東出身の老人は昔のほうがよかったと言うそうです。ドイツ初の女性首相であるメルケルも東の出身ですが、女性がバリバリ働けるよう赤ちゃんを預けるシステムも万全だったから、首相にまでなれたのではないかとも思いますね。ただ、どの資料を読んでもトイレットペーパーが紙やすりのようだった、という不満は見かけました(笑)」
ナチスに興味を持ったのは10代
須賀さんは中学時代から、『三国志』を読むなどして歴史好きな自分に目覚めていった模様。ではなぜ、ドイツに惹かれたのか。
「中1の時にトーマス・マンを読んだら面白くて衝撃を受け、それから……非常に言うのが恥ずかしいんですが、ショーペンハウアーやニーチェにいったんです。ニーチェなんて特に、中2心を直撃するんですよね(笑)。そのあたりの思想はヒトラーに利用されているのでナチスに興味を持ち、ウィリアム・L・シャイラーの『第三帝国の興亡』を読んだら、私の知っているナチスとは全然違うことに驚いて。著者はアメリカ人で、もちろんナチスに批判的なんですが、それでも出てくる人みんな、どこか魅力があるように感じられる。それに、当時の社会があまりにひどい状況で、そりゃあみんなナチスに一縷の望みを抱くだろうな、と感じたんです。歴史というのは結果ではなく原因を見るべきなんだな、と思いました」
実は須賀さんがいちばん書きたいのは、第一次世界大戦後のワイマール共和国だとか。
「あそこからナチスになだれこむまでの流れが混沌としていて非常に面白いんです。トーマス・マンの小説にも通じますが、ドイツというのはロマンチシズムと合理性という極端なものがより合わさっているように思う。それがいちばん顕著に出ているのがナチズムで、あの爆発力はドイツでは宗教改革に次ぐくらいじゃないかと思います。ただ、ナチスならまだしも、さすがにワイマールとなると興味のある日本人読者は少ないかも……(苦笑)」
スランプを抜け出して
ところで、本書に取り掛かる前くらいまでは、スランプを感じていたという。
「だからスランプに悩む眞山のことはとても書きやすかったです(笑)。どういうスランプだったのかというと、たとえば『神の棘』は1700枚もありますが、私にとっては少ないんです。それまで書いてきたライトノベルではキャラクターの視線で心情の変化を丁寧に書くので、ものすごく枚数が多かったんですね。でも、もうそのやり方はいけないと思った時、眞山が自分の音は何だろうと悩んだように、私も自分の言葉って何だろうと悩みました。今までライトノベルを書いてきた16年間を全部否定しなければいけないのかな、と。それで、16年間のプライドを全部捨てて、もう1回自分が書いてきたものを見直すことにしました。初心に帰ったんですね。それでいろんな書き方をしているうちに、なんとなく見えてくるものがありました」
現在は大正時代の物語を執筆中であると同時に、ポーランドを舞台にした新連載を準備中。そして文庫化のために、『神の棘』を大改稿中なのだとか。これは6月に新潮文庫から刊行される予定。この『革命前夜』と併せて読むのもよいだろう。また、7月には集英社オレンジ文庫から高校野球をテーマにした短編集が刊行される予定だ。
(文・取材/瀧井朝世) |