殺人が肯定された世界を描く
100年前、殺人は悪だった。しかし現在は10人産めば、1人殺してよいという〈殺人出産制度〉が施行されている。出産とセックスは切り離され、子供は人工授精で産むものとなった世の中で、人口減を食い止めるために導入されたのがこの制度であり、希望者は「産み人」となり、周囲からあがめられる存在となる。男性も人工子宮をつければ、産むことが可能だ──村田沙耶香さんの新作『殺人出産』の表題作は、そんな近未来が舞台である。
「去年、殺人についての小説を書こうとしたのですが、300枚ほど書いてもうまくいかなくて。その時は、殺意を持っている人たちが自助サークルで殺さないように励まし合う話だったんです。編集部から一回それを捨てたほうがラクになるんじゃないかと提案されて、今年のお正月から10人産んだら1人殺せる、という新たな設定に取り組んだら、一気に書き上げることができました」
つまりは殺人を否定するのではなく、肯定する世界に設定を変更したら筆が進んだということ。殺人といえば以前『ギンイロノウタ』でも私たちと同じ社会のなかでの少女の殺人衝動を描いていたが、今回はそれとも異なる。
ただ、村田さんはこれまでも既存の社会のルールに疑問を呈する作品を書いてきた。昨年の『新潮』1月号では、人が亡くなった時、故人の肉を食す儀式が一般化した社会を描いた『生命式』を発表したが、
「人肉を食べる行為が書けたことが嬉しくて、もっと究極のタブーについて書いてみたくなったんです。それで今回、殺人を選びました。タブーはなぜタブーなのか、疑問なんです。人肉を食べる部族もいるのに、なぜ日本に生まれてきた私たちは食べないのか。殺人はなぜタブーなのか、許される世界があるとしたらどういう世界なのか。そういう根源的なことは小さい頃からずっと考えてきたのですが、ここ最近小説のテーマにできるようになりました」
主人公は殺意を抱く人間ではない。育子はごく一般的な生活を送る会社員だが、彼女には「産み人」となった姉がいる。一方、職場に派遣されてきた早紀子は殺人について否定的な意見を主張する女性で……。
「主人公はニュートラルにして、今の世界と昔の世界、両方の残酷さを知っている人にしようと思いました。姉のような産み人は今の価値観に呑み込まれているし、といって早紀子のような人も、昔の世界の正義にとりつかれている。どちらの立場から書いても、世界の見え方が平坦になってしまう」
時代が移ろえば、社会のルールも価値観も変化していくもの。絶対的な正義は存在しないということを分かっているのが育子だ。
「私も正義や正しさは変化していくという気持ちがあります。家族の影響で、小さい頃から感情的な正義というものに対する、冷静な意見を聞くことが多かったからだと思います。正義というものに感情を持ち込んだり、美談にしたりすることは怖くて危険。その危険さを、究極な形で書きたいという願望があるんです」
育子だって、誰かを殺したいほど憎いと思うことはある。でもその感情は長続きはしない。本書の中でも、人は一生のうち一度は殺意を抱くものであり、思春期や社会人になって数年後といった時期に殺意が芽生えがち、などのデータがまことしやかに言及されるが、
「それっぽいデータを置いてみました(笑)。例えば思春期の頃は自殺願望を抱きやすいと聞きますが、その反動で殺意も抱きやすいのではないかと思うんです。自殺願望は口にしても、殺意は人に言わないだけなのでは」
持続する殺意とは何か。「産み人」が10人産むには少なくとも10年はかかるが、
「自助サークルの話を書いた時には、衝動的な殺意という要素が大きかった。設定を変えて10年も続く殺意というものを書きながら考えた時、殺意であってもその一途さは、何か神聖なもののような気もしましたね」
育子の姉、環の場合は特定の誰かが憎いわけでなく、人を殺してみたいという快楽殺人の衝動を抱えている。
「小さい頃に虫を殺した時の残酷な好奇心を思い出しながら、それを登場人物の身体の中に埋め込んで極端に育てて、環という人物を作っていった感じです。私もさすがに殺人はいけないことだと思っているんですが(笑)、だからこそ書きたかったんです」
その「殺人はいけない」という思いは、生来自分の中にあったものなのか、社会の中で埋め込まれたものなのか。
「そうなんですよね。殺人も人肉を食べることも近親相姦も、たぶん人からいけないことだと教わったもの。無人島で動物と育っていたら、タブーだと思わない気がするんです。人は『自分は人間というものだ』と洗脳されて人間になっている気がします。じゃあ、今自分を人間たらしめているものは何であって、それを抜き取った時に自分には何が残るのか。そういうことを悶々と考える、暗い子供でした(笑)」
だからこそ、既存の価値観が壊れた時の人間について、村田さんは書く。
「今の社会とは違う形で人間が人間になっている様子を書いてみたいですね。こちらの“正常”という基準だと発狂しているように見える状態が正しい人間の姿である、ということをすごく書きたいと思う。書いても書ききれなくて、何度も書いてしまう」
生理的感覚が植え付けられた瞬間
今作は近未来の世界設定もユニークだ。
「未来の世界を想像してルールを構築するのが楽しくて。時間とページ数があれば、もっとセックスについても書いていたと思います。出産するためにセックスをする必要がなくなっていくと、同性愛だってもっとナチュラルなものになるかもしれないし、どんな可能性が出てくるのか好奇心があります」
また、「産み人」は自分が殺す「死に人」を選べるわけで、人々はいつ自分が指名され殺されるか分からない世の中だ。作中には「生きていることが尊く感じるよね」というお気楽な台詞も飛び出してくる。
「誰でも自分が死に人になるのは嫌だろうから、実現が難しいシステムですよね。でもそれこそ感情的な正義を持って、自分が死に人になることを美化して、センチメンタルな気持ちで受け入れる人もいるかもしれません。どういう世界であっても、人はそういう感傷で世界を受け入れているんじゃないか、とも思います」
細部では、ヘルシー食品として昆虫食が流行り始め、セミのスナックを少女が美味しそうに食べていたりする姿もユニーク。
「父が長野県出身なのでイナゴは平気で食べられるんです。でもセミを食べるとなると、ぞわっとします。そのぞわっという感覚は、植え付けられたものじゃないかなと思うんです」
実際、生理的な好悪の感覚を植え付けられた、と実感した思い出が村田さんにはあるという。
「以前エッセイにも書いたのですが、生まれてはじめてゴキブリを見た時に、黒くてきれいな虫だって思ったんです。でも父と兄の怯える反応を見て、これはすごく汚くて恐ろしいものなんだって知ったんですよね。あの時の二人の身体の動きはすごくよく憶えています。次に見かけた時は、私も怯えました。実は父も、はじめて見た時にきれいな虫だと思ったそうなんです。生理的な感覚なのに、そうして植え付けられていくというのが不思議だし、解明したい」
殺人を経て訪れる変化
環のことも早紀子のことも公正な目で見ていた育子だが、終盤にはある決意を表明する。
「彼女が変化したのは、殺人のシーンを書いたことが大きかったですね。悪ではなく、残酷でも不気味でもない殺人の描写にしようと思って、使う言葉も選びました。書くうちに、暴力的な気持ちではなく、温かな気持ちで殺しているんだなと感じました。私たちの世界から見ると狂っていることだけれども、こういう殺人もあるのかと、腑に落ちたところがあったんです」
彼女の変化をどう受け止めるかは読者個々人で異なるだろう。思い出されるのは、育子が早紀子に言った台詞だ。
〈あなたが信じる世界を信じたいなら、あなたが信じない世界を信じている人間を許すしかないわ。〉
絶対的な価値観のない社会のなかで人々が共存する現代においても、普遍性のある言葉だ。
「ずっと自分の中にあるテーマですね。私の書く主人公って、間違っている人が多いんですが(笑)、異物だというだけで否定するのではなくて、受け入れたいという気持ちがあります。世の中にはいろんな正しさがある。正しさが一種類しかなくて、自分は正しいと思っている人ほど危険なんじゃないかと思う。子供の頃に感じていたそういう違和感や恐怖が、大人になって不思議な形で作品につながっていますね」
従来の価値観を覆す試み
他の収録作も、現在の日本社会とは異なる価値観が描かれている。「トリプル」は、『群像』誌面で企画された、翻訳家の岸本佐知子さんが作家を指名した「変愛小説集日本版」に参加した際に執筆したもの。男女一対一の交際よりも、3人での恋愛が流行している社会の話だ。
「依頼をいただく前から、キスって3人でもできるんじゃないかと考えていたんです。自分はやってみようと言える相手もいなかったので試したことはないのですが(笑)、ネットで探してみたら、ゲイの人たちが複数でキスをしている様子が、お洒落な音楽にあわせて流れる動画を見つけて、やっぱりできるんだと思って」
キスだけではなく性行為の描写もあるが、これもかなりユニーク。また、主人公の少女がカップルでのセックスに嫌悪感を抱く場面も。
「異常に見える世界のほうが正常に見えて、今の私たちの世界が不気味でグロテスクなものに見えてくるという、逆転することの心地よさを作品の中で体験できたらいいなと思いました。いわゆる3Pではない3人のセックスってなんだろうと考えて、こういう形になりました」
次の「清潔な結婚」は、セックスをしないことを前提に結婚した夫婦が、子供を作るためにある施術を受けることに。それがどんな最新技術かと思ったら……。
「イギリスの文芸誌『GRANTA』が早稲田文学と共同編集で日本版を創刊したときに声をかけていただいて、本誌の日本特集にも英訳が掲載されました。枚数も締切までの日数も短かったので、勢いで書いたもの。セックスをすることのない家に帰っていくことができた子供時代が懐かしくて、大人になってもそういう暮らしができたら、と考えたことがはじまりですが、書きながら自分でも笑っていました。イギリスの編集部の人も読んで笑った、と聞いて嬉しかったです」
最後は掌編「余命」。永遠に生きることができる世の中で、人々は死ぬタイミングと死に方を自分で選ばなければならなくなっている。
「“死”がなくなった世界では、ほどよいところで自分から死ぬか、処分されるしかないなと思って。自分から死ぬにしても、お洒落に死なないといけないという。『すばる』に載った作品で、この本の中では最初に書いたもの。これの後で『生命式』を発表して、そこからいろいろヘンなものを書くようになったと思います」
生命の誕生から死の場面まで、価値の逆転を描いた本書。でも書ききったとは思っていない。
「(昨年三島由紀夫賞を受賞した)『しろいろの街の、その骨の体温の』からずい分遠くにきましたが(笑)、まだまだ変なものが書きたいですね。『清潔な結婚』を書くのが楽しかったこともあり、今はもっと長い作品にするつもりで、生まれることや結婚について書いています。でもきっとこの先、書きたいものもまた変化するだろうなとは思っています」
(文・取材/瀧井朝世) |