舞台は1999年
ノストラダムスの大予言では、1999年7月に世界は滅亡するといわれていた。今となっては笑い話だが、当時は多くの人が心の片隅で「もうすぐ死ぬかも」という思いを抱きながら日々を過ごしていたのではないだろうか。深緑野分さんの新作『分かれ道ノストラダムス』は、そんな年の6月から始まる物語。デビュー短篇集『オーブランの少女』で注目を浴び、長篇『戦場のコックたち』が直木賞候補になって話題を呼んだ著者の第3作だ。
「もともとは、恋愛小説を書きませんかという依頼をいただいたんです」
と、深緑さん。『オーブランの少女』の少女たちというモチーフを、男女に置き換えてみてはどうか、というのが編集者の意図だった模様。
「でも、これまで恋愛小説や恋愛映画にあまり触れてこなくて、自分のなかにストックがなかったんです。それで、自分の経験として、高校生の時に昔好きだった男の子を亡くしたことがあるという話を編集者さんに話しました。中学生の時にすごく仲良かったのにギクシャクしてしまって、そのまま別々の高校に進学して疎遠になり、一度連絡をとったら余計にギクシャクしてしまって。その相手が、高校2年生の時にいきなり亡くなってしまったんです。私は知らなかったんですがもともと身体が弱かったということでした。その後悔は、いまだに引きずっていると感じます。そのことを何かの形で残したいという気持ちがありましたし、似たような経験をしている人はいるだろうから、じゃあ何か書いてみようと思いました」
主人公は、2年前に友人の基を亡くした15歳の高校生、あさぎ。基の祖母から彼の日記を託された彼女は、奇妙な記述を見つける。同じクラスの読書家男子、八女に協力を頼んだところ、生前の基が自分の両親の死を回避できたかもしれない可能性、つまり平行世界を検討していたと分かる。そこであさぎは、自分も基が死なずに済んだ可能性を探ってみることに。というのも、ささいなことから気まずくなった状態のまま基が死んでしまったことが、心のしこりになっているからだ。一方、町ではノストラダムスの終末思想に影響された新興宗教団体、アンチ・アンゴルモアの活動が活発になるなか、信者が不審な死を遂げる。やがてあさぎたちの行動と教団の動きが、思わぬ形で絡み合っていく。
終末感漂う世界での思春期
1983年生まれの深緑さん自身、1999年に高校生だった。あさぎと同い年だ。
「自分の経験を小説に活かそうとした時、現代を舞台にすると通信手段が発達しているので、連絡をとらないことが不自然になってしまう。それで自分と同じ年に設定しました。1999年はすごく終末感があったんですよね。少し前には阪神大震災や地下鉄サリン事件もあったし、『エヴァンゲリオン』があり、映画では『ディープ・インパクト』や『アルマゲドン』があり、テレビをつければビジュアル系バンドが暗い歌を歌っていました。私も多感な時期だったので、自分は若いうちに死んでしまうんだなという焦燥感がありました」
地方都市での高校生たちの日常の過ごし方がリアルに描かれているが、
「町については自分の地元である神奈川県の厚木市をモデルにしています。このくらいの規模の都市なら、隣町に越すと学区が変わったり、高校でどこの中学校出身か、どこの町に住んでいるかといった話題が出ることがよくあるので。それと、10歳くらいまで日曜学校に通っていましたし、幼稚園の隣に世界心道教の施設があったりして、宗教的なものは身近にあったんです」
さて、では、あさぎと八女という少年少女はどのように生まれたのか。
「これを読んだ友人によれば、あさぎは私に動きがそっくりらしいです(笑)。ただ、あさぎの内面はもっと繊細だし、私よりも内向的な女の子ですね。私は反抗期がなかったのですが、それでは現実的でないと思い、あさぎは現在母親との仲がうまくいっていないようにするなど、細かい部分で調整をしています」
八女に関しては、実は雑誌連載時と単行本ではかなりキャラクターが変わっているのだそう。
「連載時は八女くんももうちょっと少女漫画のヒーローっぽい感じだったんです。でも、単行本では隣で一緒に歩いてくれるような人になりました。私の中の萌え要素を詰め込んだんです(笑)。SFオタクで本をずっと読んでいて影が薄い感じとか、ツッコミ役かと思いきや本人がへんなことを言うとか。電話番号を他の人から聞きだしたりせず、ちゃんと本人から聞こうとするところもそうですね。当時、携帯やPHSが普及するなかで、勝手に人の番号を教えあう人もいて。それでどういう人なのか判断基準にしていました。それと、話の最後のほうで、八女くんが寝そべったまま手だけ動かして腕時計をつまみ上げる場面があるんですが(302ページ)、あの動作も私の萌えポイントなんです(笑)」
あさぎの試みに対しても協力的で、異性に対して素直で紳士な八女くん。それは両親の影響も大きいのではないかと思わせる。実は彼は女性同士のカップルの家庭の息子なのである。
「高校生の時に作文の宿題で提出した小説が、子どもを人工授精で産むのが普通になった近未来の話だったんです。『僕の父さんは精子だ』というのが冒頭の一文で、その作文の主人公が八女くんの原型です。私はどこか、お父さんがいてお母さんがいる、というのではない家族に惹かれるところがあって。ちょっと違うタイプの家族を登場させたいとも思っていましたが、でもこういう男の子なら、親はどういう人か考えていったら自然とこうなった、という感じです」
まわりで不審な出来事が続くなか、少しずつ信頼関係を育んでいく八女とあさぎ。実は連載当時は、もう少し恋愛要素が強かったという。
「連載の時はかなり甘酸っぱかったんですが、読み返してみて、ちょっと違うのかなと思って。もう少し精神的なつながりが強く出るように書き直しました」
なかなか恋愛関係にはならないものの強い絆で結ばれていく2人というと、桜庭一樹さんの『GOSICK』シリーズが頭に浮かぶが、実は深緑さんも、
「あのシリーズが大好きなんです。久城とヴィクトリカがなかなかくっつかないので、自分で彼らがくっつく話を同人誌に描こうかと思ったくらい。だからあさぎと八女くんについても、同人誌でこの2人をくっつけたいと思ってもらえたら(笑)」
あさぎと基の共通の友人たち、謎めいたホームレス、人気カウンセラー、八女の両親や彼が慕っている年上の男性・久慈(天然パーマにバンダナを巻き、「〜っす」が口癖の中年男性。この人物だけはモデルがいるのだそう)など、さまざまな思いを抱いた人たちも、2人になにかしらの影響を与えていく。
過去の課題、現在の大問題
知らないうちに町の深刻な問題に巻き込まれていくあさぎたちだが、
「過去を振り返ってそちらにばかり目を向けていたら、現実の大問題が降りかかってくるというプロットは最初から考えていました。過去の選択を悔やむだけではなく、今の現実についても選択をしなくてはいけなくなってくるんです」
彼らに関わってくるアンチ・アンゴルモアは特定の宗教団体をモデルにしているわけではないが、
「ちょうどこの話を書く時に『良心をもたない人たち』というノンフィクションを読んでいて、他人に対する共感能力のない人たちについて考えていたんです。教祖については、マッカーシーの『血と暴力の国』や中村文則さんの『掏摸』に出てくるような、概念としての悪が人格化された存在をイメージしていました。共感能力もないから、そういう存在からすると、あさぎが悩んでいることだって笑えるんだろうなと思います。あさぎにしてみたら、怨恨があるわけでもないのに気まぐれに傷つけてくる、通り魔のような存在です。過激化していく信者たちについては、洗脳されて人格を剥奪されている、犠牲者のイメージを持ちながら書いていましたね」
次第に物語は加速し、サスペンス色を濃くしていくが、
「角川春樹映画や『赤ちゃんと僕』といった少女漫画のイメージがありました。『赤ちゃんと僕』はほのぼのした日常の話なんですが、唐突に誘拐のエピソードが出てくるんです。日常の中で大きな現実が降りかかってくるんですよね。今回の小説でも日常の中で何かが変質して、そこから話ががーっと進んでいく、という流れは意識しました。ただ、最初から最後まで、これは青春ものだという意識はありました。『戦場のコックたち』よりもこちらのほうが、その意識は強かったんじゃないかな」
やはり気になるのは、あさぎと八女の関係はもちろん、彼女が基の死とどう向き合っていくのか、という点だ。平行世界を検証する試みについては、いくら考えたって基が生き返るわけではないから無駄だ、と思う読者もいるかもしれない。
考えて考えて、そして前に進むしかない
「もう過去には戻れないし取り返しがつかないという事実を突きつけられても、生きていかなきゃいけない。そのためにどうしたらいいのかを主人公に考えさせたかった。自分も男友達の件があった時、何回も考えたんです。ああしていたらこうだったのに、こうしていたらどうだっただろう、などと。時空の抜け道が見つかればいいなとも思いましたが、もちろんそんなものは見つからない。そうなると、後悔を解消していくしかない。そうじゃないと辛すぎるんです。だから考えるしかなかった。考えても無駄だと分かっているし、自分の選択の結果で誰かの死が左右されたはずだと考えるのは傲慢ですけれど、それでも考えてしまう。どっちにいってもぶつかるし、なんともならない。でもぶつかり続けなくちゃいけないのが現実。それでもやっぱり生きていける者は生きていけるんだから、あさぎも頑張れ、という気持ちがありました」
そして、生きていくためには、過去を振り返るだけでなく、今を見つめることも大切。
「私も、自分の体験は死ぬまで忘れないと思います。でも、ずっと後悔し続けるよりは、今見えているものを大事にしたほうがいい。過去のことは美化してしまいがちですが、現在と過去を比較するのはやめて、未来に進んでいくしかない、とは思っています」
過去への思いにとらわれながら、現在進行形で事件に巻き込まれていくあさぎは、それらをどう乗り越えていくのか。その選択のひとつひとつが、彼女自身の運命を切り開いていく。
『戦場のコックたち』はいくつかの謎が一話完結風に解決されていく話だったため、ひとつの題材が物語全体を貫く長篇は本作が初。しかも雑誌連載という形も初めての試みだった。さらにいえば、
「『オーブランの少女』はすでにある話になぞらえたところがあり、『戦場のコックたち』は実際の欧州戦線が舞台なので戦争小説のセオリーみたいなものにのっとっています。なので、ここまでゼロから自分の中でストーリーを考えたのは初めてだったんです。“私、こういうもの書くんだ”と知る楽しみがありました(笑)。自分でも話がどこに飛んでいくのか分からないところがありましたから」
今後、またどんな新たな挑戦を見せてくれるのか。現在は「別冊文藝春秋」に映画をモチーフにした「スタッフロール」を連載中だ。
(文・取材/瀧井朝世) |