日本に残っているはずの風景として
山間に流れる川の上流にあり、沈下橋を渡ってしか辿りつくことのできない小さな部落、ひかげ。そこはさわの故郷だ。今は東京に暮らす彼女はお盆の夏休み、仕事がある夫を東京に残し十歳の娘みやびを連れて帰省する。出迎えてくれたのは両親と、離婚してひかげに戻ってきた幼馴染みのひかるや、その息子のりょうとしんたち。夏の田舎のまぶしい光景と、密やかな恋が描かれる中脇初枝さんの『みなそこ』。
徳島県生まれ、高知県育ちの中脇さんの十七歳の時のデビュー作『魚のように』も、川のある町に住む少女の話であったが、
「高校生の頃はその場所しか知らなかったから、そこを舞台に書いただけでした。それからいろんな土地にあちこち行って、もっと広い所を知ってから、改めて故郷と向かい合いたくなって。実は五年ほど前にも、これよりももっとシンプルな形で同じような話を書いていたんです」
ただ、舞台となる地域は四万十川のほとりを想像させるが、そうとは明記していない。ひかげ地区というのも架空の場所の名前だ。
「場所を限定させず、日本のあちこちに残っているはずの風景として書きたかったんです。私は他の方言を知らないので、登場人物たちは私の故郷、高知県西部の幡多弁を使っていますが、日本のどこかにある場所だと思って読んでもらえたら嬉しいです」
主人公がその地域に住んでいるのではなく、東京から帰省してそこでお盆を過ごすという設定にしたのも、
「私自身がもうそこに住んでいないからでしょうね。今でも毎夏帰っていますが、小学校も人数が減って廃校の危機を迎えている。人口が減っていくことに私も加担しているんだな、その罪を負っているんだなという感覚はあります」
今作のひかげ地区と同じように、川べりの家で暮らしていた中脇さんは、川で遊んで大きくなった。今でも、近所の子どもたちは川で遊んでいる。
「私は当たり前のように川で泳いだり、高いところから飛び込んだりしていました。大人になって、故郷を離れて、小さい頃は川で遊んでいたと言うと驚かれる。それで、今は川に飛び込んだこともない子どもが大多数かもしれないと気づきました」
人生のある時期だけが持つ輝き
十三歳の頃、さわはいつもひとりでピアノを弾いていて、ひかるの隣にはいつも男の子がいた。二十年経った今、さわはひかるが変わってしまったことに戸惑っている。
「私には幼馴染みがいないので、さわとひかるみたいに生まれた時から知っている関係っていいなと思っていて。それに、ひかるみたいな人はいっぱいいる。ある時期すごくキラキラしていて、でも歳を重ねてそこから遠ざかっている感じ。だからといってその人が本当に変わったわけではないんです。キラキラしたものは持っているままなんですけれども、生活に追われていたり、その人の気持ちが変わっていたりしているだけなんです」
むしろ今では、さわのほうが周囲から輝いていると思われているようだが、
「素材が持つ輝きに気づかれないでいる人っていますよね。男性でも女性でも、大学生デビューとか社会人デビューとかいう、あの感覚ですね(笑)。人生のどこかでキラキラ輝くときって、きっとだれにでもある。それがいつやってくるかは分かりませんが。私にはいつやってくるんだろう(笑)。もしかしたら、自分では分からないものなのかもしれませんね」
今、さわにとって輝いて見える存在は、ひかるの長男、十三歳のりょうだ。まだひかるのお腹にいた頃から、知っている存在だ。
「成長過程の子どもには、一瞬だけのきらめきというのがありますよね。信じられないくらいきれいだったり、可愛かったり、輝いていたりする。でも一週間経つだけで見違えるほど変わってしまう。大人になりきるまでの間、その変化は続き、人はそうした一瞬の輝きを失いながら生きている。りょうの場合も、この夏だけのものを持っているんです。十三歳、つまり中学一年生という年齢は男の子がいちばん変わる時期。だから身長が180センチ近くある子もいれば140センチくらいの子もいるんですよね。でも、実は十三歳という年齢の設定にしたいちばんの理由はそういうことではなく、私の好きな数字だったからなんですが(笑)」
りょうはさわのことを以前から意識していた様子。その夏二人の間には、何か強烈な磁力みたいなものが働いていく。
「結局そうなることはお互いずっと前から分かっていた、という感覚があります。りょうだけでなくさわさんにも、この夏だけの輝きがあったのかもしれません」
まさに母と息子ほど年齢の離れた二人だが、そこにあるのは確かに恋愛感情だ。
「でもこの二人がどうしたいのかは、最初は分かっていませんでした。書いているうちに、ああ、さわさんやりょうくんはこうしたかったんだ、と思って。書いていてすごく楽しかったですね。自分でもドキドキしていました。面白いなと思ったのは、読んでくださった女性から“後ろめたい気持ちになった”と言われること。いけないことだと分かっていても読んでいるうちにドキドキして、自分にもそういう気持ちがあるんだと気づいて、後ろめたくなるようです。そういう感想は私としてはすごく嬉しい」
ピアノの教師をしているさわは、指の先の感受性が強い。りょうが彼女の手に触れる場面などは、非常に官能的だ。
「この小説では細くて長いものを書きたかったのかもしれません。指もそうだし、川も、橋も、蜘蛛の脚も。細いものの先端って他のものに触れる場所だからかもしれません。指で弾くピアノなんてまさにそうで、すごく色っぽいなって思うんです」
そう、本作ではピアノも重要な存在だ。さわは絶対音感の持ち主で、幼い頃からピアニストを目指したものの音楽大学で挫折し、今はピアノの先生となっている。この設定は、五年ほど前に書いた本書の原型にはなかった。
ご自身もピアノを弾くのかと思いきや、
「まったく弾けません。鍵盤のどこにドがあるかも分かりませんでしたし、楽譜も読めませんでした。絶対音感なんてとんでもない(笑)。でも、曲を聴いていいな、と思う感覚は人と同じくらいはあります。音楽をやっている人たちの会話を聞いていると、私と言語感覚が違うと感じます。オーケストラの人たちって、楽譜を前にして“ここはもっと膨らませて”などと言う。音を膨らませるのがどういうことなのか私にはまったく分からない。私が分からないものを彼らは感じているなんて、神秘的で素敵だなと思います」
また、職業をピアニストではなくピアノの教師にしたところにも、ある思いがあった。
「さわさんと同じようにピアニストにはならなかった知人が、“大人なんていろんなことを諦めた人の集まりよね”って言っていたんです。その通りだと思います。そして、それはネガティブなことばかりではないのです。彼女はピアニストにならなかった今の自分の生活を楽しんでいます。人は生きていくなかで、何かを選んだら何かを捨てなければならない。その繰り返しなんだということも書きたかった」
一人の人間の人生のなかで、さまざまなものが選び取られ、捨てられていく。時代という大きな流れのなかの人々の営みにおいても、同じことは起きている。この夏さわが体験するひかげ地区での祭りや行事だって、やがて消えていくものかもしれない。少なくとも、さわの両親が町に越すことを選んだため、さわにとってはそれらの風習に触れる夏はこれが最後だ。
蜘蛛を闘わせる女郎蜘蛛相撲大会は、中脇さんも何度か参加したという。お盆のお施餓鬼、えんこうと呼ばれる河童のような妖怪など、その土地ならではの風習や伝承も興味をそそる。
「何百年も繰り返してきたお祭りや、ずっと言い伝えられてきたものも、こちらが行かないと見られないし、その地域から人がいなくなると消えてしまう。えんこうのような化け物だって、その存在をみんなが知らないと、いないことになってしまう。人々が世界観を密に共有していないと、化け物は存在できないんですよね」
また、土木作業中に死んだ人が埋められていると噂されるトンネルの存在など、都市伝説のような怪談などにも言及されているが、
「怪談って興味深い。歴史に記録できない、疾しさや虚しさが残っているように思います。戦争のあった場所などでそうした怪談が多いのは、その土地で生きてきた人たちの思いが語り伝えられていった結果なのでは。つまり語り伝えていくことで、人は不幸な目に遭った人たちの思いを甦らせているんですよね」
忘れ去られていくものたちのために
思春期のさわには、いつも「べっぴんさんだね」と声をかけてくれた存在がいた。朝鮮から来た金田のおばあさんだ。何年も前に自ら冬の海に入り、命はとりとめたが寝たきりになった彼女は、さわが帰省する少し前に亡くなったという。本書は、金田のおばあさんを見送る夏の物語でもある。実は中脇さんの連作集『きみはいい子』に収録された「べっぴんさん」という短編にも、同じおばあさんが登場する。
「以前、本を読んでくださった方から『きみはいい子』のあのおばあさんをなぜ死なせたのか、と涙ながらに訴えられたことがありました。でも、実際にあったことなんですよね。私が住んでいた家の近所に、いつも“べっぴんさんだね”って声をかけてくれた朝鮮人のおばあさんがいたんです。自分から死を迎えたのも本当です。彼女が遠いところから来てあの場所に住んでいたこと、自ら死を選んだのだということは、しっかり書いておきたかった。この小説は彼女の死をめぐっての話にもなっていますが、それは鎮魂の思いがあるから。彼女はもちろん、めぐってきて亡くなったお遍路さんも、そして、これまでこの世界に生まれてきて、この世界を去っていったすべての人を見送りたいという気持ちがありました」
消えゆくものへのこだわりは、もうひとつある。実は本作、最初は地の文もすべて方言で書いていたのだという。
「主人公は頭の中でも故郷の言葉で思考しているはずなのに、台詞だけが方言だというのはおかしいと思うんです。それで全編方言で書いたんですが、編集の女性と電話で文章の確認をしたら、いつもは流暢に話す彼女がたどたどしく発音していて(笑)。自分にとっては当たり前の言葉なので小説で書いた時にそこまで読みづらくなるとは気づいていなかったんですね。これは読者に無理を強いることになると気づき、地の文は“翻訳”しました。でも諦めてないですよ。いつかは全編方言でやってみたい。もっと短い話や、詩などだったらできるんじゃないかな、と考えています」
確かに、例えば歴史小説を読んでいても、地方出身のはずの人物に訛りがなかったりと、違和感をおぼえることはある。
「ああ、分かります。私はジョン万次郎の伝記で“〜ぜよ”などと土佐弁を話しているのが違和感をおぼえますね。彼は幡多の人なので、土佐弁ではなくて幡多弁のはずなんです。日本中に、自分たちの話す言葉に関してそういうことを思っている人はいると思います。でもあまりにマイナーだととりあげてもらえない。方言は使用人口が十万人を切ると滅びていくと聞いたことがあるんですが、幡多地方の人口は今九万数千人です。私が話している言葉は絶滅していくということです。それを止めることはできないかもしれないけれど、こういう言葉がある、ということは書いておきたかったんです」
言葉も、感情も、肉体も、風習も。その時その場所で確かに存在したものたちを書きとめた、濃密な夏の物語なのである。
(文・取材/瀧井朝世) |