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朝比奈あすかさん『自画像』
私は許せないと思っていると、明確に書いておきたかった。自分の葛藤を盛り込んだともいえます。
朝比奈あすかさん『自画像』
 現代に生きる人々のさまざまな顔を描いている朝比奈あすかさん。新作『自画像』は、ある女性が恋人に語る自分の中学生時代の話から始まる。といっても楽しい思い出話ではなく、スクールカーストや教師のセクハラといった不穏な内容。やがて驚きの事実が見えてくる本作には、著者の特別な思いが込められている。
朝比奈あすか(あさひな・あすか)
1976年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。2000年、ノンフィクション『光さす故郷へ』を刊行。06年、群像新人文学賞受賞作を表題作とした『憂鬱なハスビーン』で小説家としてデビュー。その他の著書に『彼女のしあわせ』『憧れの女の子』『不自由な絆』『あの子が欲しい』『天使はここに』など多数。

教室内における、女子の順番

 冒頭、一人の女性が、恋人とおぼしき男性に語りかけている。彼女が語るのは中学生時代だ。受験を経て進学した共学の私立中学で、女の子たちの間には見た目によって序列が生まれていく──彼女は一体、彼に何を語ろうとしているのか。朝比奈あすかさんの新作『自画像』は、生きづらそうな少女たちの光景が思いもよらない方向へと突き進む衝撃作。

「『小説推理』から隔月で連載のお話をいただき、ミステリーを書こうと考えたんです。自分がどういうものを読んだ時にページをめくりたくなるのか考えてみると、殺人事件の犯人捜しやトリックものもいいけれど、自分は人が理由のある復讐をする話が好きだと思ったんです。以前『やわらかな棘』で女の人が復讐する話を書いた時もすごく楽しかったんですよね(笑)。それにネットなどを見ていても、人は正義の側に立ちたがるものだけど、その行為は爽快さをともなうと同時に、怖さもある。そんなおぼろげなことを考えながら書き始めました」

 大きなテーマは復讐。次ぐテーマは美醜だ。

「女の子って、たとえば10代の頃に面皰がたくさんあったのが20歳くらいでなくなると、周りの評価ががらっと変わることがある。それまで人は彼女を面皰の人だと見ていたんだな、と分かるんですよね。そうした外見の問題も書きたいなと思っていました」

 田畠清子が恋人に語る中学時代は、まだネットもなかった頃。同じ私立中学に進学したのは松崎琴美だけだ。でも入学式の日に彼女の姿を見た清子は、琴美が二重瞼になっていることに気づく。面皰に悩み地味に日々を送る清子とは反対に、琴美は美少女として校内で崇められる存在になっていく。

「思春期の頃の、見た目に対する人からの評価は一生自分の核みたいなものになるのかなと思っていて。男の子だったら優等生であったり何か特技があったりすれば見た目に関係なく一目置かれる存在になる。でも、女性の場合は成績でトップになっても、何かひと言容姿のことを悪く言われると、しゅるしゅると心が萎えてしまうのはなんでだろうと思っていました。恋愛や容姿に関するウエイトは、女の人の方が大きいのは不公平で、その時点で女性のほうが弱いなと感じることもあります」

 中学1年生というと、女子のほとんどが自分の容姿に自覚的になる年頃だろう。

「中学受験で勉強で順番をつけられて集まった子たちなのに、成績のことより美醜の問題が重くなり、頭がいいだけじゃ駄目なんだと実感していく年頃。でも男子はまだ幼さと野蛮さが共存していて、女の子に対して平気で“ブス”と言う。小学生の頃と違って、女の子たちは自分たちが容姿で選別されることに痛みをおぼえる年代なので、容姿をけなされる言葉が急に尖ったものに感じるようになる。しかも、そこで傷ついた経験が、20〜30代になるまで核に残ることもあるんですよね」

 確かに女性は、少女時代にもてはやされると成人以降も自信にあふれ、劣等感を刺激された経験のある人は、その後もどこか自信がなさそうな部分を持っている印象はある。

「傷つけられたことや、逆に、崇められたことも、強烈な体験となって心の芯に刻まれると思います。流行に関係なく、自分の全盛期の髪型をずっとしている人がいたりするのは、そういうことですよね。でも、全盛期があった人は、それが拠り所になるからいいなと思いますね。自信はオーラにつながるから」

 清子はクラスの女子数人と仲良しグループを作るが、その関係を維持していくために気を遣っている。女子生徒たちの間での中心的存在は美人とその取り巻きの女の子たち。この時代にはまだスクールカーストという言葉はなかったが、明らかに教室内には序列が生まれていく。

「スクールカーストを扱った本を読んだ時、自分の中高時代にも当てはまることがたくさんあって、答え合わせをしているかのようでした。自分たちの世代はそうした言葉も分析もないまま、人知れず傷ついていたんですよね。もしもスクールカーストという言葉があったなら、いつかは終了する一時的なものなんだという意識が持てて、気持ちが楽になれたんじゃないかな、って思います」

 面皰という深刻なコンプレックスを抱く清子だが、実はクラスには彼女よりもさらに面皰がひどく、友達のいない蓼沼陽子がいた。美術の授業で自画像の課題が出た時、清子が髪に隠れた横顔を描いたり、他の生徒が多少デフォルメを加えたりしているなか、陽子は顔一面が面皰に覆われた自分の顔を精緻に描く。

「自画像の課題で、本当に自分の顔を描けたのは蓼沼さんだけだった、ということです。スクールカーストの被害者ぶって語っている主人公自身、蓼沼さんを見下していたんだ、という構図は書きたかった。蓼沼さんは書いてみたかった人物像。いままでは自分が理解できない人については、この人は何を考えているんだろう、どうしてこんな行動をとるんだろうと、謎解きのように考えて心理描写を重ねて書いていたんですが、今回彼女に関しては心理描写は一切なくして、行動だけでその人を書こうと思いました。私のなかでは理想の人みたいな感じがあります」

 では彼女のどの部分が理想なのか。

「人にはいろんな面があって、顔はそのひとつだという意識なんですよね。鏡に映る自分の顔を、そのまま自分の顔だと受け入れている。顔は自分の持ちもののひとつ、記号のひとつだととらえているから、男子にけなされても乗り越えていける」

 学校のトイレでも鏡をあまり見ないようにしている清子とは対照的だ。また、2年生になると清子は陽子や琴美と同じクラスになる。

「整形した顔は自分で獲得する顔ですが、琴美の場合、自分で変えたというよりも、母親に変えられたんですよね。最初、彼女は主人公の嫉妬心に火をつける役割として登場させることにしたんです。顔ひとつでこんなにみんなからの扱いが違うんだということを分からせる存在のつもりでした。でも、実際は美人になることが正解とは限らないですよね。可愛い子は結構トラブルに巻き込まれていたりしたので、可愛ければいいというものでもないはず」

 清子は彼女の整形手術を他言していないが、その事実を忘れていたわけではなく、ある時、陽子にそのことを告げる。が、結局何も起こらぬうちに琴美は転校。また陽子の告発で、ある男性教師が生徒への性的な嫌がらせを理由に、学校を去ることとなる。実はこの教師は唐突に登場したわけではなく、話の序盤から登場し、女子生徒を性的な対象として見ていると感じさせる、気持ちの悪い存在だ。

「今、男性の教師が女子生徒にひどいことをしたという事件も露見していますが、事件性がなくても、私たちの世代の頃もいろんなことが数多くあったと思う。ブルマや、スクール水着を着させられたり、明らかにおかしいと思うことにも無自覚でいなければいけなかった。たとえば小説内で教師が女子生徒を体育館の壇上の幕の上から抱きしめる場面がありますが、あれは実際に友達から聞いた話なんです。面白い話として聞きましたが、私は違和感を持ちました。やはりそうしたことは異常で変なことだって、どこかに書いておきたかった。なんとかしなければ、という気持ちがありますね。以前、角田光代さんが何かのインタビューで、小説を書く時、最初は怒りが原動力でも実際書く際にはそれを忘れるようにしているとおっしゃっていて。私もそれが目標でしたが、これは怒りの気持ちがどうしても消せないまま書いてしまいました」

再会した3人の女性

 清子は大学に進学して面皰治療の施術室に通い始め、ようやく肌の悩みから解放されるのだ。彼女が通う美容研究室の施術の様子が生々しく、これがまた読ませる。

「私も面皰に悩んでいたんです。だから面皰の話を書いたといえますね。あの頃は、脂っこいものはあまり食べないのに、フライドポテトを食べても肌がきれいな友達を不平等だなと思っていました。肌質や遺伝によって違うんでしょうし、本当に運だなと思う。でもあまりにも大きな運。私自身も、実際大手の美顔教室に通いました。エステのような場所でしたが、そこで面皰を治していただいた経験があります」

 やがて、清子は意外な形で陽子や琴美と再会する。そこからいよいよ「復讐」というテーマが表に出てくるが、その展開はもう、驚愕に値する、と言いたい。オビにある通りまさに「倫理観を揺さぶる展開」だ。

「自分のなかで、ひとつ覚悟を決めて書いたものになります。私はニュースでも女性寄りで見ている自覚があって、女性がひどい目にあった事件には本当に腹が立つし、女性が犯人だと何か事情があったのだろうと思ってしまう。自分がそういう目線の持ち主だと分かっているので、小説を書く時はフラットに書こうと気をつけていました。でもこの話は第3話か4話を書きはじめたところでタガが外れてしまい、怒りをぶつけて書いてしまいました(笑)」

 その後は清子の語りだけではなく、蓼沼陽子の行動を三人称で書くパートと、松崎琴美の一人称で、彼女の心情を描くパートが現れる。少しずつ明らかにされていくのは、女性たちの、一部の男性たちに対する激しい怒りだ。

「女性同士が序列をつけたり格付けしあったりするムードがどこからきているのかというと、やはり男性がいるからだと思うんです。再会する女性3人も、対立する者同士ではなく、同じ側にいるんですよね。自分でも印象に残っているのは、琴美が、敵を見誤ってはいけない、と自分に言い聞かせる場面です」

 問題にすべきは、女性同士の嫉妬心や諍いではない。それを引き起こした、一部の男性の心ない行為なのだ。

「たとえば性的な犯罪が起きると必ず女性側を非難する声が出てきますが、暴力は行動する人がいなければ起こらない。相手よりも上位のパワーを持ちながら暴力を振るう人間に対し、それは許されないことなんだという思いをぶつけたかった。小説家として本を出す時、これまでは男女いろんな立場の方に気を配ったものを書こうと、守りに入っていた気がします。でも今回は、私は許せないと思っていると、明確に書いておきたかった。ただ、だからといって何でもしていいわけではないですよね。途中で琴美の葛藤も書きましたが、それは自分の葛藤を盛り込んだともいえます」

 男性からの女性に対する暴力に対しての怒りが込められた後半は、もしかすると女性と男性ではかなり読み心地が違うかもしれない。

「この話を読んだ男性の方が、“自分の奥さんや娘が同じ目にあったら相手の男を許せない”と言ってくださって、すごくありがたかったんです。でもその一方で、やはり男性は、自分自身を抵抗のできない弱者自身の身に置き換えて考えられないんだろうな、とも感じます」

 弱者の壮絶な心の叫びがつまったこの一冊。

「書きあげてすっきりした面もありますが、今はまだどういうふうに読まれるかが怖いですね。今までは人が共感できるような小説を書きたいなと思っていました。でも、出版不況といわれる今、人が時間を使っているのはテレビやゲームではなく、SNSやLINEやツイッター等、つまりはコミュニケーションなんですよね。しかも友達や自分と感覚が似ている人とばかり繋がって、自分と相容れないものはどんどん見過ごされていく。そこに小説が一石を投じられるとしたら、共感を呼ぶものだけではなく、こういうものの見方もあるんだと、批判を恐れずに書いたものもあっていいと思いました」

 では、きっとこれから小説のテーマの選び方は変わっていくのだろうか。

「これまではあまり社会性をおびたものを書こうと思っていなかったんですけれど、今回やってみて、ニュースを見て感じたことを書いていいんだな、と思いました。だからといって具体的にはまだ何もないんですが(笑)、今後、その時その時で変わっていくと思います」

 

(文・取材/瀧井朝世)
 

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