“家”に染み込んだ人の気配
世田谷の住宅街。取り壊しの決まったアパートの一階で離婚してひとり暮らす太郎は、二階に住む女性、西と知り合う。彼女は隣家である水色の洋館に妙に関心を寄せている模様。そのきっかけを太郎に語って聞かせるのだが……。柴崎友香さんの『春の庭』は、場所、時間、写真など、彼女らしいモチーフがちりばめられた作品。なかでも、場所と時間を象徴するものとして、“家”が重要な存在だ。
「もともと家を見るのが好きだったんです。大阪から東京に越してきて9年目になりますが、今住んでいる家が4軒目。部屋探しでいろんな家を見る機会がありました。知らない人の家に入ると、前に住んでいた人の気配が残っていたりする。家はただの箱といえば箱ですが、作った人や住んだ人の、人となりが染みついている。住む人の内面が形になって見えてくるものだなと思いました」
世田谷区を舞台に選んだのは、
「大阪に住んでいる頃に、世田谷の友達の家に泊めてもらったことがあって。東京というとテレビで見る新宿や六本木のイメージが強かったけれど、また違う東京もあるんだなと思いました。実際に住んだ時には、散歩しているとテレビや写真集で見た家を見つけたことも。別世界にあると思っていたものが目の前にあるというのは、不思議な感覚でした」
今回登場する主要物件は4軒。太郎たちが住んでいる“「”の形をしたアパート、大家さんの家、コンクリートの家、水色の洋館が“田”の形を作るように建てられている。
「4軒分の地図や外観、間取りは考えてあります。大家さんの家は戦後すぐに建てられたような日本家屋。水色の家は60年代に建てられたもので、外観は洋風ですが、中は畳敷きの和風。現在はフローリングにリフォームされています。主人公たちが住んでいるアパートは80年代の、ぱっと組み立てられる、いわば規格品のもの。コンクリートの家は2000年代に作られた家です。建物ってその時代の流行が出る。玄関前に植えられている木や表札にも、時代の特色が出ている。各年代の特色が積み重なって、街ができているのだなと改めて思う。それを見ながら、そこに住んでいる人のことを想像することが好き。どんな家に住むかで生き方が決まるわけではないけれど、何かひとつの基準にはなる気がする。他の人には通用しない、その家の中だけの謎の習慣があったりもしますよね。人と話していてそれが分かった時、その人のリアリティを感じます。そういうことも含めて、家や家族を書きたいという気持ちが、今は強いです」
特に水色の家は、後半に内部も見えてきて、その個性が際立ってくる。
「“盛り過ぎた”家にしようと思ったので、細部を考えるのが楽しかったですね。自分が家探しをしている時、どれを見ても“これがなければいいのに”という部分があったんです。こだわって建てた家ほど、壁紙の柄だったり装飾だったり、なにかしら余計なものがあるんですよ。水色の家もこだわりを持って建てた家なので、洋館風なのに中は和室だったり、目につく欄間があったりする」
隣家に関心を寄せるアパートの住人
30代のイラストレーター、西はこの家に多大な関心を寄せるあまり、塀を乗り越えようとしたり、周囲をうろついたりとかなり不審人物風の動きを見せ、太郎がそれを目撃するわけだが、
「自分も昼間から街をウロウロして人の家を見ていたりするので、知らない人から見たら怪しいだろうと思います(笑)。そういうところからキャラクターを作っていきました」
しかも居酒屋でいきなり身の上話を始めたり、太郎がビール一杯であとはウーロン茶にしているにもかかわらずひとりでビールを七杯飲んだりと、どこか言動がユニーク。
「いつも登場人物のことは手探りで書いていくうちにこういう人なんだな、と分かっていくんです。西の場合もそうで、居酒屋の場面を書いていたら、なんだかすごくビールを飲みそう、と思って(笑)。実は最初は、彼女の視点から書こうと思ったんです。でもそれでは世界が狭くなってしまう気がして。何回も試行錯誤して、もう少し違う視点を入れようと思い、太郎を登場させることにしました」
太郎の内面はあまり明かされず、カメラ的な立場にいるのはそのため。そもそも柴崎さんの描く主人公は、何かを見ている=観察している場面が多い。
「西は他人の家を観察しているつもりでいて、実は自分も観察されている。今の時代、見る側見られる側がはっきりとは分かれていませんよね。観察者のつもりでも、いつのまにか自分も見られている。インターネットをやっていると顕著ですよね。芸能人が店に来たとツイッターでつぶやいたら炎上してしまう人とか(苦笑)。一方的にただ観察する側にいるという形はもう成り立たないんじゃないかと思いました」
前半には西が太郎に自分の生い立ちを延々と語る場面もあるが、
「誰が誰に何を語っているのかというのは、小説の基本的な面白さなのかなと、ここ何年かで考えていて。それで、人が人に話して伝えるという形で書いてみたいなと思いました」
ちなみにこの男女、相手を異性として意識している様子はまったくない。
「小説などでは男女が出てくると“きっとこれは恋に発展するのでは……”というような、自動的に恋愛モードが働きますけれど、そうでなくてもいいんじゃないかとつねづね思っています。もちろん恋愛は書きたいテーマのひとつではあるんですけれど、名前のつけられないような、始まりも終わりもない関係も面白いなと思う」
彼らの住んでいるアパートは取り壊しが決まっていて、今後二人は引っ越さなければならない。つまり太郎と西の関係は期限つき。
「学校みたいな感じかもしれませんね。卒業することが決まっているという」
一冊の写真集をめぐって
西は一冊の古い写真集を持っている。それが彼女の執着心の出発点だ。『春の庭』というタイトルのそれは、水色の家に住んでいたCMディレクターと女優の夫婦の手によるもの。以前この写真集を見たことによって、西はこの家に関心を寄せるようになったのだ。彼らは写真集からさまざまなことを読みとっていく。夫婦の性格や二人の仲、その暮らしぶり……。
「写真は見る人によって受け取り方が違う。だから、さまざまな受け取り方ができるような写真集にしました。モデルになった本はいくつかあります。荒木経惟さんの、奥さんを撮影しているものなどプライベートな匂いのする写真集や、藤代冥砂さんが奥さんの田辺あゆみさんを撮った『もう、家に帰ろう』。すごく好きです」
水色の家は、新たな住人によって内側が改装され、今では洋室もできて、それがどこか妙な味わい。家が住民たちの手によって変化してきたという、時間の流れも感じさせる。
「時間って場所なんだなって思う。過ぎてしまうと、もう行けない。写真集の『春の庭』に写っていた家の場所にいるのに、20年前あの夫婦が住んでいた頃のこの家にはもう行けない。私も、街を歩いていて、もう行けない場所というものの重なり合いをふと感じることも」
柴崎さんはこれまでにも、たとえば『その街の今は』や『わたしがいなかった街で』など多くの作品で、場所と時間、会えない人たちについて書いてきた。実は写真も好きなモチーフだ。
「自分のずっと気になっているテーマが詰まった小説になったといえますね」
東京という街の印象
柴崎さんは大阪出身だが、9年前に東京に転居、世田谷周辺で暮らしてきた。
「ずっと大阪に住むと思っていたのに、東京にも住んでみたくなって。先日、越してきた当初によく行っていた渋谷に久々に行ったら“懐かしい”と思ったんです。渋谷の街をそう思うとは意外でした。今では自分の中に、大阪と東京がある気がする。きっとみんなの中に、それまで生きてきたいろんな場所があると思う。人は複数の場所を心の中に持ち続けて生きているんだと感じました。人と話していると、何気ない会話のなかで、相手の中にどういう場所があるのか感じる瞬間がある」
本作では、太郎がアパートの住人のご婦人の“巳さん”から、昔ビートルズのコンサートに行ったと聞いて意外に思う場面も。
異なる環境で生きた人々との交流が多く生まれるのも都市とその近郊ならではだが、
「現代の人ってよく動きますよね。少し前だったら生まれた場所で育って親の職業を継いで、という人が多かった。でも今は家業を継がない人のほうが多いし、転勤や単身赴任であちこちの街を移動する人がとても多い。特に都市は、人が外からやってきて去っていく場所で、そこにはいろんな出会いと別れがある。移動する人たちが過剰に接触する場所が都市だと思います」
視点の揺らぎで世界が揺らぐ
太郎の視点を通し、三人称の文体で描かれる本書だが、後半には突然「わたし」という一人称が登場する。観察者であった太郎を観察する者の登場といえるが、それだけでなく「わたし」が知りえない事柄についての言及があるなど、瞬間的に読者に視点と場所と時間のねじれを感じさせる部分が。
「太郎の視点のままで終わるのは違うなと思ったんです。現代の生活では、客観的に誰が見ても同じ世界、というものは存在しない。人が見ている世界はそれぞれ全然違うんですよね。それを意識せずにはいられないんです。客観的な事実として揺るぎない世界ではなく、むしろつねに揺らいでいる世界を書きたい。『きょうのできごと』の時から、何度かいろんな視点を入れて書くことはしてきましたが、読んでいる人にも“あれっ”と揺らぐような体験をしてほしいなと思っています」
確かに、一行だけ別視点の描写が入る『主題歌』や、主人公から離れた場所にいる人物の視点が入り込む『わたしがいなかった街で』など、複数の角度から世界を見つめる柴崎作品はいくつもある。
「今回はこういう形で書きましたが、今後もどういうことができるか自分でも楽しみです。考えてみたら小さい頃から、“俺は×歳、職業は○○だ”というような文章を読むと、誰が誰のために言っているんだろうって思っていました。小説って実は不自然なことが多いんですよね。その不思議さを使って、いろんなことができそうな気がしています」
今年はデビューしてから15年。
「小説家になってからのほうが、小説の面白さが分かってきたように思います。他の作家の友達と話す機会もできるし、小説に詳しい人にいろいろ教えてもらえるし。小説の好みが自分と似たタイプの人と話すのも、まったく違う人と話すのもすごく面白い」
では、今後はどのような小説を書いていきたいと思うのか。
「長いスパンのものを書きたくて。今回も各年代の家や、西さんの家族の話なども書きましたが、もう少し昭和史、戦後史的な時代の移り変わりがある物語を書きたい気分なんです。大河小説のようなものは私の場合、書こうと思ってもそうはならないでしょうけれど(笑)。今年40歳になりますが、ちょうど中間の世代なんですよね。上の世代のことも、下の世代のことも、両方を見渡すことができる。今の自分の年代だから書ける歴史みたいなものがあるんじゃないかな、と思っています」
このインタビューの数日後、『春の庭』は見事第151回芥川賞を受賞。彼女が抱くテーマがより深度を増していくなかでの評価となった。
(文・取材/瀧井朝世) |