兄のことを思いながら
4度目のノミネートで第152芥川賞を受賞した小野正嗣さん。受賞作「九年前の祈り」を巻頭においた同タイトルの単行本は、小野さんが長年書き続けてきた故郷でもあるリアス式海岸の海辺の集落を舞台にした4作を収録。まず受賞の感想を訊くと、
「賞を狙って書く人なんていないですよね。書き手はみんな、いいものを書きたいという気持ちしかない。でも、受賞すると結果的に多くの人に読んでいただけるので、たいへんありがたいですね」
読者からすると、もっとはやく受賞してもよかったのでは、という思いもある。しかし『九年前の祈り』での受賞は、周囲にとっても非常に感慨深い。というのも、巻頭の献辞に「兄、史敬に」とあるように、これは昨年亡くなったお兄さんに捧げる作品集だからだ。
「兄は昔からずっと僕を応援してくれたんです。ずっと独身で、肉体労働をして汗水たらして得たお金で僕を支援してくれた。2013年の6月に脳腫瘍と診断され、手術しても1年という余命宣告を受け、手術後は自宅療養して春には地元での野球のオープン戦を見に行けるくらいになりました。でも最後2か月くらいは入院して、昨年6月に亡くなりました。両親も僕も最期に立ち会えたことが不幸中の幸いでした」
そんな時期にこの作品集は執筆された。
「人の不在をめぐる物語を書きたかった。書いたからといって兄貴が治るわけじゃない。でも作品の中で死ねば、現実では生きるんじゃないか、近づいてくる死を払いのけたい、という迷信のような気持ちがありました。これまで書いてきた作品はどれも大切でかけがえのないものだし、どの小説も書いた後は読む人のものであると思っていますが、この作品で受賞できたことはよかったのかな、という気がしています。“土地の力”が評価されましたが、僕にとって土地と兄貴は結びついている。ある意味、兄に対する評価のようにも感じています」
4篇の掲載媒体はばらばらだが、1冊の本にまとめるつもりで書いた。発表順は掲載順とは逆で、巻末の「悪の花」が最初で、「お見舞い」「ウミガメの夜」「九年前の祈り」の順だ。
「『九年前の祈り』はずっと前から考えていたけれど、なかなか書けなかったんです。他の3篇を書いているうちに、書けるようになっていきました」
不在の人を書く
どの作品も、大分の大学附属病院に入院している“不在の人”の周囲の人々が登場する。「悪の花」は、嫁ぎ先で子どもができず離縁され故郷の集落に戻り独りで暮らしてきた老女が、自分の代わりに墓参りをしてくれたタイコーという青年が入院していると知る。台所に“悪の花”が咲くのを見て不吉なものを感じた彼女は、見舞金を包んで毎日タイコーの実家に通う。「悪の花」とくればボードレールの詩集『悪の華』が浮かぶが、
「僕がフランス留学中に下宿していたクロード・ムシャールさんの家の近所にはいろんな人がいたんですが、そこに“Les Fleurs du mal(悪の華)が咲いている”って言うおばあちゃんがいたんです。それと、両親が入院中の兄貴を看病している頃、留守のうちにやってきて庭で寝ちゃったおばあちゃんがいた、という話を聞いたので、そこから生まれてきましたね」
次の「お見舞い」は幼馴染みで今は中年になった2人の男の話。面倒見がよく優秀だったマコ兄をトシはずっと慕ってきた。東京の大学を出て結婚、離婚して戻ってきて役場に勤めていたマコ兄だが、今や酒に溺れ周囲から“駄目人間”と見なされている。
「マコ兄のような人は、田舎に結構いるんです。東京にもいるかもしれませんが。駄目オヤジの話はいっぱい耳にしてきました。トシは同族経営の水産会社の息子ですが、ああいう感じの家はめずらしくないと思いますよ」
「ウミガメの夜」は、この土地に余所からやってきた大学生3人が、ウミガメの産卵に立ち会う。これは最初、ひっくり返ったウミガメがヒレを動かしている場面が思い浮かんだことがきっかけだという。主人公の両親は離婚しており、離れて暮らす父親がこの土地の出身者だ。読めば誰のことだか分かるようになっている。
「九年前の祈り」は、困難を抱えた幼い息子を連れて故郷に戻ってきたシングルマザーが主人公。彼女は9年前、町に招かれて滞在していたカナダ人の青年の企画で、町のおばちゃんたちと一緒にモントリオールへ行ったことがある。その時同行した女性の息子が大分の病院で入院していると知り、お見舞いに行くことを計画。その際彼女の胸をよぎるのは、9年前の旅行の思い出だ。この作品のきっかけはいくつかあるそうで、
「実際に僕の母が、同じような企画でカナダを旅行したことがあるんです。その時は女性だけでなく男性も参加したそうですが、やはり珍道中だったと言っていて。大分の田舎のおばちゃんが海外旅行に出かける話を書きたいとは以前から思っていました」
また、ご自身も2013年にアメリカ文学研究者の柴田元幸さんが主宰する雑誌『モンキービジネス』の企画でカナダへ行ったという。
「トロントでトークイベントを開いたり、村上春樹さんの短篇を訳しているテッド・グーセンさんの山荘を訪ねたりしました。その後、柴田先生たちはニューヨークへ行ったんですが、僕はフランス語が話せるということでモントリオール大学で日本の現代文学について講演をしました。その時に小説の中に出てくるように、地下鉄に乗ったりしました」
そしてもうひとつ。
「『獅子渡り鼻』で困難を持つ子どもと母親のことを書きましたが、まだ書き足りないという気持ちがありました。それらと、祈りというものが結びついて、できあがっていったのがこの話になります」
結果的に、この土地にずっといる人、戻ってきた人、新たにやってきた人が描かれる作品集となった。
「僕はこの集落のことをずっと書いてきましたが、昔よりも人が行き来するようになりましたね。でも共同体というものは多かれ少なかれ人が行き来するから保たれる。人の出入りがなくなったら消滅するしかないんです」
『にぎやかな湾に背負われた船』が実際に賑やかで、『マイクロバス』ではどこか息苦しさがあり、『九年前の祈り』は光に満ちている印象であるように、同じ「浦」を舞台にしても、書かれる内容はもちろん文体も物語の要請によって異なっており、読み心地が異なる。この十数年の間に、実際の浦も変化しているのだろうか。
「帰るたびに人が減って、年寄りばかりになっていますね。集落の老いを感じます。グローバル化の影響なのか、僕の田舎が持っていた独特の風土も均質化されていっている。僕は影響されやすいので、2005、6年くらいからそうした寂しさを感じて、『マイクロバス』もああいう文体になりました。『九年前の祈り』は光を感じてくださる人もいますが、すべてがうまくいかない小説ですね、とも言われます(笑)。もちろん、どういう風に読んでもらってもかまいません。小説というのは読んだ人がいてはじめて作品になる。それぞれの人が読んだひとつひとつが、かけがえのない話ですから」
小説に登場する人々
小野さんは本作や『獅子渡り鼻』だけでなく、これまでにも、『森のはずれで』で妻であり母である存在の不在を描いたり、『線路と川と母のまじわるところ』の表題作で「母」と呼ばれる日本人女性を登場させたりしてきた。なぜ「母」というモチーフを選ぶのか。
「今思うと、パリ第8大学で学位を取った博士論文は、マリーズ・コンデという作家についてだったのですが、そのなかで章を割いて彼女の小説のなかでの母性について書いています。彼女の作品には子どもを愛せない母親や、母親を愛せない子どもが出てくる。母性というものが女性に備わった自然なものではない、と繰り返し書いているんです。どうも母性について興味があるようですね」
と真面目に語った小野さん、すぐ人懐こい笑顔になって、
「それに僕、ちょっとおばちゃんぽいでしょ? 僕の中にリトルおばちゃんがいるんですよ(笑)。小さい頃から田舎のおばちゃんたちに囲まれて、可愛がられてきましたから。僕も年寄りの話を聞くのが好きだったんです。男の人は、“しいちゃん”というよく喋るトリックスターみたいな人が一人いたんですが、その人を除けば田舎のおっちゃんは喋りませんでしたね」
では、『マイクロバス』や『獅子渡り鼻』、「九年前の祈り」など、困難を抱える人を(決して障害という言葉を使わずに)、登場させるのはなぜだろうか。
「あんまり意識していないので分からないんです。意図的に出しているわけではないから、もうしょうがない。でも多くの小説は困難を抱えている人を書いているものですよね。自然と困難のある人たちに目が向いてしまうのかもしれませんし、これはもうコントロールしようがない。作者の都合のいいように動かしているわけではない。小説の登場人物たちは実際にはいない人たちだけれども、そういう人たちが存在するかのようにして書き手は書きます。それは死者を思い起こすことと似ていますね。死者を大切に思うのと同じようなことが、小説の登場人物にもいえますね」
芥川賞が発表された日の記者会見では「弱者についてどう思うか」という記者からの質問に対し、穏やかに「僕は弱者という言葉を使いたくない」「僕が弱者という言葉を使うのはおこがましいと思う」と答えた。それが実に小野さんらしかった、と伝えると、
「あの質問をしたのは事前取材でたくさん喋った記者の方なんです。きっと僕がどう答えるか分かっていて、あえて“弱者”という言葉を使ったんじゃないかな」
著者自身は“困難を抱えた人”など婉曲な表現をよく使っている。
「単語を使うと分かった気になって、思考が停止してしまいますから。せっかく言葉を使っているんだから、思考したほうがいいと思う」
今は長い小説を書きたい
もともと学生の頃から小説を書きはじめ、1996年に新潮学生小説コンクールで奨励賞を受賞。書き方が大きく変わったのは、フランスに留学している時で、その時期に書いた『水に埋もれる墓』で2001年、朝日新人文学賞を受賞した。
「その時に自分の故郷について書いたんです。自分の生まれた土地から遠く離れてやっと書き方、接し方を見つけたといえますね」
留学中に下宿したのは大学教授クロード・ムシャールさんと、その妻で難民の教育問題などに尽力するエレーヌさんの家。彼ら2人からの影響は多大なものがあり、第2の故郷のように感じているという。日本に帰国してから異国の森を舞台にした『森のはずれで』や、パリやロンドンなどを舞台にした『線路と川と母のまじわるところ』を執筆し、これらも素晴らしい内容だった。今後、またヨーロッパを舞台にしたものを書く予定はあるのだろうか。
「書こうとは思っています。ただ、今は日本の地方を舞台にして書きたいものがあるので、そちらに心が向いていますね。歴史的な事実を結びつけて、長い話を書きたいんです。日本の小説は近代の産物で、西洋化の波を受けて変貌してきた。そのあたりを題材にして書いていきたいなと思っています」
かつて「変容を受け入れていきたい」と語っていた小野さん。その作品世界はまだまだ、自在に色彩を変えていきそうだ。
(文・取材/瀧井朝世) |