新しい警察学校小説
警察官に採用された人がまず配属される場所、それが警察学校。大学卒業相当の学生は半年間、高等学校や短期大学卒業相当の学生は10か月間、入寮して厳しい規則に従って生活を送ることとなる。長岡弘樹さんの『教場』はここを舞台とした警察小説であり学園小説。
「2009年頃に、担当編集者から警察小説というくくりで書かないかというお話をいただいたんです。すでにこのジャンルは花盛りでした。刑事を主人公にしたミステリだけでなく、横山秀夫さんがすでに警務部を舞台にものすごく面白い小説を発表していました。まだ誰も書いていないような題材があるのだろうかと考えた時に、警察学校はどうだろう、と思ったんです」
しかし長岡さんに警察学校に関する知識はなかった。
「知人の親戚に警察官の方がいたので話を聞きにいき、最初のイメージを固めました。資料も相当読みましたが、警察学校そのものをテーマとした本が少なく、警察関係の本の中から学校関連の記述をこまめに拾って材料を集めていく感じでしたね」
その頃、担当編集者とのやりとりで挙がったのは、例えば映画の『いまを生きる』。ロビン・ウィリアムズ演じる型破りな教師とエリート校の学生たちの交流を描いた感動作。
「そうしたやりとりをしているうちに、名物教官を中心にした話にしようという方向になりました」
警察学校の教官は人を育てる役として、優秀な人物が着任することが多いという話も耳にしたとか。指導はかなり厳しい模様。本書の舞台となる警察学校の四月入校の九十八期生も、最初は四十一人いたが、五月の下旬には三十七人に減っている。すでに成績不良のために四人が依願退職を迫られたのだ。鬼教官たちの指導は時に言葉の暴力や体罰をともない、学生たちはつねに緊張状態にさらされている。ある時、担任教官が入院し、代理で白髪の男が赴任してくる。彼の名前は風間公親。本書はなんらかのトラブルに直面した学生と、その時々の風間の対応を描く連作集となっている。
例えば第一話「職質」。学生の一人、宮坂は今日も職務質問の授業でミスをし、教官に叱られている。彼は下から一、二を争うほど成績が悪いのだ。そんな彼に、なぜか風間は一日の報告を義務づける。やがて宮坂は思いもよらぬ罠にはまってしまい──。
宮坂は教師から転身して警官の道を選んだ人間だ。警官に命を助けられて憧れを持ったという経緯を話すと、風間は「残念だよ」と語る。「憧れているようでは先が思いやられるからだ」と。この教官の言動はいつも意表をつく。
「推理小説が好きだったので、風間は名探偵をイメージして書きました。知人から警察学校のアルバムを借りて、教官一人ひとりの顔写真も見ましたね。いかつい人もいれば、警察官には見えない人もいる。それぞれの顔を眺めて、この人の目とこの人の輪郭とこの人の髪型……というように特徴を拾っていきました」
風間は他の暴力的で厳しい鬼教官とはちょっと違うところも特徴的。
「謎解きを披露するような饒舌な探偵では面白くない。寡黙で重みのある人物にしようと考えました。風間公親という名前は、風のように飄々としている感じ、“気短”に見えて実は気長に学生たちを見守っているということをイメージしました」
学生たちのさまざまな人生模様
登場する学生もさまざまだ。先に触れた宮坂のように、警察官に助けられたことを機に進路を決断した男もいれば、楠本のように数少ない女子学生もいる。白バイに憧れる鳥羽、元プロボクサーから転身してきた妻子持ちの日下部、一匹狼タイプの由良、成績優秀な都築といった学生も。
「学生はなるべく違ったタイプを登場させていこうと思っていました。宮坂というごくノーマルな人物像から始めていろんな個性を考えたのですが、最後のほうはネタぎれになって悩みましたね(笑)。最終章を締めくくる都築も特別な個性がありませんが、その分各話に登場させて存在感を補強するようにしています」
学生たちはみな、ちゃんと分かっている。警察学校は人材を育成する機関というよりも、適性のない人物を退職に追い込む〈篩〉だということを。
「退校したら警察官への道は閉ざされてしまう。特にある程度年齢がいっている人や家庭を持っている学生は、ここをクビになったらその後何を頼りに生きていったらいいのか分からなくなってしまう。それでも辞めていく人は多いといいます。追い詰められ方が普通の学校とは違うからでしょうね」
職務質問、水難救助、練習交番、パトカーを使っての教習など、警察学校ならではの授業風景の描写も興味をそそるが、なにより学生に対する教官たちの絶対性、そして規律の厳しさには驚いてしまう。
「人物像や授業の内容に関しては、誇張している部分や想像で補っている部分もあります」 と著者も言う通り、ここに描かれることがすべて真実というわけではないので、そこは注意。例えば都道府県によっても規則が異なるようで、小説内の学校では授業中に居眠りをするとクビだが、実際には始末書ですまされるところもあるのだとか。いずれにせよ厳しいことには変わりはない。
「ここで篩にかけていかないと、適性のない人間が警察官になっても後で問題を起こしてしまうかもしれない。厳しくなるのは当然かもしれません。資料にあたっていくうちに、実際の警察官を見かけると、この人もあの厳しい警察学校を卒業したんだな、と思うようになりました(笑)」
それはきっと読者も同じはず。過酷な状況の中で学生たちは相当なストレスを受けている。葛藤や憎しみが事件につながっていく様子も想像できないことではない。そして風間はその裏側にある学生たちの行動とその心理を見破り、ここぞという時に行動を起こす。
アイデアを生み出す方法
どの短編もミステリらしいアイデアが盛り込まれていて読ませる。本格推理のトリックの要素と〈日常の謎〉風のエッセンスを融合させたような読み心地が長岡作品の特徴でもあるのだ。
「そこを狙っているようにも思います。本格もののようなアイデアがひとつ入っていないと嫌なんですが、それでも小説の中で派手な事件は起こしたくない。事件の派手さに頼らずどこまで面白くできるか、普通の人たちを動かしてどこまで面白いことが書けるか、ということに挑戦している気がします。ミステリ作品であまりにも殺人事件が起きることに飽きているのかもしれません。あとは横山秀夫さんの影響は大きいですね。警察小説でも刑事部ではなく警務部の人たちを主人公にしてあれほどまでの作品を書けるというのは、自分にとって発見でした。こういう手があるのかと思って驚きましたから」
執筆の手順については、
「これまでの短編もすべてそうなのですが、ミステリのネタをひとつ準備して、そこから逆算してストーリーを作っていくという方法をとっています」
というから意外。というのも長岡作品はいつも、謎解きだけでなく、謎から生まれる心模様が緊迫感を持って描かれている点が魅力だからだ。何かに追い詰められたり、疑心暗鬼に陥ってしまったりする人間の心理の描写は非常に生々しい。
「人物像は書きながら作っていくという感じです。ただ、完全な善人でも完全な悪人でもない、ステレオタイプの人物像にならないようにも注意しています」
理科の実験的なアイデアから昆虫の習性を活かしたものまで、多彩なアイデアが盛り込まれている本書。常日頃からネタについて考えているのだという。
「考えグセがついてしまっているんでしょうね。プロットができてほとんど書ける状態なのにまだ、このネタでは駄目だ、と思ってずっと考えこんでしまう。とにかく本や映像をたくさん見て自分の中に知識を取り込んで、あとは歩き回ってネタを考えていきます。歩かないと駄目ですね。でも外を歩くと周囲の景色に気をとられてしまうので、リビングのテーブルのまわりをぐるぐる回ったりします。万歩計をつけてみたら、家の中だけで一万歩以上歩いていました(笑)」
思いついたアイデアはすべてパソコンで管理。すでに膨大な量となっているので、読み返すだけでも時間をとられるという。
また、第一章の真相が第二章で明かされたり、章を追うごとにどの学生が退校したか分かっていったりと、各エピソードの繋がりも楽しめる。ある人物の意外な悪意が露呈するなど、決して爽やかとはいえないエピソードが多いが、それは意識的に操作したわけではなさそうだ。
「読み心地を優先的に考えるわけではないんです。ネタによってバッドエンドが合うものとハッピーエンドが合うものがあるので合わせているだけ。ただ、単行本にする時に全体の読み心地については考えて、連載時からかなり改稿しました」
その結果、最終話のトーンは他の話とは異なるものとなっている。主人公となる都築は、成績優秀な学生。しかし風間は彼のメンタルの弱さを指摘し、退職を勧める。残りたいという都築に対し、「ならば、わたしを納得させるしかないな」という風間。そこで都築がとった行動は……。最後となるエピソードにふさわしく、痛快なラストが待っている。
次第に見えてくる風間の魅力
風間という人物の物事の考え方も印象に残る。「警察官に憧れて入ってきた人間は向いていない」という発言をしたり、ある生徒に向かって、彼の魅力のひとつが「人を傷つけたことだ」と言ったり。しかし、そうした言葉のひとつひとつがやがて説得性をおびてくる。名探偵としてだけでなく、一人の指導者としての魅力が、そこにはある。
「風間は当たり前のことを言わないキャラクター。彼ならこういう考え方をするだろうな、という言動を選んでいきました。ただ厳しいだけでなく、学生たちに対して温かみもあることは大事にした点。これまで小説を書いてきてキャラクターがうまく自分に乗り移ってくれる場合とそうでない場合がありましたが、風間は比較的うまくいったように思えます」
時には学生に退校を促すこともあるが、見込みのない人間に辞めろということだってある意味、彼の優しさなのだ。
やがて九十八期生で篩に残った者たちは社会に旅立っていく。風間は今後どのような学生たちに出会うのか。ぜひシリーズ化してもらい、彼の活躍をもっと読みたいものだが、
「編集者から続編を書くように言われているんですが、それがもう大変で……(笑)。今回は相当書き直しましたし、この一冊をまとめるまでに4年もかかっているんです。書いていないネタはまだあるんですが、もっと取材をして情報を集めたいですね。本当は体験入学をしてみたいくらい」
現在は長編を執筆中。
「小学館の『STORY BOX』に『告発』というミステリを連載しています。長編ですが視点人物は変わります。ただ、刊行予定はまだ先になりそうです。他社の雑誌に書いた短編がいくつかあり、まずそちらから本にしたいと思っていますので」
本作『教場』の続編はそれらが仕上がってからということになる。今のところ来年の春から「STORY BOX」に連載スタート予定だ。
(文・取材/瀧井朝世) |