◇自著を語る◇ 夢枕 獏 『ぐん太』
『ぐん太』のこと
『ぐん太』は、作家になってから、三十五年あまり、ずっと心の中で温めてきた物語です。
いつか、絵本というかたちで世に出したいと思い続けてきました。
そもそものことで言えば、五十年ほど前、二十歳の大学生の時に、一冊の絵本と出会ったのがきっかけです。タイトルは『八郎』。斎藤隆介作、滝平二郎画の、素晴らしい絵本です。
東北の秋田県にある八郎潟がどうしてできたのかという伝説をもとにした物語です。八郎という子供が、強くなりたくて、大きく大きくなって、巨人になります。でも、その力をもてあましている。そういう時に、海が攻めてくるわけですね。これは、津波のことですね。この津波を防ぐために、八郎が海に飛び込んで、津波と戦うのです。
その時の八郎の叫び──
「わかったあ! おらが、なしていままで、おっきくおっきくなりたかったか! おらは、こうしておっきくおっきくなって、こうして、みんなのためになりたかったなだ、んでねが、わらしこ!」
この言葉は、今年七十歳になったぼくの胸に、今も鳴り響いています。
八郎は死んで、八郎潟に沈んでゆくのですが、この八郎のような物語を、シンプルな絵本というかたちで書きたかったのですね。
世界再生の神話のような物語。
世界中に広がるウケモチ系の神話(食物起源神話)があります。
ある神(あるいは人)が死んで、その人の身体のそれぞれの部位が、それぞれの民族事情に合わせた食物になる神話。イネであったり、トウモロコシであったり、タロイモだったり色々ですが、これは、我が日本国にもあります。
そういうものを書きたかったわけですね。
実際に書いたのは、十年ほど前です。
巨大な石を、ぐん太が持ちあげる。強い力だけではなく、悲しみの力、人を許す力、人間の持っているあらゆる力がひとつになった時に、その石が持ちあがる。すると、その石の下から、これまで石によって封印されていた、あらゆる生命がふき出てくる……
この物語を書く前後に、東日本大地震がおこって、福島の原発事故がもたらされました。
ある意味では、ぐん太が持ちあげた石は、チェルノブイリの原発事故で、コンクリート詰めにされた事故現場でもあります。
その巨大なコンクリートのかたまりをとりのぞいた時に、ようやく、世界に再生がおとずれる──そういう読み解きもできますが、この物語を書いている当初は、そこまで明確な意図はありませんでした。頭のどこかにはもちろん放射能汚染というイメージはありましたが、それはイメージのひとつです。世の中の現実や、事象と、あまりぴたぴたとあてはまるような物語は、真に神話たり得ないと思っています。神話は自ずと混沌を内包していなければなりません。物語は、どのような物語であれ、それは当然神話のひとつであり、そこには得体の知れないデーモンや、神が潜んでいるのです。この絵本もそうです。実はそういう名づけられぬものも神話の大事な要素であり、この絵本では、あえて、そういう言葉にできないものをそのままにしてあるところもあります。
この物語に、飯野和好さんが素晴らしい絵をつけてくださいました。
ゲラで、感涙。
物語の最後にある、
「ああ おらもなりてえなあ
ぐん太のようによ!」
というのは、ぼくのまっ正直な想いでもあります。
どうか、この物語が、あらたな神話となりますように。
日時:2021年4月7日(水)〜5月4日(火・祝)
場所:ブックハウスカフェ(東京・神保町)
入場無料
夢枕 獏(ゆめまくら・ばく)
小説家・エッセイスト。1951年、小田原市生まれ。89年『上弦の月を喰べる獅子』で日本SF大賞、98年『神々の山嶺』で柴田錬三郎賞、2011年『大江戸釣客伝』で泉鏡花文学賞、舟橋聖一文学賞、翌年に吉川英治文学賞を受賞。16年に絵本『ちいさなおおきなき』で小学館児童出版文化賞。17年に菊池寛賞を受賞、18年には紫綬褒章を受章。著書に「キマイラ」シリーズ、「陰陽師」シリーズ、『魔獣狩り』『大帝の剣』など多数。
〈「本の窓」2021年5月号掲載〉