小原 晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」第18話

小原 晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」第18話
ある人の、ある恋の、ある時のこと。

 第18話 
葬式


 昔の恋人の葬式に出る。

 最後に会ったのは七年ほど前のことだっただろうか。季節が思い出せないのはあなたがわたしのうちに来たからで、お互い新しい恋人ができてからは、定期的に会うようなこともなかったし、とくべつ話したいことがあったわけでもないはずなのに、あの夜どうして会ったりしたのだったっけ。うまく思い出せないまま、葬式はすすむ。涙をつーつーきれいに流す肌の白い奥さんを横目で見ながら、思い出すのは何度も重ねた別れ話。

 夜遅くのファミリーレストランで、ふたりでよく行った焼き鳥屋で、スマートフォンのなかで、早朝の電話で、井の頭線の隅っこで、いつもわたしは(あなたからすれば)突然に「もう一緒にいられない」とかなんとか言い出して、すると、あなたは困惑するだけ困惑をして、とくだん悪いことなどなにもしていないのに謝ったりした。あなたは最後の最後まで呆れるようなそぶりをみせることもなく、やさしい顔ばかりをわたしに見せて別れたのだった。なんてあらためて思い出してみると、なんだか都合のよい記憶に書き替わっているようにも思う。だってそんなにやさしいひとならば別れたりしなかった。私はいったい彼のなにがそんなに気に入らなかったのか、ということをほんとうはよくわかっているのだけれど、そんなことを思い出して何になるのか。もうあなたは死んだのだ。

 もうこれ以上あなたとの思い出が増えていかないこと、これまでのあなたがわたしにとってのあなたのすべてと確定すること、あなたはもうわたしのことを思い出さないこと、あなたといるときどうしてあんなにさびしかったのか説明したってほんとうにもう何の意味もないこと。

 ひさしぶりに会ってみたけどべつにしゃべることってないね、と言ってみたら、あなたはあからさまに悲しいというか変にぐにゃっとした顔をして、わたしはそれにおどろいて、それで、なんと言ったのだったっけ。しゃべることもないときにすることなんて、お酒を飲むことしかなくて、なにをしゃべるでもなく、ふたりともお酒を飲んで、ぐらんぐらんぐらんぐらんと頭の中身が揺れるほどのんで、しかけて、できなくて、あなたは真夜中に帰っていった。お互いに付き合っていたときの癖をなぞるように、したのが、よくなかったのだとおもう。いま思えば、もう好きではない同士なりのしかたがあった。口のなかに飲みなれない焼酎の味、戻ってくる。

 わたしの番がやってきて、席から立ちあがり、とろとろと歩いていって、奥さんや子どもさんらにしっかりと頭を下げる。ご愁傷さまですという言葉がずうっと好きになれない。焼香台の前で僧侶へ一礼し、左の手のひらに数珠をかけ、右手で抹香をつまみ、おでこのあたりまでもちあげる。そうだ。わたしの父が死んだとき、あなたにそのことを連絡したら「ご愁傷さまです」とひとこと送ってきたのはあなただったじゃないか。わたしはそれにひどくきずついて、でも調べるほどにその言葉はどこまでも正しくて、けれどわたしはあなたの、あなたなりの言葉がほしかったことを鮮明に思い出してしまって、こんなときにごめんなさい。と心のなかで謝りながら、二回、三回と、香炉にくべる。手を合わせ、おつかれさま、とはっきり思う。わたし、もうすこし生きてみるね。とも言い足す。一歩ひいて、遺族となった彼女や彼らに頭を下げる。

 履きなれないパンプスはそこらじゅうに浅い傷をつくって、絆創膏をいくら貼っても、剝がれてしまう。葬式用のかばんにはほぼなにも入らない。知人何人かと少し話して、会食は行かなかった。うっすらと降る雨のなか、あなたと恋人同士だったときに背伸びして行った寿司屋に電話をかけて、ひとりきり、いまからの予約をとる。あなたが好きだったネタがなにか、わたしもうさっぱり覚えてないけれど、つまみも頼まず、自分の好きなネタばかりをぽんぽん頼んで、はじめはビール、二杯目からは日本酒をぐいぐい飲んだ。一時間もすればお腹は満ちて、会計をして、店を出た。出口まで送ってくれた若い男の子が低くなっている天井に頭をゴチンとぶつけて、笑った。

 


小原 晩(おばら・ばん)
1996年、東京生まれ。2022年、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。独立系書店を中心に話題を呼び、青山ブックセンター本店では、2022年文芸年間ランキング1位を獲得。24年に大幅な加筆を経て実業之日本社から商業出版された。その他著書に『これが生活なのかしらん』(大和書房)がある。

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