小原 晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」第13話

小原 晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」第13話
ある人の、ある恋の、ある時のこと。

 第13話 


 どうもふわふわ浮つくというよりは腰から叩きつけられるような感じで好きです。けれどもそうは言ったって笑いあった瞬間のこと、何度もしつこく思い出してはひとりたのしく笑っています。お酒なんか飲むとね、はげしく思い出しますよ。会いたいな、ってはっきり頭のなかで言葉になったときは驚きました。もう、ダメみたいです。でもね、もうダメになっているとして、私がどうするってこともないんです。ただこうして、散歩などをして、恋の歌をきいて、それで、すこしさびしいような気持ちになって、もう二度と会えないかもしれないと急に決めつけてみたりして。連絡がくると、胸がぎゅーっとなるんです。恋って、雑巾ですね。水というか、うるおいというか、ときめきというか、新しさというか、感動というか、そういうものにたっぷり浸されてから、力いっぱいぎゅーっとしぼられるような感じ……って、あんまりうまいこと言えないんですけど。私、うまいこと言うの下手なんです。なんにもうまくできないんですよ。すぐ転ぶし、よく人にぶつかるし、前歯にコップのふちを当ててしまうし、グラスをたおして水をこぼすし、お酒も上手に作れないし、料理はいつもしょっぱいし、相槌をうつタイミングすらわからないし、緊張するとにやついちゃうし、肌はざらざらしているし、すねにはいつも剃り残しがあるし、いびきをかくし、口紅を塗ると前歯につくし、ボディークリーム塗らないし、からだの線がぼやぼやもったりしているし、ダイエットに何度も失敗しているし、洋服の趣味も悪いし、髪がごわごわしているし、雨降りの日はぱやぱやするし、セックスしてるとぼうっとしちゃうし、聞き間違いもひどいし、人の気持ちがあんまりわからないし、そのわりには嫌われていないか心配になるし、弱気なふりして怒りっぽいし、束縛したいし、されたくないし、歩くの遅いし、掃除機をかける頻度が少ないし、トイレットペーパーの芯をためてしまうし、靴下に穴があいても平気で履くし、内弁慶だし、みえっぱりだし、基本的には薄情なので、最悪なんです。だから、無理なんです。良いところが一つもないんです。良いところが一つもなくても恋ってしていいんでしたっけ。ところで、しがみつくように抱きしめたって温かみってないものですね。

 ある意味では切羽詰まっていたんだと思います。酒にも酔っていたし、悪い子じゃなかったし、ただなんだかそういう雰囲気みたいなものがあって、サービス精神のようなものすらあったような気がします。まさか抱いてあげよう、なんてそういう偉そうな話じゃなくて、据え膳食わぬはなんとやらなんてそんな言葉はどうかと思いますけど、僕にはいつも風通しのいい隙間があって。彼女は夜型で、僕も遅くまで起きているほうだから、ときどきですけど連絡することはありますね。彼女からも誘ってくれるし、断ってばかりいるのも悪いですから。会ったら会ったで楽しい瞬間もあるんですけど、いますぐ帰ってほしいなと思う瞬間もあります。彼女が何をするというわけではなくて、ただ存在に耐えられなくなるんです。もちろん大人ですから言いませんし、表情にもだしませんよ。夜はだいたい酔ってますから、彼女が彼女であるということがあまりよくわからなくなるんです。顔とか声とか相槌とか体つきとか、そういう彼女を彼女たらしめているものがすべてぼやけてくるんです。それがどんどん朝になり、昼が過ぎて、僕のベッドですうすう眠る彼女をみると、たったひとりの人間という感じになっていて、めっちゃ嫌なんです。寝息とか、からだの熱とか、うなじの匂いとか、すごく目立つ。逃げ場がないというか、責められているような気持ちになるんです。もう今日はどうでもいい、彼女としてると一瞬そういう気持ちになります。怒りが湧いてくるんです。けれどそういうことは夜になるとまたぼやけてくる。別にセックスがしたいわけじゃないんです。そんなものはなくたっていい。彼女がシャワーを浴びている間、僕はベッドで横になりながら、つかれるなあ、ねむりたいなあ、と思ったりします。ああ、それは違います。彼女のこと、好きではありますよ。でも大好きじゃないです。

 


小原 晩(おばら・ばん)
1996年、東京生まれ。2022年、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。独立系書店を中心に話題を呼び、青山ブックセンター本店では、2022年文芸年間ランキング1位を獲得した。その他著書に、初の商業出版作品として23年9月に『これが生活なのかしらん』を大和書房から刊行。

乙川優三郎『立秋』
▽▷△超短編!大どんでん返しExcellent▼▶︎▲ 岡崎琢磨「初盆の墓参り」