採れたて本!【歴史・時代小説#26】
戯作者の山東京伝、曲亭馬琴、浮世絵師の喜多川歌麿、東洲斎写楽らの作品を手掛けた江戸の版元・蔦屋重三郎(通称・蔦重)を主人公にしたNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』がスタートした。既に『写楽とお喜瀬』を発表している吉川永青が、改めて蔦重に挑んだのが『華の蔦重』である。
吉原の妓楼・尾張屋(屋号は蔦屋、主人の本来の苗字は喜多川)の養子になった蔦重は、成長して貸本を始めた。
明和9(1772)年の大火は吉原まで広がり、十人くらいは通れるはずの唯一の出入口である大門に人が殺到し動けなくなる。それを見た蔦重は、五人ずつ大門を通るよう叫ぶ。この鶴の一声で事態を収拾し、人は流されやすく、その流れが世の中を動かしていると学んだ蔦重は、いい絵、いい本を出して世の中を動かしたいと考えるようになる。
尾張屋の上客で浮世絵師の北尾重政に大手版元の鱗形屋の主・孫兵衛を紹介してもらった蔦重は、火事で吉原が混乱し新しい吉原細見(吉原のガイドブック)が出せない孫兵衛に、情報を提供する代わりに小売と改め(校閲)をしたいと申し出て許される。細見の編集を通して、出版に必要な人脈を作り、重政との縁で秋田藩士の平沢常富(筆名・朋誠堂喜三二)と知り合った蔦重は、着実に版元に近付いていく。だが地本問屋の株がないと版元になれない。蔦重が遊女評判記や、遊里が舞台なのでいかがわしい本とされ地本問屋が扱わない洒落本の価値を驚くべき方法で上げるなど、株なしで出せる本で頭角を現す前半は、隙間産業を狙うベンチャー企業を描くビジネス小説としても楽しめる。
苦労して念願の地本問屋の株を手にした蔦重は、新しい美人画を描きたいという情熱と技術を持つ北川豊章を育てたり、浮世絵師の北尾政演に戯作を書かせ大ヒットさせたり、理解するには古典などの知識が必要な狂歌の本に挿絵を付け読者への間口を広げたりして名を上げる。
一方、浅間山の噴火、飢饉が続き、江戸で打ち壊しが起こる。対応が後手後手になった幕府の老中・松平定信に主君を侮辱されたと感じた喜三二に頼まれた蔦重は、定信を風刺する『文武二道万石通』を出し、それがお上に不満を持つ江戸っ子に売れたため、恋川春町にも同じ趣向の『鸚鵡返文武二道』を書かせた。だがそうした政治風刺は、幕府の逆鱗に触れてしまう。
処分を受けた蔦重は、風刺本は自分が世を動かしたのではなく、世の流れに乗せられただけだと気付く。現代の日本には、自分はオールドメディアが報じない真実を知っている、自分が社会を動かす旗振り役だと感じているネット民が少なくない。だが、その根拠が事実で、ネット世論が社会を動かしているのかは、まだ不確かだ。自分の過ちから学び軌道修正する蔦重は、ネットで万能感にひたる人が増えている現状への痛烈な風刺に思えた。
『華の蔦重』
吉川永青
集英社
評者=末國善己