採れたて本!【歴史・時代小説#14】
中山晋平と聞いて業績が思い浮かぶのは、かなり音楽に詳しい方だろう。ただ『シャボン玉』『てるてる坊主』などの童謡、『カチューシャの唄』『東京音頭』などの流行歌を作曲したといえば、その偉大さが実感できるのではないか。
本書は晋平を主人公にしているが、単にその生涯を追っているのではない。島村抱月と松井須磨子の恋愛騒動に巻き込まれた晋平が、その渦中で進むべき道を模索する破格の物語となっているのだ。
抱月の書生になり東京音楽学校(現在の東京藝術大学)のピアノ科に通う晋平は、抱月主宰の「早稲田文学」の編集も手伝い、抱月門下の相馬御風らと交流するが彼らの語る文学論は理解できなかった。
晋平が、東京音楽学校で教わったのが幸田露伴の妹でピアニスト、ヴァイオリニストの延、文学仲間を通じて知り合い密かに想いを寄せていたのが田山花袋『蒲団』に登場する女弟子・芳子のモデルになった岡田美知代、その他にも晋平と同じく抱月に見いだされた竹久夢二が作中に顔を出すなど、明治大正に活躍した芸術家の意外な繫がりが描かれるのも面白い。
抱月の師の坪内逍遥が演劇研究所を設立し、松井須磨子が第一期の女優として採用された。須磨子は、抱月が脚本の翻訳と舞台監督を務めたイプセンの社会劇『人形の家』のノラを演じて注目を集める。逍遥は、旧幕時代は低く見られていた役者の地位向上のため研究生に厳しい規則を課していたが、抱月と須磨子が恋愛関係にあるとの噂が広まってしまう。
東京音楽学校を卒業し千束尋常小学校の音楽教員になった後も抱月の家で暮らしていた晋平は、抱月と妻・市子の板挟みになりながらも、抱月から大衆と共にある芸術とは何かを学んでいく。やがて演劇研究所を脱退した抱月は、芸術全般を革新する芸術座を結成した。抱月はトルストイ『復活』の中で、須磨子が演じるカチューシャが唄う劇中歌の作曲を晋平に依頼する。
抱月は日本の俗謡とドイツ歌曲の中間的な小夜曲にして欲しいと頼むが、晋平は開幕初日が三日後に迫っても完成させられなかった。近代に入り日本伝統音楽が低俗とされたことに不満を持ち、日本の音楽と西洋音楽の融合を目指していた晋平は、日本の民謡や俗謡の手法をヒントに『カチューシャの唄』を完成させる。
晋平の時代は、作曲家は交響曲などの大作を作り、画家は官展に入選しないと評価されなかった。だがその中から、流行歌や大正期の児童文学ブームで生まれた童謡を作った晋平や、挿絵や絵葉書などで人気になった竹久夢二ら、従来の価値観とは異なる新たな芸術を生み出す人が出てきた。晋平の半生は、文学、音楽、美術などで今も新しい表現が創出されていると気付かせてくれるのである。
『アンサンブル』
志川節子
徳間書店
評者=末國善己