ミステリの住人 第1回『警察小説 × 月村了衛』

ミステリの住人第1回

若林 踏(ミステリ書評家)

 ミステリ、という単語を聞いて何を思い浮かべるだろうか。名探偵が登場して難事件を解決する謎解き小説だろうか。だが、実際にはミステリという言葉の指す範囲は果てしなく広い。警察小説、冒険小説、スパイ小説、法廷小説、犯罪小説、私立探偵小説、その他もろもろ。本連載ではミステリのサブジャンルを題材にしながら、その発展に大きく関わる作家をお招きし、ポッドキャスト「本の窓」の番組としてインタビューを敢行。さらに2000年代以降のサブジャンル史を眺めながら、その作家の魅力を語る論考も同時にウェブ上で掲載するという、音声配信&評論テキストの合体技企画が「ミステリの住人」である。

失われつつある小説の命脈を蘇らせる

 さて、記念すべき第1回のテーマは警察小説だ。今回は月村了衛の〈機龍警察〉シリーズが日本の警察小説を狭い世界から解き放ってくれた、という話をしたい。

〈機龍警察〉は月村了衛が2010年より書き続けている小説シリーズで、2024年1月の現在まで短編集を含めて7作品が刊行されている。物語内の日本では機甲兵装と呼ばれる有人兵器が普及し、組織犯罪が凶悪化かつ大規模化を辿っていた。主役となる警視庁特捜部は〈龍機兵〉という最新鋭の機甲兵装を導入し、さらに搭乗者として3人の傭兵を雇っている。刑事と傭兵がチームを組むという、前代未聞の捜査集団がときに国際的な規模にも発展する事件へと立ち向かっていく、というのが〈機龍警察〉の基本骨子だ。

 策謀が渦巻くプロット、活劇小説として迫力たっぷりの展開、往年のスパイスリラーを彷彿とさせる登場人物たちの駆け引き、〈龍機兵〉による躍動感に満ちたアクション。版元によるあらすじ紹介文や惹句では“大河警察小説”と冠することが多いものの、〈機龍警察〉シリーズに色濃く流れるものは冒険小説の血脈である。特に海外冒険小説の愛好家たちは、アリステア・マクリーンやジャック・ヒギンズ、ジョン・ル・カレといった作家たちを想起させる場面に幾度も興奮を覚えるに違いない。こうした〈機龍警察〉の特徴を踏まえた上でミステリ評論家の霜月蒼は、第二作『自爆条項』(ハヤカワ文庫JA)の巻末解説にて月村を「『冒険小説』の復権を謳おうとしている作家」と評している。ただ、〈機龍警察〉シリーズは冒険小説の復権のみならず、やはり日本の現代警察小説にとっても大いなる恵みをもたらした作品だと言える。それを一番感じたのは、第四作『未亡旅団』の「第二章 取り調べ」を読んだ時だった。

ミステリの住人第1回_機龍警察未亡旅団
『機龍警察 未亡旅団』

『未亡旅団』はシリーズの中でも最も痛ましい犯罪行為が描かれる作品だ。本作で警視庁特捜部が対峙するのはチェチェン人の女性ばかりで構成された「黒い未亡人」というテロ組織である。「黒い未亡人」のメンバーはチェチェン紛争によって夫や家族を失った者たちで、未成年による自爆テロによって標的を倒していた。子供という弱い存在を使ってテロを断行する「黒い未亡人」に対して日本の警察官はもちろん、戦場で心身を鍛え上げたはずの傭兵たちも動揺を覚える。世界各地の紛争地域で対峙した少年兵の痛ましさを呼び起こすからだ。

 一言でいうならば『未亡旅団』は暴力の無常を描いた小説である。人は傷つけ、追い詰められたと感じた時に制御できない衝動へ駆り立てられることがある。しかし暴力は他者を傷つけるだけではなく、それを行使した側の人間も傷つけ滅ぼすものだ。自爆テロによる報復は、その最たるものだろう。暴力の連鎖がもたらす虚しさを止めるためには何が必要なのか、という事を考えさせる物語なのだ。その主題を描く上で鍵を握るのが、特捜部捜査班主任の由起谷志郎警部補である。「第一章 黒い未亡人」の序盤で由起谷はある未成年を半グレ集団から守るために男たちを叩きのめしてしまう。その時の由起谷は「頭の中が白い何かに包まれ」「今まで必死に抑えつけていた荒ぶる血が蘇った」感覚に陥る。彼が暴力への衝動を抑えられない人間であり、そのために自身の過去を語りたがらない事が物語の冒頭近くで読者に提示されるのだ。その由起谷が取り調べ相手の心を溶かすために自身の苦い過去と向き合うのが「第二章 取調べ」である。ここで面白いのは暴力への衝動というキーワードを介して、本来繋がるはずの無いチェチェンの惨状と、日本の片隅で起こった出来事が重なり合う瞬間がやって来ることだ。チェチェン紛争がもたらした破壊と、由起谷のような個人が抱えていた暴力の問題は一見すると秤にかけられるものではない。作中のある人物が「暴力の桁が違う。それが世界だ。」と言ったように。しかし作者はチェチェンで起こった大規模な暴力の物語と、日本の小さな個人が体験した暴力の物語を繋げる事で、暴力の本質が虚しいものであることを見事に浮かび上がらせる。遠い国の紛争が、極東の島国で生きる人々にも無縁ではないのだ。

 海を隔てた国の出来事が、日本の小さな土地で起こった事と繋がるダイナミックな視点こそが〈機龍警察〉シリーズの醍醐味である。こうした刑事が扱う事件がグローバルへと直結する感覚は、実は1990年代後半から2000年代における警察小説ブームの最中に書かれた作品群には少ない。

 90年代後半以降の警察小説ブームのきっかけを作った作家に横山秀夫がいる。それまでの警察小説が刑事畑の人間を主人公に据えていたのに対し、横山は警務部といった組織内部の統制に関わる警察官を主役にした小説を書いた。警察組織という狭い集団の倫理に従い生きる人間たちにスポットを当てた事が斬新だったのだ。日常のすぐ傍にありながら、容易に窺い知ることの出来ない閉じた世界への関心が読者も書き手も高まっていったのが、90年代以降の警察小説ブームにおける特徴の一つだった。

 月村はそうした日常の中にある小さなブラックボックスへの関心から読者を一度離し、外の世界で起こっている過酷な現実を自分事として受け取るための物語を描いてみせた。それを成すことが出来たのは、作品内に圧倒的な虚構を持ち込んだためである。ポッドキャスト「本の窓」内でも月村自身が語っている通り〈機龍警察〉シリーズにおける最大の嘘は「警察が外国で活動していた傭兵を雇う」ということである。この現実的にはあり得ない設定を用いる事で、〈機龍警察〉は世界の外で繰り広げられている生々しい現実を伝える小説として完成する事が出来た。現代日本の警察小説が世界のリアルを描くためには、まず絶対的な虚構を作り上げる必要があったとも言える。

 念のために書いておくと、月村は横山秀夫がもたらした警察小説の有り様を否定しているわけではない。「本の窓」のインタビュー内でもある通り、月村は「横山氏の登場以前と以後に分けられるほど、その存在は日本の警察小説にとって画期的だった」と捉えている。ただ「横山秀夫登場以降の警察小説が視座を持てなかった」とも月村は語っているのだ。ここでいう“視座”とは、ローカルな視点からも世界を見渡すような姿勢と言える。「本の窓」の中で筆者はスウェーデンの作家ヘニング・マンケルの〈刑事クルト・ヴァランダー〉について触れている。マンケルはスウェーデンの片田舎にも冷戦崩壊の余波が犯罪という形になって現れる事を描いた。こうした感覚を自作に持ち込む事へ月村も自覚的で、「どんなローカルにいたとしても世界情勢の影響を受けないわけがなく、そういった状況を作品にどのように盛り込もうか考えた」と述べている。

〈機龍警察〉では日本人を含む多国籍の登場人物達が揃い、各々の視点から多角的に描く試みがなされている。これは複雑な国際情勢を扱う上で大事な要素だろう。例えば特捜部が雇った傭兵の一人に元モスクワ民警出身のユーリ・オズノフがいる。彼の壮絶な過去は第三作『暗黒市場』において明かされるのだが、次作である『未亡旅団』では民族を虐げる側の国にいた人間の立場からチェチェンの人々を見る事になる。多人種で構成される警察組織、というのは例えば近年の北欧警察小説などでは書かれている場面を見かけるが、それを現代日本の警察を舞台とした小説で書こうとするのは無理があるだろう。しかし、〈機龍警察〉では「傭兵を雇う」という虚構を物語に持ち込むことで、日本の警察内にも多様な目がある状況を作り出してしまう。そうした国家や人種を超えた複数の視点の有り方は、第百六九回直木賞候補となった『香港警察東京分室』(小学館)でも書かれている。同作の直木賞選評において「香港の情景が書かれていない」という主旨のものがあったが、的外れに過ぎるだろう。『香港警察東京分室』で重要なのは異なる出自を持つ警察官同士がそれぞれの視点から互いの国を見つめる事にあるのだから。

香港警察東京分室
『香港警察東京分室』

〈機龍警察〉シリーズで警察小説もしくは冒険活劇小説の書き手としての認知を高めた月村だが、近年では別の路線にも力を入れている。この原稿を執筆時点での最新長編である『半暮刻』(双葉社)は、半グレ集団を題材にしたアウトロー小説のような出だしから、いつの間にか日本の広告代理店の闇を描いた社会派小説へと広がっていく作品である。1996年に企画されながらも頓挫した「世界都市博」という史実を踏まえた物語になっているが、現在を生きる読者には2025年の大阪万博を巡る問題と重なって見えるはずだ。目の前に起こっている出来事は偶発的に起こったものではなく、歴史を辿ってみればその根源が浮かび上がってくる事を月村は示している。こうした歴史の連続性に着目した月村の小説には一九六四年東京五輪の記録映画を巡る『悪の五輪』(2019年、講談社)や、田中角栄時代から平成の重大事件までに至る歴史の裏面を追う『東京輪舞』(2018年、小学館)などがある。日本から世界へと横糸を辿る小説だけではなく、日本の歴史という縦糸を手繰り寄せる小説にも月村は挑戦しているのだ。

ミステリの住人第1回_半暮刻
『半暮刻』

「本の窓」のトークでは海外冒険小説の作家に加え、城山三郎など昭和に活躍した大衆作家の名前が出てくる。同時にそういったスケールの大きい翻訳ものの冒険小説や、歴史をひもときながら社会全体を見渡すような昭和の大衆小説が顧みられなくなっていることへの、月村なりの危惧も感じ取ることが出来た。今回の「本の窓」で一番印象的だったのは、月村が「80年代においては、読者のリテラシーが世界に向いていた」と発言しているくだりだ。「A・J・クィネルやアリステア・マクリーンなど、かつては共通基盤としてあったはずの海外冒険小説の読書体験が途切れてしまっている」という言葉から淋しさのようなものが滲み出ていた。だが同時に、失われつつある小説の命脈を自身の手で再び蘇らせようとする覚悟も月村からは感じるのだ。閉じた世界を突き抜け、外にある現実と向き合う。そこに小説を読む愉しみがあることを、月村了衛は問いかけている。

※本シリーズは、小学館の文芸ポッドキャスト「本の窓」と連動して展開します。音声版はコチラから。


若林 踏(わかばやし・ふみ)
1986年生まれ。書評家。ミステリ小説のレビューを中心に活動。「みんなのつぶやき文学賞」発起人代表。話題の作家たちの本音が光る著者の対談集『新世代ミステリ作家探訪 旋風編』が好評発売中。

ミステリの住人第1回_新生代
『新世代ミステリ作家探訪 旋風編』

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