「推してけ! 推してけ!」第34回 ◆『香港警察東京分室』(月村了衛・著)
評者=杉江松恋
(書評家)
圧巻の警察小説、四つの美点
なんといっても題名がいい。
『香港警察東京分室』なんて、往年のプログラムピクチュアではないか。
月村了衛の最新作は日本と香港の警察官が力を合わせて事件解決に当たるさまを描いた、圧巻の警察小説である。題名は無国籍アクション映画風だが、内容はもう少し現実寄りである。
「分室」というのは通称で、正式名称は警視庁組織犯罪対策部国際犯罪対策課特殊共助係という。日本と香港の両警察間で締結された、継続的捜査協力に関する覚書に沿って新設された部署である。ただし拠点が置かれたのは本庁ではなく、古書店街で有名な神田神保町だ。そのあたり警察組織内における位置づけを表しているように見える。
本作で特殊共助係に下された任務は、日本に潜伏した九龍塘城市大学キャサリン・ユー元教授を捜し出し、香港に送還することである。二〇二一年に香港では大規模な422デモが起きた。教授は大衆を扇動した首謀者であり、逃亡に際して殺人罪を犯した容疑で香港警察から追われているのである。
教授を探すため日本と香港の警察官がコンビを組んで捜査を行うのが序盤の展開で、作者は各警察官たちについての説明は最小限に留め、歩き回る姿をただ見せる。特殊共助係は十人で構成されるので、読者は初め、その多さに戸惑うかもしれない。だが、元ヤンキーで言動が粗雑な山吹蘭奈巡査部長や、入庁前に暴力団からスカウトされかかったこともある嵯峨秋人警部補など、日本側に癖のある面子が揃っており、彼らに注目するうちに自然と物語の中に引き込まれてしまう。多数の登場人物を動かすこの技巧が本作第一の美点だ。
もっとも、特殊共助係いちばんの曲者は日本側のトップである水越真希枝警視だろう。警察庁のキャリア官僚としては「とんでもない変人」と形容される彼女が、このはぐれ軍団を支えるため綱渡りのような芸当をやってのける。が、それは後半のお話である。
チームの雰囲気はとてもギスギスしている。それもそのはずで、香港警察は民主活動家逮捕のために殺人容疑の口実を用いているのではないか、という疑惑が消せないからである。香港側は日本側に対して建前を押し通そうとするだけなので、信頼関係を築けるわけがないのだ。
雰囲気が悪いまま捜査が続いていく中、突如とんでもないことが起きる。もう信頼関係とかどうでもいい、とりあえず今を切り抜けるしかない、という緊急事態になるのだ。ここで光るのが作者の、物語の速度を操る技巧だ。とにかく速く、密度の高い描写を重ね読者にページを繰らせる。
そのことで立ちあがってくるのが、香港警察の人物像である。シドニー・ゲン、エレイン・フー、ハリエット・ファイ、三人の捜査官たちがユー教授に対して抱いている思いは、実はそれぞれまったく違っており、三人三様の思惑が明らかになってくることで事件の見え方は立体性を帯びてくる。作者はそれを、日常場面ではなく活劇が連続する中でやるのである。動きと共に心理を見せるという原則が徹底しているのが、本作第二の美点と言っていい。
全体は三部構成になっている。その各部で、意外極まりないタイミングで緊急事態が発生する。闘う刑事たち一人ひとりに特技が振られているのが工夫で、中には暗器、つまり隠し武器を駆使する者までいる。銃器のドンパチ一辺倒ではないのだ。三つの活劇場面はどれも同じに見えないように舞台から展開まで気が配られており、かつリアリティを喪失しないぎりぎりの線で派手な展開になるような趣向が凝らされている。各人にそれぞれ見せ場が与えられているところなどは、まるで時代劇の殺陣を見ているようだ。活劇に読者が求めていることが全部詰まっている。これが第三の美点である。
背景に描かれるのは、香港がかつての自由を失い、「二つの中国」という大前提が失われつつある現状だ。読んでいると、作者が書こうとしている未来への絶望は、香港だけではなく、実は日本のことなのではないか、と思えてくる。身につまされる書きぶりなのだ。
特殊共助係の面々は、そうした息の詰まりそうな現実の中で、警察官として自分はどう生きればいいのかという選択を迫られる。各人がそれぞれの立場で下す決断はどれも真っ当なものだ。どこまでも青い空を見たときに感じる、背筋を正したくなるような思いが本を閉じたときには湧き上がってきた。その爽快感が第四の、そして最大の美点だ。物語の中に見つけた勇気と誠意が、読む者の心を奮い立たせてくれる。
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『香港警察東京分室』
著/月村了衛
杉江松恋(すぎえ・まつこい)
1968年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。主にミステリー書評の分野で執筆活動を行う。落語・講談・浪曲などの演芸にも造詣が深い。著書に『路地裏の迷宮捜査』『浪曲は蘇る』『ある日うっかりPTA』他。
〈「STORY BOX」2023年5月号掲載〉