涌井 学『僕たちがゲームに人生を賭ける理由』
ゲームを食った子どもたち
ゲームって受動的なものだと勝手に思っていました。
だって、誰かが作った世界の枠の中で、どれだけ上手にプレイできるかを競うわけですから。いわばお釈迦様の手のひらの上でわちゃわちゃしている孫悟空なんじゃないかと。
だから、ファミコン黎明期から最盛期の大人たちは、「ゲームばっかりしないで友達と遊べ」とか言っていたのでしょうし、その頃に子ども時代を過ごしたぼくのような人間には、ゲームをすることに謎の罪悪感があったのだと感じています。
その思いを引きずったまま、特に更新もせずに、こうして令和も6年が過ぎてしまいました。心のすみっこで、「たかがゲーム」と思ったままで。
『僕たちがゲームに人生を賭ける理由』には、「STAGE:0」という、いわば「ゲームの甲子園」が出てきます。参加者は全員高校生です。
話を聞くと、彼らは、30年前のぼくとはまるで異なる角度でゲームというものを捉えていました。彼らにとって、フォートナイトに代表されるようなオンラインゲームは、誰かとのやりとりを前提としたコンテンツのようなのです。つまり、彼らにとって、ゲームはコミュニケーションのツール。使うべき、道具なのです。
かつてぼくはゲームを、一人で過ごす時間を埋めるため、あるいは顔の知れた友人と楽しむために利用していました。けれど彼らは、ゲームの楽しみに「いろんな形で、いろんな人と絡むこと」を組み込んで、さらにもう一段上のコンテンツに昇華していたのです。
時代が進み、コンピュータの発達が可能にした技術を、彼らが食って、自分たちが一番楽しめる居場所にした。彼らは、自分たちに居心地のいい新たなコミュニティを、自分たちの力で勝手に作り上げたのです。なんと力強い。
主に大人を相手に日々生きていると、どうも勝手に思い込んでしまうようです。
大人はみんな疲れている。これだけ未来に期待しにくい社会なのだ。だから、若い人はきっと辛かろう。未来に希望なんて抱いていないだろうと。
でも、「STAGE:0」を取材してから先、そんなのは、勝手に絶望しているぼくみたいな疲れた大人が、濁ったフィルターを通して彼らを見ていただけなんじゃないかと思うようになりました。
彼らは、絶望している大人なんかには目もくれない。自分たちで自分たちの楽しみを模索している。
「すごい」と思いました。
だったら、そんな彼らの生きる強さを物語のテーマにしてみたいと思ったのです。
『僕たちがゲームに人生を賭ける理由』では、高校生と大学生が、ゲームを軸に、全力で人生を謳歌しています。どうすれば、自分を含めたみんながうっすら幸福でいられるのか。彼らはそれを探し求め、その過程を楽しんでいます。
大人が勝手に思っているほど、彼らは従順じゃないし、弱くもない。
そんな彼らの美しさの切れ端だけでも、この本で伝えられたなら幸甚です。
涌井 学(わくい・まなぶ)
1976年神奈川県生まれ。『岳 −ガク−』『ALWAYS 三丁目の夕日’64』『映画 謎解きはディナーのあとで』『世界からボクが消えたなら』『ブラック校則』『小説 映画ドラえもん のび太の新恐竜』『前科者』など、映像作品やコミックのノベライズを多く手がける。ほかの著書に、イリュージョニストHARAの半生を描いたオリジナル小説『マジックに出会ってぼくは生まれた』がある。
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『僕たちがゲームに人生を賭ける理由』
著/涌井 学