井上先斗『イッツ・ダ・ボム』◆熱血新刊インタビュー◆

正解、不正解ではなく

井上先斗『イッツ・ダ・ボム』◆熱血新刊インタビュー◆
万事快調〈オール・グリーンズ〉』の波木銅や『ノウイットオール あなただけが知っている』の森バジルなど、イキのいい若手作家を世に送り出してきた松本清張賞から、またしてもエッジの立った才能が現れた。1994年生まれの井上先斗。第31回同賞受賞作『イッツ・ダ・ボム』の題材は、ストリートアートの代名詞として知られる、グラフィティだ。
取材・文=吉田大助 撮影=小倉雄一郎(小学館)

 小説の新人賞受賞者に話を聞くと、どの賞に応募するかを最初から決めていたという人もいるが、書き上げた段階で、この作品はどの賞に応募するのがベストかを考えたという人も少なくない。井上先斗は、後者だ。

「ミステリーが好きで、高校生の頃から名探偵や不可能犯罪が出てくるパズラー(本格ミステリー)の短編を書いては、専門の賞に投稿していました。社会人になってからは〝自分とは関係のない世界を取材して書く〟というやり方を学んで、より広義のミステリーを書くようになったんです。『イッツ・ダ・ボム』も当初は第一部で完結していて、長めの短編ミステリーを書いたつもりでした。ただ、脱稿から半年ほど経った時にふと、続きを書くべきだと思ったんですね。それで第二部を書いてみたら、できあがった作品は自分でも〝これはミステリーだ〟と断言はできないものになってしまった。ジャンル分けが難しいこの作品を受け入れてくれるとしたら、松本清張賞しかないと思ったんです」

 松本清張賞は応募規定に「ジャンルを問わない広義のエンタテインメント小説」と掲げている。

「去年の受賞作の、森バジルさんの『ノウイットオール あなただけが知っている』を読んで、本当になんでもアリなんだなと思ったのも大きかったです(笑)」

 なぜ「続きを書くべきだ」と思ったのか? 第一部のみで完結させなかったのはなぜなのか。異色の二部構造を採用した理由には、グラフィティという題材への深い洞察があった。

第一部で終わってしまったらそれが正解として受け止められかねない

「第一部 オン・ザ・ストリート」は、語り手の私が、素性不明のグラフィティライター・ブラックロータスに関するルポルタージュを執筆すべく格闘する姿が描かれる。正体を暴きたいわけではなかった。新宿駅西口の地下通路に無許可で仕掛けられた一作を皮切りに、わずか2ヶ月弱で「日本のバンクシー」と呼ばれるようになったブラックロータスの作品は、なぜこんなにも人々の心を動かすのか? それを知るために、グラフィティ関係者への取材を重ねていくと──。

 作家は、グラフィティをよく目にする環境に育ったと言う。

「僕が育ったのは神奈川県の相模原なんですが、作中にも出した境川の川沿いにある壁はグラフィティだらけで、いわゆるマスターピースと言われるような凝った作品もたくさんあったんです。ただ、最初の頃は、公共物に勝手に落書きするのはどうなのかな、と眉をしかめながら見ていただけでした。中学生の頃に伊坂幸太郎さんの『重力ピエロ』を読んで、グラフィティにはグラフィティならではのルールがあり文化がある、と知って興味が湧いたんです」

 大学生の頃、グラフィティを主軸に活動するアーティスト・バンクシーの存在を知り、驚きと共に疑念も抱いたそうだ。

「バンクシーがニュースになる時の扱われ方が、アートとしてすごい、メッセージとしてすごい、というものばかりで、我々はバンクシーの思惑にまんまと乗せられていますよね、と。アートとしての評価やメタ的なものを含むメッセージの拡散が主目的なのだとしたら、自分が子供の頃から見ていたグラフィティと、同じ動機で書かれているはずはないよなと思ったんです」

 第一部の冒頭にこんな文章がある。《グラフィティは〈描く〉のではなく〈書く〉のだという。グラフィティは全て「俺はここにいたぞ」という署名で、それを記した者のこともアーティストではなくグラフィティライターと呼ぶ》。バンクシーは違う、と直感したのだ。

「深く調べていくうちにバンクシーに対する自分の中の評価は大きく変わっていったので、今振り返ると若気の至りとしか言いようがないのですが、〝世間を騒がせる意味深な作品だったら自分でも作れる、日本のバンクシーと呼ばれるくらいならやれるな〟という気持ちがはじめはありました(笑)。そこから、ブラックロータスという世間受けするグラフィティライターが浮かんで、小説にするのはどうかなと考え始めたんです。匿名でストリートに書き続けるグラフィティライターと、ブラックロータスの間には価値観の大きな違いがある。その間に横たわるグラデーションを登場人物たちに投影して、価値観のぶつかり合いを描き出すことができたら、面白い話になるんじゃないかな、と」

 その目論見はうまく行き、短い枚数の中に伏線が張り巡らされしっかりとフリオチの効いた、「謎の画家(絵画)」を巡るアートミステリーとしても完成度の高い一編が仕上がったのだ。ところが、それは完成ではなかった。

「主人公がブラックロータスに関して導き出した結論は唯一の正解ではなくて、ひとつの意見に過ぎないんですよね。第一部で終わってしまったら、それが正解として受け止められかねないなと感じたんです。第一部で取材対象者として登場する TEEL というグラフィティライターの描き方にも、不備があると感じました」

 TEEL は街中で無許可のグラフィティを淡々と書き続ける、界隈では有名だが一般的には無名のグラフィティライターだ。

「主人公から取材を受けた関係者の中で、彼だけが自分の価値観を傷付けられずにいるというか、あまりにもかっこ良すぎるなと思いました。その原因は明らかで、グラフィティについて調べている時に、この考え方は面白いなとかかっこ良いなと思った部分を TEEL に込めて書いているからなんですよね。ある意味、彼がグラフィティライターの正解という位置付けになってしまっていると感じました」

 それらの「正解」をひっくり返すために、第二部を書くべきだと心が動いたのだ。

書きたかったのは殺人事件ではなく新旧世代の価値観の対立

「第二部 イッツ・ダ・ボム」を読むと驚かされるのは、取材者であり部外者だった第一部の主人公とは異なり、TEEL を視点人物に据え、グラフィティライターの内面や五感をつぶさに描写している点だ。

「第二部ではグラフィティ文化をもっと深掘りしたい、そのためにはグラフィティライターの視点を取るべきだと思いました」

 冒頭から魅力的なフレーズが目白押しだ。例えば、〈感性とタイミングが嚙み合う、世界の空隙のような場所が確かにあって、それを見つけた瞬間に腕が勝手に走る〉。第二部を執筆するために改めて、浴びるように資料に触れていく過程で、グラフィティライターの感覚が憑依していったという。

「『KILL THE CITY』というグラフィティのドキュメントDVDの中で、『IT’S DA BOMB』というヒップホップの曲が流れるチャプターがあるんですが、その曲の中に〝背負うリュックから缶の音〟というフレーズがあります。それを聞いた時に、TEEL が背負ったバックパックの中には常にスプレー缶が入っていて、〝缶の中にある玉が転がる音が聞こえてきたらグラフィティを書く〟というイメージが浮かびました。スプレーと TEEL、グラフィティと TEEL の人生が一体化している雰囲気が出せると思ったんです」

 序盤はとにかく、TEEL のかっこ良さが際立っていく構成なのだ。ところが、彼の前に異なる価値観を持った人物が現れることで、世界がぐらっと揺れる。「スプレーで落書き、ってだけで俺らの世代のほとんどはドン引き」。TEEL を旧世代と位置付ける20代の新世代ライターとの、グラフィティ・バトルが第二部のメインとなっている。

「第二部も、最初は殺人事件が起こる話にしようかと考えたりもしたんですが、そういう要素はいらないな、と。〝ミステリーというジャンルの作品〟を書きたいわけではなく、新旧世代のグラフィティライターの価値観の対立、思想対決を書きたかった。二人の対決さえちゃんと書けていたら、面白い小説になるはずだと思ったんです」

 本人たちが口にしている勝敗ほど、グラフィティ・バトルの勝ち負けははっきりしていない。バトルを通してお互いの価値観を交歓し、自分の中にある間違っている部分と曲げられない部分とを理解し合えた、その感触こそが重要なのだ。そこに、本作の魅力が宿っている。

「第一部を書いた時から、誰が正しくて誰が間違っているという話にはしたくないなと思っていました。世の中にはいろんな意見があり価値観があって、それが時にぶつかり合うこともある、それはとても面白いことですよということを、グラフィティを通して書きたかったんです。第一部では取りこぼしてしまったその曖昧な部分を、第二部で拾い上げることができたんじゃないかなと思っています。これからも、正解、不正解を決める話は書きたくないですね。自分は正しい、と思っている人間の話は書きたくない。むしろ、自分は間違っているんじゃないかと思っているような人間の話を書きたい。そういう人間になりきれることが、小説を書いたり読んだりする楽しさのひとつじゃないかと思うんですよ」


イッツ・ダ・ボム

文藝春秋

「日本のバンクシー」と耳目を集めるグラフィティライター界の新鋭・ブラックロータス。公共物を破壊しないスマートな手法で鮮やかにメッセージを伝えるこの人物の正体、そして真の思惑とは。うだつの上がらぬウェブライターは衝撃の事実に辿り着く。(第一部)
20年近くストリートに立っているグラフィティライター・TEEL(テエル)。ある晩、HED と名乗る青年と出会う。彼はイカしたステッカーを街中にボムっていた。馬が合った二人はともに夜の街に出るようになる。しかし、HED は驚愕の〝宣戦布告〟を TEEL に突き付ける。(第二部)
「俺はここにいるぞ」と叫ぶ声が響く、圧巻のデビュー作!


井上先斗(いのうえ・さきと)
1994年愛知県生まれ、30歳。川崎市在住。成城大学文芸学部文化史学科卒業。2024年『イッツ・ダ・ボム』で第31回松本清張賞を受賞しデビュー。敬愛する作家は伊坂幸太郎、島田荘司、松本清張、結城昌治、ドナルド・E・ウェストレイク、ローレンス・ブロック。70年代パンク・ロックが好き。


◎編集者コラム◎ 『処方箋のないクリニック 特別診療』仙川環
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