砂村かいりさん『マリアージュ・ブラン』*PickUPインタビュー*
〝自分がいない〟と思わせないために
結婚三年目の友達夫婦
高校時代、ひょんなことから互いの共通点に気づき、打ち解けた奈穂と尊。共通点とは、マスゲームなど集団で機械的な動きを強要されるものが苦手であること、そして他人に恋愛感情も性的欲求もおぼえたことがないこと──。その後、それぞれ異性とつきあう機会はあったがどうしても恋愛感情を抱けなかった二人は、十年後、再会して〝友情結婚〟することを決めた。
結婚してから三年、三十一歳となった奈穂と尊の生活を丁寧に描いていくのが、砂村かいりさんの新作『マリアージュ・ブラン』だ。
「どんなに多様性という価値観が広まっていても、少なくとも今の日本社会は結婚することを成人した男女のゴールとしている。それなら、逆に結婚制度を利用する気持ちで結びつく二人がいてもよいのではないかと思いました。それと、夫婦って何年も一緒に暮らしているとだんだん結婚当初のときめきは薄れて、顔が似てきたり友達同士のようになったりしますよね。だったら最初から友達同士が結婚してもいいんじゃないか、とも思いました。異性愛者同士でも子供を持たないと決めて生活している DINKs の夫婦はいるし、夫婦の形は夫婦の数だけある。この二人には昔交わした言葉だったり、一緒に過ごした時間という下地があって、再会した時にうまく波長が合ったのかなと思います。それと、自分の性的指向をオープンにする人もいますが、この二人にはいわゆる〝普通〟に紛れ込みたい、世間一般の夫婦のように振る舞いたい、という気持ちがあるんです」
仕事でのストレス、家での安堵
奈穂と尊、それぞれの視点から物語は進んでいく。
「恋愛や性愛に興味を持たない者同士でも、思想や嗜好がぴたりと一致しているわけではなく個々に感覚は違うはず。なので二人分の視点を用意して、ちょっとずつ異なる部分を書いていきたいと思いました」
では彼らの人物造形には、どのようなイメージがあったのか。
「奈穂は何か困った時は反射的にへらへらと笑いを浮かべて乗り切ってしまうところがあって、そこを自分でも嫌悪しています。世間から一歩引いていて、自分にとって落ち着く相手がいれば他は多くは望まない人です。尊はこの男性主導社会においては奈穂よりもマジョリティーの立場にいるんですけれど、ホモソーシャル的なノリに馴染めない人ですね」
二人はそれぞれ一度は就職したが事情があって辞めている。奈穂は現在、自宅でオンラインのフランス語会話レッスンの講師として働いており、尊は生花店でアルバイトをして収入を得ている。
「私も副業としてオンラインで英会話講師をしたことがあるんです。英語講師はもうありあまるくらいいるし、私の場合も小遣い稼ぎ程度にしかなりませんでした。でもそれ以外の言語の講師はレアで人気が集中するので生計を立てることはできるかなと思いました。尊は綺麗なものが好きなので、アルバイト先を生花店という設定にしました。実際の生花店の方にオンラインで取材して、専門の道具や店舗の間取り、主な業務内容などについて詳しくうかがいました」
二人の仕事の様子も細やかに描かれていく。その中で、奈穂のレッスンの受講者で、セクハラ発言を繰り返す男性が強烈だ。
「英会話のレッスンをしていた頃、作中に書いたほど露骨ではないんですけれど、こちらの恋愛経験ばかり聞いてくる人がいたんです。その人は女性の講師ばかり選んで同じことをしていたので強制退会になったんですよ。他にも働いていると、女性と見るや立場の差を利用して加害欲を存分に満たそうとする男性には多く出くわします。そうしたことって、比較的理解があると自認している男性でも、女性が大げさに言っているのではないかと疑ってくる。尊も、身近な人が傷ついてはじめて実情を知ることになるんです」
尊は尊で、職場には売り上げ重視の店長や、強気なアルバイト店員などがいて、人間関係に苦労している様子。
「職場はそれぞれが自分の良さを持ち寄って働く場所ではあるけれど、やっぱりみんな完璧ではないですし、細かいところにほころびが出ることはありますよね」
ストレスの多い彼らがほっとできるのが、家で二人で語り合う時間だ。
「誰でも外では用意された役割を演じているけれど、家の中ではそれを解き放っていいと思っています。社会的な仮面をつけたままだと人間疲れますし。外には出さないという前提のうえで、自分の心にある愚痴や本音を語り合える場はやっぱり人には必要で、それが家庭だったり、信頼できる友達だったりするのでは」
二人の間にさざ波が立つ時とは
家事について相手に注文がある時はふざけた口調で伝えあったりと、共に心地よい空間を保とうとする様子が微笑ましい。しかし、意見がくい違うことはある。暗いニュースを憂える奈穂に「あんまり心をひっぱられすぎないほうがいいよ」と尊が言った時は緊張感が走る。
「実際に自分が夫と交わした会話の一部を下敷きにしています。私は今起きている戦争や災害、政治経済などについてもっと誰かと話したいのですが、SNSではそういうことに触れない人も多いですよね。それはその人なりのライフハックかもしれませんが、多くの人は基本的に他人の不幸に立ち入らず距離を置いているんだなと、時々寂しくなります。もちろん私も友達に会っていきなり〝ガザ地区が……〟と話したりはしないです。そのぶん家で夫にバンバン言っていたら、私のメンタルを心配して尊と同じようなことを言われました。そういう温度差や行き違いはどこの家庭でもあると思うし、夫婦でピタリと合わなくて当然だということを書きたかった。お互いに理想としている世界は同じでも、それを目指すための手段や温度感が違うことはよくあると思う。その時に、相手を全否定するのでなく、ちょっとクールダウンしてみたり、自分を振り返ってみたりすることができるといいなと自分でも思っています」
また、他人に恋愛感情も性的欲求も抱かない、アロマンティック・アセクシュアルという言葉に対する二人の反応も違う。
「奈穂には、名前を知ったからにはそういう人たちと実際に会って自分の輪郭を確かめたい思いがあります。尊のスタンスはそれとは違って、別に名前がなくてもいいじゃないかという考え方です。名付けられたり分類されたりすると、世間がその名称にふさわしい振る舞いを求めてくるのではないかという恐怖が彼にはあるのかもしれません」
かと思えば、奈穂が体に不調をきたし、尊から身体のデリケートな部分への接触をともなう世話を受けるシーンも。
「いくら恋愛せずに結婚した二人でも、夫婦なら性愛に関係ない身体接触は起こり得る。それは意外な落とし穴というか。ただ、相手の身体に触れる時の労り方といった、言葉以外のコミュケーションの大切さを二人が知るきっかけになったとは思います」
それぞれの友人関係も描かれていく。奈穂の高校時代の仲良し四人組は、仲間の結婚や出産というライフステージの変化によって微妙な空気が生じていくところがなんともリアル。一方、尊には大人になってから親しくなった星夜という友人がいる。星夜は頻繁に尊に連絡をよこし、二人の家にもちょくちょく顔を見せる。尊と星夜の親密さに、奈穂は次第に疎外感を抱くようになっていく……。
「友達同士の夫婦ならば凪のように穏やかに暮らしが続くかといったらそうでもなくて、やっぱり感情が波立つこともある、ということは書いておきたかったです。恋愛や性愛が絡まなくても、大切な相手に対して独占欲や嫉妬心は起こり得ると思う。人間は一枚岩ではなくて、割り切れない部分やままならない部分、自分でも整合性のつけられない感情があって当然というのは、すごく書きたかったことでした」
きっかけはテレビドラマだった
実は本作を書くきっかけは、テレビドラマだったという。
「二年前にNHKで『恋せぬふたり』という、アロマンティック・アセクシュアルの方々を主人公にしたドラマが放送されて話題になったんです。私も観ながらSNSにポツポツと感想を書いていました。そのドラマにアロマアセクの人同士で友情結婚した夫婦もいる、という台詞があって。私のSNSを見ていた編集者さんから〝友情結婚した二人がどんな暮らしをしているのかを書いてみるのはどうでしょう〟とご提案いただきました。自分も当事者の方のSNSや漫画などに触れて予備知識はあったんですけれど、あのドラマを観たことで、思っていたよりそういう方が沢山いらっしゃることや、性的マイノリティーの方々にもさまざまあり、立ち位置にグラデーションがあることに視野が広がる思いがして、書いてみたいと思いました」
執筆にあたり、当事者に話を聞く機会もあった。
「当事者の方々が、〝これまでの恋愛ドラマや恋愛漫画の中には、どこにも自分がいなかった〟〝『恋せぬふたり』でやっと自分のことが描かれたと思った〟と語っている記事を読んだり、実際に味わってきた苦痛や理不尽な経験について取材の中で教えていただいたりして、これまでのフィクションがどれだけ異性愛が当然という乱暴な前提のもとに作られてきたか、改めて気づかされてショックでした。そうではないものをもっと小説でも書いていく必要があるんじゃないかと思いました」
執筆の際は、当事者に〝分かっていない〟と思われるところがないか、慎重に考えながら筆を進めた。砂村さんにとっては、新たな挑戦だったのでは。
「確かに挑戦でもありましたが、そう言ってしまうこと自体、当事者の方々をコンテンツ扱いしているようで気が咎めます。私にできるのは、極々微力かもしれないけれど、認知を広げていくことです。自分と世間とのずれを感じている人たちのことも積極的に主人公にしていきたい。もちろん結婚や出産を選択した異性愛者を否定するわけではないのでバランスは難しいかもしれないけれど、偏った認識や多数派の価値観だけで作られた世界が今も誰かを苦しめていることに気づき、その歪みを少しずつでも直してゆこうという意識が社会に浸透するところを目指したいんです。SNSで、〝多様性を扱った作品がたくさん出てきすぎてもうお腹いっぱい〟という読者のレビューを見たこともあります。でも、私達がマイノリティーの方々を踏みにじっている足をどける日まで、少しでも自分にできることはないかなと思っています」
誰かをマイノリティーだと括ることも乱暴ですが、と断りつつ語る砂村さん。
「今後マイノリティーの方々を書く時には、特別なテーマとして書くのではなく、ごく当たり前の存在として主人公や主人公の身近な人に設定するようにしたい。私の読者さんからはデビュー作のような(異性愛者同士の)恋愛小説を書いてくれとすごく言われるので、その期待に応えたい気持ちもあります。ただ、それを書く時にやっぱり、マイノリティーの方々に〝どこにも自分がいない〟と思わせてしまうかもしれないことは、自覚していたいです」
砂村かいり(すなむら・かいり)
2020年に第5回カクヨムWeb小説コンテスト恋愛部門〈特別賞〉を『炭酸水と犬』『アパートたまゆら』で二作同時受賞し、翌年デビュー。その他の著作に『黒蝶貝のピアス』『苺飴には毒がある』がある。