長谷川まりる『呼人は旅をする』◆熱血新刊インタビュー◆
折り合いをつける方法
現代とよく似たその世界では、呼人(よびと)という「なにかを寄せてしまう体質の人」が存在する。動物、虫、植物、自然現象など寄せるものは人それぞれで、その体質は突然発現し、元に戻ることはほとんどない──。
『呼人は旅をする』は、おもに未成年の呼人たちを各短編の主要人物に据えた連作集だ。物語の出発点にあったのは、漆原友紀のマンガ『蟲師』だったという。
「主人公のギンコさんは蟲を呼んでしまう体質を持っていて、同じ場所に長く留まると蟲が悪さをしてしまうから、それを避けるためにずっと旅をしています。もしも蟲ではなくて、他のものを呼んでしまう人がいたら何が起こるんだろう……と想像していくうちに、このお話ができあがっていきました」
呼人、という造語が鮮やかだ。実は、当初はシンプルに魔女という呼び名で行く予定だったそう。ヨーロッパの魔女狩りの時代に魔女というレッテルを貼られた人々は、悪天候などを「呼ぶ」存在として迫害されていた、という歴史的事実からの連想だった。
「魔女だから、女の人だけ、生理の期間だけそういう体質になるという設定でした。でも、打ち合わせの時に編集さんから〝女の人だけに限定しない方が、作品のテーマ性にあっているし、広がりが出ていいんじゃないですか?〟と言われたんです。別の名前を付けなければなとなって、じゃあ、呼人でいいかな、と(笑)」
本作のインスピレーションの源となった『蟲師』は、蟲によって引き起こされたさまざまな現象の謎を主人公が解く、憑き物落とし系ミステリーだった。しかし、本作にその要素はない。また、本作は超能力ものの変種であるが、能力を使ってトクをするといった同ジャンルのお約束展開は採用されていない。呼人となり、社会的マイノリティとなった若者たちが直面する悩みや生きづらさにフォーカスを当てている。
「呼人の能力は役に立たない、ということは最初に決めました。〝別に役には立たない。ただいるだけです〟と。その〝ただいるだけ〟が、周りからはなかなか許してもらえないし認めてもらえないんですよね」
自分の間違いや視野の狭さに、自分で気づくこと
第1話「スケッチブックと雨女」に登場するのは、小学6年生の「雨の呼人」だ。1年前に呼人だと判明した一駒紫雨(いちこましぐれ)は、全国各地を転々と旅しながら、元いた小学校の授業にリモートで参加していた。そんな紫雨が、6年生のおわかれ遠足に参加したいと学校に連絡してきた。自分がいる場所に必ず雨を降らせる紫雨が参加するとなれば、行き先は野外のアスレチック施設から退屈な博物館へと変更になる。クラスメイトのあかりは、反対派の急先鋒となるが……。
「〝雨女が本当にいたらどうなるかな?〟と考えていきました。例えば、ずっと雨が降り続けたらその土地では作物が育たないし他の人の生活も成り立たないから、たぶん1、2週間ぐらいで場所を移動しなければならない。それから、外国旅行はできないだろうな、と。国によっては深刻な雨不足で悩んでいる地域があるので、外国で誘拐されてしまう可能性があると思うんですよね。そういう事態にならないためには国内でも居場所を隠す必要があるからきっと、SNSもやらせてもらえない」
雨の呼人になったらどんな困難が人生で待ち受けているのか。あかりはそのことについて知ること、想像することで、友人を受け入れられるようになるのだ。
「自分が書くものが児童文学だという意識はあまりないんですが、第1話に関しては小学6年生の話だったこともあり、〝これを子供たちが読んだらどう思うかな?〟と考えていました。小説は道徳の教科書ではないし、正論を押し付けるようなことはしたくなかったんです。あかりのことは否定しないで、別の正しさを押し付けるやり方ではなくて、彼女にどうやって考え方をやわらかくしてもらうか。大事なことは、自分の間違いや視野の狭さに、自分で気づくことなんじゃないかなと思いました」
第2話「たんぽぽは悪」は、たんぽぽを「呼ぶ」中学2年生の呼人・つづみを主人公に据え、彼女と家族との関係性にフォーカスを当てている。
「最初に書いた短編です。長野の実家に里帰りした時、庭にたくさんたんぽぽが咲いていて、親に頼まれてぶちぶち抜いていたんですね。3日後にまた行ったら、庭が全部黄色に戻っていて〝たんぽぽ、怖っ!〟と(笑)。母と自分との関係を反映させた部分もあります。私はいわゆる「元宗教2世」なんですが、母の宗教では、これもダメあれもダメと、子どもの人生にどんどん介入してくることがありました。特に、信仰をしている自分たちは善でそれ以外の人たちは悪だという考え方がイヤで、〝そんなことないでしょう〟とずっと思っていたんです。当時の自分の気持ちを、つづみに言ってもらった感覚があります」
解体シーンが鮮烈な第3話「鹿の解体」では、中学2年生の鹿嶋ツトムが呼人になってしまう瞬間のエピソードを描いている。街を出て、ずっと片思いしている同級生の少女と離れ離れにならなければいけなくなり……。第5話「男を寄せる」は、男性を寄せる体質を持ってしまった呼人・慧正(けいせい)の物語だ。駅のホームで男たちに群がられる冒頭のシーンにはホラーの感触が漂っているが、途中でラブストーリーへと変貌する。慧正はトランスジェンダー男性で、性別適合手術を望みつつ踏み出せないでいたが、三つ葉との出会いで変化がおとずれる。
「性別適合手術によって体質が変われば、呼人の『寄せる』体質も変わるかもしれない。でも、変わらないかもしれない。マイノリティだからこその、ロールモデルがいない不安を書いてみたいと思いました」
本作は呼人の物語ではあるが、呼人だけの物語ではない。実在するさまざまなマイノリティの人々の心情を、呼人というフィルターを通すことでより色濃く輪郭づける試みでもあるのだ。
100%のフェアで平等な社会が実現するのは難しい
第4話「小林さんの一日」では、呼人支援局で働く男性職員を主人公に据えた。
「〝呼人が本当にいたら?〟と考えていった時に、政府が呼人の生活を保護したりサポートするような機関は絶対あるはずだな、と。私の姉の息子が知的障害を伴う自閉スペクトラム症で、例えば役所に行った時に発生する手続きの面倒くささなど、姉から聞いてきた話をかなり反映させています。『きょうだい児』のことも書きたかったんです。病気や障害のあるきょうだいがいる子供のことをそう呼ぶんですが、自分以外のきょうだいに両親の関心が偏ってしまうことで、『きょうだい児』が孤立感を感じてしまうことがあるんですね。あまり知られていないマイノリティの問題でもあるしリアルに書きたいなと思ったんですが、現実に起きていることをそのまま書くと、拒否反応が出てしまうかもしれない。でも 〝これは呼人の話です〟というファンタジーを取り入れることで、リアルなことをリアルなまま書けるようになるんです」
最終第6話「渡り鳥」は、鳥を呼ぶ中学1年生の呼人・くいなが主人公だ。彼女は非呼人の友人との語らいの中で、移動してばかりでかわいそうと思われている自分の人生の価値を、引っ繰り返すロジックを見つけ出す。振り返ってみれば本作の主人公たちはみな、ままならない己の運命と折り合いをつけ、前向きな一歩を踏み出すための思考法を獲得していた。そこで大事なことは、「頭をやわらかく」(第6話の表現より)することなのだ。
「最近はダイバーシティとかいろいろな言葉を使って、フェアで平等な社会を目指していますみたいなことがよく言われます。そこは目指さなければいけないことなんだけど、100%のフェアが実現するのは難しいなと正直思うんです。そうなった時に大事になってくるのが、世の中の折り合いをつける方法で。どのお話も、その方法だとか考え方について書いている気がしていますね。 〝こういう考え方をしたらちょっとラクになるかもよ?〟って、ふんわりした希望を表現できるのが小説の良さだと思うんです」
「呼人」とは、なにかを引き寄せる特殊体質。原因は不明でごく少数だが一定の割合で発現する。政府機関によって認定され、生活に制限がある。5人の呼人と、呼人に関わる人たちの姿から、社会の中で少数であること、そうした状況で生きるというのはどういうことか、を描く。人とちがうこと、それでも隣りあって生きること──痛みと希望の連作短編集。
長谷川まりる(はせがわ・まりる)
長野県生まれ東京都育ち。『お絵かき禁止の国』で講談社児童文学新人賞佳作、『かすみ川の人魚』で日本児童文学者協会新人賞、『杉森くんを殺すには』で野間児童文芸賞を受賞。作品に『満天 in サマラファーム』『キノトリ/カナイ 流され者のラジオ』『砂漠の旅ガラス』などがある。