著者の窓 第43回 ◈ 福田果歩『失うことは永遠にない』

著者の窓 第43回 ◈ 福田果歩『失うことは永遠にない』
 HYの楽曲をモチーフに、男女の20年にわたる恋を描いた現在公開中の映画「366日」。その脚本を手がけた福田果歩さんが、初のオリジナル小説『失うことは永遠にない』(小学館)を刊行しました。母親の失踪を機に、大阪を訪れることになった小学5年生の奈保子。そこで出会った同い年の少女・アサコとの楽しい日々が、孤独だった奈保子の人生を静かに変えていく──。繊細な心の動きを、印象的なエピソードとともに描いた物語は、担当編集者が「編集人生で一番といってもいいくらい大好きな作品」と絶賛、池松壮亮さんと上白石萌歌さんも熱い推薦文を寄せています。脚本家と小説家、ふたつの顔での活躍が期待される新鋭・福田さんにインタビューしました。
取材・文=朝宮運河 撮影=松田麻樹

挫折を乗り越えてついに掴んだ作家という夢

──1月21日発売の『失うことは永遠にない』は、脚本家として活躍する福田さん初のオリジナル小説です。書き下ろしで刊行された作品ですが、執筆の経緯を教えていただけますか。

 2022年に城戸賞(プロ脚本家への登竜門として知られる新人賞)で準入賞したのがきっかけで、小学館の編集さんとお知り合いになれたんです。脚本家と同じくらい小説家になるのが長年の夢だったので、「こういう作品を書いています」とこれまで書き溜めてきた小説を何作かお渡ししました。その中にあった『失うことは永遠にない』の原稿を編集さんが気にいってくださって、ぜひ本にしましょうと。すごく嬉しかったです。あの連絡をいただいた日のことは、一生忘れられないですね。

──これまでのプロフィールと執筆歴を教えていただけますか。

 小説を書き始めたのは小学生の頃です。当時から作家になりたいと思っていて、中学の3年間はあちこちの出版社に持ち込みをしていました。当時はケータイ小説が流行っていて、10代の書いた小説に興味を示してくれる出版社がいくつかあったんです。その中のある編集さんに原稿を何度か送っていたら「君は確かに書ける人だけど、同じくらい才能がある人はたくさんいる。もう原稿は送ってこないで」と言われてしまって。自分には才能があるはずだ、という根拠のない自信はそこでへし折られました。ショックで高校時代はまったく小説を書いていません。

──苦い挫折を味わったわけですね。その後、日本大学藝術学部映画学科脚本コース(当時)に進まれていますよね。映画への関心はいつ頃からあったのでしょうか。

 高校時代から映画をよく観るようになって、ものを書くなら脚本家という道もあるかもしれないと思い始めたんです。それで親や学校の先生の反対を押し切って、日藝の映画学科に進学しました。卒業後も就職はせず、ある脚本家の方に弟子入りしたのですが、プロの厳しい現場を目のあたりにして、自分には無理かもしれないと考えるようになりました。2度目の挫折です。生活するために広告代理店に就職したのですが、気づいたらまたいつの間にか、小説を書くようになっていたんです。職場の人たちも理解があって、仕事が暇な時は「今ここで書いたら」と応援してくれて(笑)。書いては新人賞に応募するという生活を送っていたのですが、その時期に書きあげた作品の中には、『失うことは永遠にない』の原型もありました。

福田果歩さん

──やはり福田さんにとっても思い入れの深い作品だったのでしょうか。

 はい。自分にとってとても大切な物語が書けたという実感がありました。子供の頃からずっと小説を書き続けてきましたが、自分が表現したかったことはこれだったんだと。この作品で結果を出せなければ、小説家を目指すのはきっぱり諦めよう、というくらい思い入れのある作品でした。結局どこの賞にもひっかからず、またしばらく小説から遠ざかってしまうんですが。

──3度目の挫折を経験された。そこからどのように脚本家デビューに繋がっていくのですか。

 映画会社の宣伝部に転職して、仕事はやりがいがあったので、充実した日々を送っていました。そんなある時、プロデューサーから「プロットを書いてみないか」と声をかけられて、最初はあくまでお手伝いのつもりで引き受けたんです。それでも書いてみると楽しいんですね。諦めが悪いんですけど、やっぱり自分は書くのが好きなんだと思って、「1年間書けるだけ脚本を書いて、コンクールに出しまくろう」と決意しました。当時もう30歳を過ぎていましたし、結婚なども視野に入ってくる時期だったので、これで駄目なら今度こそ創作から離れるつもりでした。

──その結果、第48回の城戸賞に準入賞され、脚本を手掛けた「366日」が全国公開。それと同時期に『失うことは永遠にない』で小説家としてもデビュー。見事に夢を叶えられましたね。

 何度も挫折しましたけど、最後でなんとか結果を出すことができました。「小説家や脚本家なんて」と反対していた家族も今では喜んでくれているので、諦めなくてよかったなと思っています。

子供時代に味わった孤独や痛みを物語に

──『失うことは永遠にない』は主人公の小学生・奈保子が日々の生活の中で抱く痛みや孤独を、家族や友人とのエピソードを交えて描いた物語です。着想の出発点は。

 プロットなどは決めずに、気持ちの向かうままに書いたという感じでした。割とそういう書き方をすることが多いですね。夏休みに奈保子が大阪に行くという展開も、そこで起きる出来事も、当初はまったく予定になかったもの。最終的に奈保子がどうなるかも決めていませんでした。読者のためというより、まず自分に向けて物語を紡いでいたのだと思います。

──奈保子は自分の思いや感情を、うまく表現することができないタイプの女の子です。彼女のキャラクターはどのように生まれたものですか。

 奈保子は自分の見たくない部分、嫌いな部分を投影したキャラクターですね。日々いろんなことに傷ついているのに、それを口に出すことができない。そしてその苦しさを、自分よりも弱いものを傷つけることで解消しようとしてしまう。そういう子供時代のずるさや弱さ、その裏側にある罪悪感や寂しさのような感情に、この物語ではあらためて目を向けています。

──小学4年のある日、クラス全員から無視されるようになった奈保子。何の前触れもなく始まったいじめは、しばらく奈保子を苦しめた後、ある日突然終わりを迎えます。そんな変化を黙って受け入れる奈保子の姿が、心に残ります。

 親の仕事の関係で、うちは引っ越しが多かったんです。幼稚園も小学校も何度も変わって、自分には居場所がないという感覚をずっと味わってきました。地域によっていろんな学校があるんですけど、周囲の子に合わせたキャラを演じながら、目立たないように気をつけて過ごしていました。自己主張をせず、これは本当の自分じゃないと感じながらも、それを受け入れて生きている。そんな子供時代だったなと思います。やっと自分の意見を持てるようになったのは、受験して中学に入ってからですね。

福田果歩さん

──父親の浮気が原因で、母親が失踪。小学5年の奈保子はそれを機に、大阪にある祖父の家に預けられることになりました。大阪で過ごした日々は、奈保子の心に忘れられない記憶となって刻まれます。

 大阪という土地はわたしにとって、幸せな生活の象徴です。以前、大阪に住んでいる人とつき合っていたことがあって、その人のアパートのそばを流れる川沿いの道をよくふたりで散歩しました。その頃に目にしたきらきらした景色、わたしたちの前を手を繋いで幸せそうに歩く家族連れの姿が、なぜだかずっと心に残っていて。自分もその家族の一員になったような不思議な幸福感が、大阪の場面には反映されているのかなと思います。

──川べりの道を歩いていた奈保子は、アサコという同い年の女の子と出会います。母親の帰ってこなくなった古びたアパートで、きょうだいと一緒にたくましく生活しているアサコ。そんな暮らしに、奈保子はほのかな憧れを抱くようになります。

 奈保子と一緒でわたしの家もそこそこ裕福で、食べるものにも着るものにも困ったことはありません。転校先には困窮している家庭もたくさんあって、同級生から羨ましがられることもあったのですが、わたしにしてみれば家族がみんな仲良くて、楽しそうにしている同級生たちが羨ましかった。恵まれた生活を送っていながら、よその家庭を羨むのは欲深いことなんじゃないかという気がして、はっきり口に出したことはありませんが、ずっとそんな思いを抱いてきたんです。

福田果歩さん

──学校に通っていないアサコが、拾ってきた国語の教科書の「スイミー」を朗読するシーンが印象的です。

「スイミー」は国語の授業で読んで以来、大好きな物語。小さな魚たちが集まって大きな魚になるという場面が、アサコたちきょうだいの生き方と通じている気がして、アサコに読み上げてほしいと思いました。といってもあらかじめ出そうと決めていたわけではなく、書いていたら自然に「スイミー」が出てきたという感じでした。

──やがて訪れる楽しかった日々の終わり。奈保子が東京に戻る前夜の〝ある出来事〟を描いたシーンには、どきっとさせられました。

 子供の頃に抱いた罪悪感って、いつまでも消えませんよね。家族にひどいことを言ってしまったとか。その時は自分なりの理由があったし、今さら謝るのも変なんですけど、ずっと棘のように心に刺さっている。そういう感覚が一番出ているのが、あの場面だと思います。

心に浮かんだ幸せなイメージは、永遠に消えない

──「アサコとナホちゃんは、ずっと友達やんな」と話しかけられ、「うん、ずっと、友達だよ」と答える奈保子。『失うことは永遠にない』というタイトルは、離れていても深いところで繋がっているふたりの関係を象徴しているように思います。

 小学生の頃って、親しくなると「ずっと友達でいようね」と気軽に口にしますよね。わたしは転校を何度も経験して、「ずっと」なんて存在しないことを知っていました。でもそう言った時の純真な気持ちは、永遠に残り続けるという気がするんです。人生には失われたり選ばれなかったりする未来も多いですが、その時に浮かんだ幸せな未来のイメージは、たとえ記憶が失われたとしても、ずっと消えることがないと思うんです。そういう願いをこめてこのタイトルをつけました。

福田果歩さん

──10年前の原稿を書籍化するにあたって、大きく書き換えた部分はありますか。

 基本的な流れは一緒です。大きな違いはプロローグとエピローグですね。書籍では15歳の奈保子が過去を回想するという形にしていますが、原稿ではこの年齢が30歳だったんです。大人になっても過去の記憶に囚われているという主人公を、新しい将来に向かって歩き出す主人公に変更しました。原稿を書いた当時はまだ23、24歳で、わたし自身子供時代の記憶を引きずっていたんですけど、改稿した時には30歳を超えていて、すでにいろんな過去を手放せていたので、希望のある結末にすることができたのだと思います。

──小説家と脚本家、ふたつの夢を手に入れた福田さんですが、今後どちらをメインで活動されるのですか。

 どちらのお仕事も好きなので、うまく両立させられたらいいなと思います。物語を作るという部分は一緒ですが小説は個人戦で、脚本はチーム戦。小説は自分の書きたいことを深く掘り下げることができますし、脚本はスケジュールや予算など現実的な縛りがある中で、物語をうまく成立させることが求められる。それぞれ違った難しさとやりがいがあるなと感じています。

──今後はどんなテーマに挑んでみたいですか。

 やっぱり家族について書きたいです。家族は人生で最初に属するコミュニティで、相性が良くても悪くても、簡単に離れることはできません。多くの人にとって、特別な存在だと思います。自分の過去についてはこれで一旦決着がついたので、これからはもっといろいろな家族の形を扱ってみたいですね。


失うことは永遠にない

『失うことは永遠にない』
福田果歩=著
小学館

 

福田果歩(ふくだ・かほ)
1990年生まれ。東京都出身。日本大学藝術学部映画学科脚本コース卒業。2025年1月公開の映画「366日」(主演/赤楚衛二、出演/上白石萌歌)の脚本を担当。同作のノベライズ小説も担当する。受賞歴に、22年の第48回城戸賞準入賞などがある。『失うことは永遠にない』が初のオリジナル小説となる。

福田果歩さん

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