田口幹人「読書の時間 ─未来読書研究所日記─」第46回

田口幹人「読書の時間 ─未来読書研究所日記─」

「すべてのまちに本屋を」
本と読者の未来のために、奔走する日々を綴るエッセイ


 今年度から、日本歴史時代作家協会賞の選考委員を務めることになった。
 書店員だった頃から今に至るまで、僕の読書の中心にあったのは、ほとんど歴史時代小説だった。気がつけば、ずいぶん長い時間をこのジャンルの本とともに過ごしてきた気がする。新刊が届けば、まず気になって手に取り、平台に並べるときには、どの本を少し前に出すかを考える日々を送っていた。棚の前で、立ち止まるお客さまの視線の先を追いながら、この人にはこれかもしれない、と一冊を思い浮かべることもあった。書店という場所には、本と人が出合うための小さな出来事が、毎日のようにあったな、と書店員時代の楽しかった側面を思い出すことがたまにある。
 あの頃の僕は、本を売っていたというより、本と誰かが出合う場に立ち会っていたのだと思う。たまたま目に留まった背表紙。何気なく手に取った一冊。誰かにすすめられたひと言。そういうほんの小さなきっかけが、その後の読書を変えていくことがある。書店の仕事の面白さは、そういう瞬間にいくつも出合えることだった。
 いまはもう、あの頃のように毎日店頭に立ち、読者に直接本を手渡すことはできないが、本と誰かのあいだに橋を架けるようなことが、別のかたちでまだできるのなら。その思いが、今回この役目を引き受ける理由になった。
 実際に選考会に臨んでまず感じたのは、読むということの豊かさだった。大先輩である選考委員の皆さんの話を聞いていると、同じ一冊を読んでいても、こんなにも見ている場所が違うのかと驚かされた。物語の運びを見る人がいて、人物の立ち上がり方を見る人がいて、時代の置き方、言葉の選び方、細部の確かさに目を凝らす人もいた。なるほど、そこを読むのか、と何度も思うことができた貴重な時間だった。
 そうやってさまざまな意見に耳を傾けながらも、自分の中にはずっと、わりあい単純な熱があった。「やはりこの一冊だろう!」という想いがあったからかもしれない。選考というのは、器用に意見をまとめることではなく、それぞれが自分の読書を持ち寄ることなのだと思っている。どのように読んだか、どこを大切だと思ったか、その人の読書がそのまま言葉になるから面白いし、少しひりひりもする。

 今年度の第15回の受賞結果を見ても、日本歴史時代作家協会賞という賞のかたちが、よく表れていたのではないか、と思っている。今年は、新人賞が坂井のどかさん『砂上の王国』と葉山博子さん『南洋標本館』の同時受賞となった。文庫書き下ろし新人賞は帯刀古禄さん『剣客逓信 明治剣戟郵便録』、作品賞は周防柳さん『南朝 風姿花伝』、シリーズ賞は井原忠政さんの「三河雑兵心得」「北近江合戦心得」「真田武士心得」の各シリーズである。新人賞があり、文庫書き下ろし新人賞があり、作品賞があり、シリーズ賞がある。この並びを見ていると、歴史時代小説というジャンルが、一冊の傑作だけでできている世界ではないことがよくわかる。新しい書き手がいて、日々読まれる文庫があり、高い達成を見せる作品があり、長く読者に寄り添うシリーズがある。そういう全体があって、このジャンルは息をしているのだろう。だから僕は歴史時代小説が好きなのだ。
 新人賞が同時受賞になったことも、今年らしいことだったように感じている。『砂上の王国』と『南洋標本館』は、どちらも強く印象に残る作品でありながら、その残り方はまったく違う。歴史時代小説の新しさは一つではないということを、結果そのものが語っているようだった。
 今回の受賞作の中で、僕自身の感想として、とくに触れておきたいのは、葉山博子さんの『南洋標本館』である。読み終えて本を閉じてもしばらく、すぐにはこちらの時間に戻ってこられなかった。そういう読書体験は、そうたびたびあるものではない。歴史を描いているのに、歴史の説明にならず、植物や標本が出てくるのに、それが知識として片づけられていかない。この作品を読んでいると、見ること、集めること、分類すること、名づけること、そういう人間の行為そのものについて考えさせられる。標本を作るというのは、失われていくものを残そうとする行為であるが、それと同時に、対象を切り取り、分け、名を与え、そこに固定していくことでもある。その両方の意味が、この物語の根底にあり続けていた。そして、自分は世界をどう見ているのか。歴史をどう見ているのか。そういうところまで、静かに問いかけてくれた。
 そう、歴史小説とは、過去を知るためだけに読むものではなく、過去を通して、いまの自分が何を見て、何を見落としているのかを知るためのものだ。『南洋標本館』は、まさにそういう一冊だった。読後に残るのは余韻だけではなく、自分のまなざしそのものが、少し問われたような感覚だった。こういう本に出合うと、読書ってやはりすごいなと思ってしまう。

 そんなことを考えていた折、もう一つ、別の角度から本と読者をつなごうとする試みが始まった。BOOK MEETS NEXT による「読者が選ぶ文庫本『本の日大賞』」である。こちらでは、候補作を選ぶ選考委員を務めることになった。
 近年、書店の店頭で新刊が大きく展開される時間は、ずいぶん短くなったように感じる。書籍の売上高は減っているのに、新刊は次々に出る。しかし、売り場には限りがある。発売日は出版社や著者の事情の中で決まっていくが、読者は毎日書店に来るわけではない。ほんの数日の違いで、出合えたはずの一冊に出合えないまま過ぎていくことがある。書店とは本来、そういう偶然が起きる場所だったはずなのに、その偶然が少しずつ少なくなっているのではないか、と感じていた。それもあり、「この一年に出た文庫本(注:今回の選考は2026年1~5月刊行の新刊文庫が対象)を、もう一度店頭で読者と出合わせるきっかけをつくれないか」という相談を受けたとき、その思いには賛同することができた。
 11月1日の「本の日」に発表するという日程が先にあり、準備期間は決して長くなかった。会議では、ここで慌てて始めるより、一年かけて準備した方がいいのではないか、という意見もした。けれど、たとえ小さくても、いったん返品された文庫がもう一度店頭に並び、誰かの目に留まるなら、それには意味があると思い、反省点はきっと出て、うまくいかないこともあるかもしれないが、まずは動いてみよう。その声に、僕も賛成した。

 もっとも、引き受けたからには読むしかない。候補作は多く、日本歴史時代作家協会賞の選考時期とも重なっていた。この2か月は、まさに読書、読書の日々だった。けれど、そうやって読み続けるうちに、「選ぶ」ということの重さと面白さが、少しずつ自分の中ではっきりしてきた。歴史時代小説の賞と、もう一度文庫本を読者の前に差し出すための賞。やっていることは違うように見えて、その底に流れているものは同じなのだと思う。この一冊を、誰かの次の読書にしたい。その気持ちである。

 繰り返しになるが、僕はもう、かつてのように直接読者に本を手渡すことはできないが、こうした活動が、少しでも本と誰かの出合いのきっかけの一助になればと思っている。選考会で交わされる言葉も、返品後にももう一度書店の棚に戻される文庫本の背表紙も、どちらも次の一冊へ向かう入口になりうるはずだ。
 書店の売り場に立っていた頃から自分がしてきたことと、いま選考の場でしていることは、思っていた以上に地続きであり、かたちは変わっても、本と人をつなぎたいという気持ちは変わらない。そのことを、いまは前より少しだけ、はっきりと感じている。
 ただ本を売る人ではなく、本を誰かに手渡そうとする人を、書店員とした場合、僕もまだ書店員と名乗っていいのかな。

 


田口幹人(たぐち・みきと)
1973年岩手県生まれ。盛岡市の「第一書店」勤務を経て、実家の「まりや書店」を継ぐ。同店を閉じた後、盛岡市の「さわや書店」に入社、同社フェザン店統括店長に。地域の中にいかに本を根づかせるかをテーマに活動し話題となる。2019年に退社、合同会社 未来読書研究所の代表に。楽天ブックスネットワークの提供する少部数卸売サービス「Foyer」を手掛ける。著書に『まちの本屋』(ポプラ社)など。


「読書の時間 ─未来読書研究所日記─」連載一覧

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