◎編集者コラム◎ 『彼女の知らない空』早瀬 耕
◎編集者コラム◎
『彼女の知らない空』早瀬 耕
人は、自分にとって大切な存在がいる場合、その人を鏡にして自分の姿を見ているのではないかと思う。「こんな自分でありたい」という理想は、漠然とではあっても誰もが持っていると思うが、それは、自分に対してというよりも大切な人に対して「こうありたい」、「こう生きたい」という願いのような気がする。恋人、夫や妻……人によってその相手はまちまちだろう。でも、「何があっても、この人を裏切りたくない」という気持ちこそが、その関係性を揺るぎないものにしているのではないだろうか。
早瀬耕さんの短編集『彼女の知らない空』には、何組かの夫婦が登場する。自立し、信頼し合い、いい距離感で人生をともに歩んでいる大人のカップルたちだ。そんな夫婦の間に、互いに打ち明けられない秘密が生じたり、結婚した時の誓いに反するような事態が生じてしまう。抗えない状況に呑まれ、意思とは裏腹に〝こうありたい自分〟ではなくなっていく葛藤。その結果、大切な人を裏切ってしまう苦しみ。この短編集では、組織の中で働く個人のジレンマが描かれているのと同時に、〝大切な人〟に対してどうしたら誠実に生きられるのか、という問いかけが通奏低音のように繰り返されている。
そういう意味では、戦争や過重労働などシリアスで今日的なテーマを取り上げながらも、この短編集は普遍的な恋愛小説だと言える。読み終わったら、大切な人とお酒を飲みながら語り合いたくなるような本になっているならば、とても嬉しい。
装丁は、タイトルにも入っている「空」のヴィジュアルにしようとは決めていたけれど、寒々しい青ではなく、希望を感じるような暖色を使えないかと思案していた。デザイナーの鈴木成一さんのアイディアで、世界各地のさまざまな色の美しい空をコラージュした装丁が完成(文庫サイズなのに、5点も写真を使用するという贅沢さ!)。ぜひ、書店で手にとってみてください。