インタビュー 古谷田奈月さん 『望むのは』
常にこの先何を書こうかなという楽しみが大きくて。
それが自分とって、一番の生きるというか原動力の中心にあります
男女同権、ジェンダーレスな近未来社会を描く『リリース』で三島由紀夫賞の候補になるなど、注目株の作家、古谷田奈月さん。そんな彼女が描く青春小説『望むのは』は、色というモチーフを自在に操りながら、ちょっと不思議で、でも真っ直ぐな物語である。
隣のおばさんはゴリラ!?
三月。十五歳になった小春は、〈若い人間として生きられる、これが最後の一年だ〉と憂える少女。色で占いをする〈色見〉の祖母の影響で、自分も絵の具を使って色を生み出しては小瓶に保管している。隣の安藤家のおばさん、秋子さんはゴリラだ。親戚の家で暮らしていた息子・歩が今年からはその家に住み、小春と同じ高校に通うという──古谷田奈月さんの『望むのは』は、最初の数ページを読んでまず違和感を抱く。サラリと書いているけれど、隣のおばさんがゴリラだというのは、比喩なのか? これが驚くことに、彼女は本当にゴリラなのである。
「最初からゴリラだったんですよ」
と、笑顔を見せる古谷田さん。
「普通に暮らしている中でゴリラがいるとしたら、気まずいじゃないですか(笑)。最初は、ゴリラが日常に溶け込んでいる社会に、主人公たちが越してくる話を考えました。主人公も秋子さんと同年齢くらいの人を考えていたんです。お隣の奥さんがゴリラで、他の奥さんや友達はみんな当たり前に振る舞っているけれど、自分はお隣さんに会うたびにぎょっとしてしまう。夫は仕事であまり家にいないから気にしていないけれど、自分はどうしよう……という(笑)。ただ、そうなるとゴリラ中心の小説になってしまうんですよね。私が書きたいのは、ゴリラを特別視してどう接するかではなく、どう気にしないか、という話でした。何かヘンだぞと思うものとの距離の在り方を書きたかった。それで、奥様同士よりは相手を気にしないでいられる存在として、想定していた人の娘を主人公にすることにしました。いってみればある程度関係性に無責任でいられる存在です」
三島賞候補にもなった『リリース』で近未来の男女同権社会を描くなど、社会を見つめる目を持つ古谷田さんらしい成り立ちともいえる。最初は第一話を短篇として書いたとのことだが、
「途中から、これは一冊になるくらいのことが書けるなという手応えがあり、単行本一冊分の分量を書くことにしたんです」
以前上梓した『ジュンのための6つの小曲』は、音楽だけが友達という十四歳の少年が登場した。今回は、色と親しむ十五歳の少女が主人公であることにテーマの繋がりを感じるが、
「色は思いつきでした。ただ、『ジュンの~』と同じように人間の感覚に関わることでもう一回書きたいと思っていた気はします。音というものは完全に私の興味の対象でしたが、色は常に意識しているものでもありませんでした。でもそういうものを書くことで、私の世界がちょっと広がるんですよ。普段生活していても、自然と色に意識が向くので。私自身が小春に色のことを教えてもらおう、という感じでした」
色彩に関する表現がふんだんに使われると同時に、光にあふれた景色も浮かび上がる描写がなんともみずみずしい。
「色の表現は大変でした。エッセイだったら書けなかったかもしれないけれど、小春として世界を見ているから書けたと思います。書きながら気づいたのは、光と影というものが色の世界の前提にあるということでした」
小春の祖母が色で占う〈色見〉という職業であることもユニークだ。
「色占いについては聞いたことがあったのですが、詳しくは知りません。占い師って、職業として特殊な印象がありますよね。ゴリラと同じで、聞いたら一瞬“えっ”と思う存在だけれども、そこにフォーカスせずに、そういう人もいるよね、という距離感で書きたかった」
高校生のカラフルな日常
小春の一年間が描かれる本作。十五歳は若さの終わりだと憂える姿が微笑ましいと同時に、自分の十代の頃の焦燥感を思い出させる。
「なぜか自分も十五歳の時にそう思ってたんです。私は十三、十四歳の頃に不登校で社会からはみでていたんですが、鬱々としていたわけではなく、自分が何かできそうな気がしていたんです。でもそれを十五歳までにやらないといけないと思っていて。十四歳の頃はすごく焦っていました。十五歳で世界的な活躍をしなくちゃいけないような気になっていたんですよ、なんだったんでしょうね(笑)。十五歳で何もできていなかったら、後は絶望しかない気持ちでした」
小春は、これまでの作品の登場人物のなかで、かなり自分に近いタイプだという。
「小説的な派手なキャラクターづけされた子ではないけれど、自意識が強くて、自分の思う通りにしたい気持ちがあって、この子が好き、あの子が嫌いという気持ちがはっきりある。でも、この世界に自分が何を求めて、どうすればいいのかはっきり分かっていない子です。そういう主人公を書くのは、私にとっては挑戦でした」
彼女の身近な存在となるのが、隣の男の子、歩だ。すらりとした、バレエダンサーの男の子で、小春の前でだけは毒舌で本音を語る。
「色に意識が向く小春の性質と、人間の身体的な動きというものを何か絡められないかなと思いバレエダンサーにしました。歩くんはある程度完成しているんです。彼の中で自分はこういう人間でこういうふうに生きていくべき、というのがある。小春みたいに“どうしよう”と悩むことがあまりないですけれど、だからといって弱くないわけじゃない。ただ、小春と一緒に切磋琢磨していく相手というより、そういうふうに生きている姿を見せてくれる存在として考えました」
そんな彼が、伯父さんの家に住んでいる頃に学校で何があったのか、意外な出来事も後半に明らかになる。
「第一話の短篇を書いた時は、具体的には考えていなかったんです。ただ、こういうキャラクターの子って、若干男子社会の中で浮いていて、疎外感を持っているという前提で書いていました。過去に何かありそうだな、と分かればいいなという思いは第一話からありました」
ただ彼は、母親がゴリラだということはまったく気にしていない。むしろ小春の祖母が占い師であることのほうを珍しがるくらいだ。
「小春は最初、お母さんがゴリラなのはいじめられる要因になるのでは、と心配します。でも歩くんは最初からそのことをポジティブにとらえています。後半に秋子さんにもいろいろあって今、堂々と生きていることが分かりますが、ゴリラであることが人並み以上に優位に立っている、というのは私の希望でもあります」
他にはハクビシンやダチョウも登場。
「それぞれの特徴も書いています。ハクビシンは身体が小さいことを気にしているし、ダチョウは羽根がきれいで足が速い。人気者として書いたのは、もともと私が、鳥が好きだからかもしれません(笑)」
さまざまな関係とさまざまな感情
二話では帰宅部の小春と教師のやりとりが描かれるなか、その教師の恋愛話も。
「いざ二話で友達のことを書こうとしたら苦労して、自然と先生たちとの話になりました。でも部活にも入らず少し斜に構えている小春が、同級生よりも先に先生と仲良くなるのは自然な流れだったなと、後から思いました」
クラスメイトたちとの仲がクローズアップされるのは第三話。小春は鮎ちゃんという、ふんわりした雰囲気の女の子と親しくなり、そこに元気のよい相沢くんという男の子も絡んでくる。
「鮎ちゃんにはすごく助けられました。私の性格上、小春のようにバシバシ物を言うキャラクターを書きがちで、鮎ちゃんのようにふわふわした人を書くのははじめてだったんです」
小春のことを「こはちゃん」と呼び、親しさが増した時に「わーい」「やった、やった。わたし、実はずっと仲良くなりたかったんだあ」などと言うような鮎ちゃん。
「そんな台詞は、今までパソコンに入力したことなかったんですよ。単純に新鮮だったと同時に、こんな柔らかさもいいなと、自分の心のこわばりが解けていく感じでした。私が望んでいたのはこれだと思ったんです。夏バテして素麺ばかり食べていた時に豚の生姜焼きを食べて、ああ、この栄養が私には必要だったんだ! と気づいた感じです(笑)」
ただ、歩は鮎のことが気に入らない模様。小春を“こはちゃん”と呼ぶのも、“る”が抜けているといっておかんむりだ。
「焼きもちもあると思いますが、だいたいこの人は自分や自分に関わる環境を美しく整えていたいほう。自分の友達の名前がきれいに呼ばれないのも嫌なんです」
小春と歩の間に芽生える感情は、友情なのか恋なのか。そのあたりに関して著者の企みを明かすのは無粋。ただ言えるのは、
「乱暴な言い方をすると、歩くんは女性っぽい。しかも小春に対しては毒舌。そういう「オネエ系」と呼ばれてしまうような男性が登場すると、だいたい女の子のよき友人という役回りで終わりますよね。そう単純なものにはしたくないと思いました」
二人だけでなく、他の同性同士、異性同士、人間と動物同士の関係性の中で、さまざまな感情が生まれていく。それを作為的だと思わせずに自然に描き出せるのは、著者のバランス感覚のなせる業だろう。
第四話では、ある出来事により世界は色味を失う。そして最終話では、クライマックスに相応しい光景が広がる。この章では英語教師と美術教師が「主要五科目的思想」をめぐって衝突するエピソードも。美術教師いわく「(主要五科目を重要視する)そのありがたいアイデアが全国の学校から芸術と芸術の授業を潰している」「役に立つ学科は芸術を迫害する」というわけ。
「最初に英語教師と美術教師を出した時から、そうしたことを意識してしまって。それで、その力関係を前にどう歩み寄っていけるか、ということを考えました」
その教師同士の対立に、生徒も巻き込まれることに。時は三月。一年を通してさまざまな経験を積んできた小春は、ある瞬間、心の中で「色褪せろ」とつぶやく。色にこだわる彼女が思う言葉としては意外にも思えるが、
「そのイメージは最初からありました。最終的に小春が求めるのは色がない場所なんだろうなって。ここからは自分が自由に描いていくから。何もない場所こそ、全部ある場所ということですよね。すごく豊かでポジティブな気持ちだし、十五歳の先に絶望しかなかった小春が、いま豊かなものを見ているという。……って、物語の答えみたいなものを言ってしまっていますね(笑)」
小春がまた新たなはじまりを迎えるように、古谷田さんも常に前を向く。
「常に“これからだ”という気持ちがあるんですよね。作品が形になった時の達成感はもちろんあるけれど、常にこの先何を書こうかなという楽しみが大きくて。それが自分とって、一番の生きる力というか原動力の中心にあります」