古谷田奈月『フィールダー』

救われるために

古谷田奈月『フィールダー』

 純文学とエンタメの垣根を越えて活動する古谷田奈月が、三年ぶりとなる長編『フィールダー』を発表し話題を呼んでいる。
 社会問題をこれでもかと盛り込み、文学の感性でひもといていく一方で、読めば指のうずきと脳にカーッとくる熱さを仮想体験させられるガチのゲーマー小説でもある。この奇跡的融合の背景には、「救う」という言葉への考察があった。


動物を〝かわいい〟という感情を疑う

 三九歳の橘泰介は総合出版社の編集者で、玉石混交な社の「良心」とも称される小冊子の副編集長を務めている。ある日、仕事で親交のある著名な児童福祉専門家・黒岩文子が女児を「触った」、性的接触を持ったという噂を耳にする。黒岩本人から届いた長文のメールには、心情とともに事の次第が詳細に記されていた。何が正しく何が良心に基づいた行為になるのかは未確定のまま、スクープ狙いの同期の週刊誌記者に追われる黒岩を救うため、橘は行動を開始する。

 実は、当初は黒岩の視点で、彼女が抱えている問題についてのみ書こうとしていたそうだ。

「その書き方に窮屈さを感じて、黒岩を救おうとする橘に視点を変えてみたら、小説を通して見えてくるものが爆発的に増えたんです。構想を始めたのは三年以上前ですが、当時は出版社の不祥事が相次いでいて、私の中で出版業界に対する疑問が膨らんでいました。業界に関わる人間としてこれからどう生きていけばいいのか、どう書き続けていけばいいのか分からずパニックにもなったんです。主人公を編集者にすると決めたことは、私が身を置く業界の環境や自分自身の立ち位置を確かめる意味合いがありました。この社会で気になっていることを、ここで思いつく限り取り上げてみることにしました」

 その結果、WHOが定義する健康、つまりは「身体的にだけでなく精神的にも、社会的にも健やかな状態」である公衆衛生にまつわるさまざまな社会問題が俎上に載せられることとなった。児童虐待、愛着障害、反出生主義、ネット炎上、ソシャゲ中毒……。多くの人々が見過ごしていた矛盾が、次々に言語化されていく感覚が気持ちいい。そして、痛い。誰も無傷ではいられない。

「もともとこの小説を書こうとしたきっかけの一つは、ペット文化の土台にある〝かわいい〟という感情への疑いでした。私は昔、鳥を飼っていたんですが、死んだ時に自分はものすごく残酷なことをしていたという気持ちになったんです。どうしてこの鳥は鳥籠に閉じ込められて、私だけに色鮮やかな羽を見せて死んでいかなければいけなかったのか。動物のことがかわいいとか愛おしいからと飼育する行為自体が、動物にとって虐待だったのではないか。その矛盾を自分自身に突きつけて、登場人物たちと一緒に考えてみたかった」

 もしかしたら矛盾を知る経験や矛盾の存在を受け入れていく感性が、現代人には足りないのかもしれない。物語の中盤、ある登場人物が「筋を通す」という言葉を放ち、思想と行動を矛盾なく一致させることの難しさが、尊さと共に語られる。その顛末が、深く印象に残る。

「今の世の中は、矛盾に対してあまりに不寛容だという思いは強くありました。そこはやっぱりSNSの存在が大きくて、気軽に自分の言葉を発信できる状況は、簡単に言質を取られるみたいな状況でもある。過去の発言が拾われて、あなたは前にこんなことを言っていたのに矛盾しているじゃないか、というツッコミが入れられる場面をよく目にしますよね。それって悪いことのように私も思ってしまうことがあるけれども、自己矛盾が自分の中で起きていないかというと、そんなこと絶対あるわけがないんです。むしろ、矛盾をなくすため無理にでも筋を通そうとすることで、より悪い結果を招くこともあると思うんです」

一人でもできるけど一人では楽しくない

 矛盾だらけの混沌とした現実を生きる橘にとって最大の癒しとなっているのが、スマホゲーム『リンドグランド』とその仲間たちだ。「未央」「ハチワレ」「隊長」とモンスターだらけのフィールドに立つ時間は、人生の大部分を費やすに足るかけがえのないものとなっている。本作の特異性は、橘のゲームプレイ場面がボリュームたっぷりに記述されている点にある。現実の世界が「主」でゲームの世界が「従」、現実が「リアル」でゲームは「フィクション」である、とは限らない。〈ゲームかリアルかじゃない。ゲームはリアルなんだ〉というテーマが、物語の構造で体現されている。著者自身、ゲームとは長い付き合いだ。

「小学生の頃、お兄ちゃんがやっている『ドラゴンクエスト』を隣りで見ているうちにゲームが好きになったし、『ドラゴンクエスト』のノベライズ本を読んでマネして書いてみたくなったことが、小説を書くようになったきっかけでした。学校が苦手だったというのもあるんですが、その頃からゲームをしたり小説や漫画を読んだり、フィクションに触れている時間のほうが自分にとって〝本当〟だという感じがしたんです。そういう感覚であったり、ゲームの楽しさについて真正面から扱う小説をいつか書いてみたいと思っていたんですが、直接的なきっかけはとあるオンラインゲームにハマったことでした。オンラインゲームには、現代社会と共通する部分がたくさんあると感じたんです」

 特に、他者とのコミュニケーションの部分だ。

「私がやっていたのは、もともと3DSで出ていたゲームのオンライン版でした。3DSの代わりにスマホで、自分一人でコツコツと遊ぶつもりだったんです。でも、ゲームの仕様上、協力プレイをしなければいいアイテムは手に入らないし、一人だと行ける場所も限られてしまう。一人でもゲームを続けることはできるけど、一人だとあんまり楽しくありません。どこの誰なのか知らない人たちと四人でパーティーを組んで、モンスターを倒しにいかなければダメみたいだぞと気付いた時は〝うそ、冗談でしょう?〟と思ったんですよ。〝絶対イヤなんだけど!〟と。そうは言ってもやるしかないのでおずおずと、見ず知らずの人たちと組んで戦っているうち癖になっちゃいました(笑)。〝今、私が一番イケてたぞ〟みたいな功名心だったり、パーティーとしての活躍に貢献できたという喜びは、現実では普段あまり感じることはないけれど、ゲームの世界にはあったんです」

「救う」に付きまとうおこがましさを減らす

 現実では得難いけれども、オンラインゲームの協力プレイ中は当たり前のように存在するものがある。例えば、「戦う」という言葉は、現実でも比喩としてよく使われるだろう。しかし、「救う」という言葉は、なかなか使われることはない。小説の主人公である橘は、親交のある黒岩が窮地に追いやられたことを知った瞬間、「救う」を選ぶ。ゲームの世界でも匿名性を脱ぎ捨て、他者に救いの手を差し伸べねばならない深刻な事態に直面した際も、「救う」。オンラインゲームでヒーラー(回復役)のジョブを選んだ橘にとって、「救う」という動詞は当たり前のように生活の中にあった。だからこそ、現実でも動き出せたのではないか。

「『救う』という行為については、ゲームの世界はもちろん、現実の世界でも私自身ずっと考えています。コロナ禍が始まり友人が鬱になってしまった時、どうして私は何にもできないんだろう、救えないんだろうという無力感にさいなまれたんです。言葉の問題も大きいのかなと思うんですよ。『戦う』という言葉は、意思として持ちやすいですよね。どれだけどん底にいても、自分自身にその気持ちさえあれば『戦うぞ!』とは言える。だけど『救う』という言葉は、恵まれている立場から、恵まれていない人に情けをかけるというようなニュアンスが付いてしまう。その言葉を使うことに、おこがましさのようなものがあると思うんです」

 そして、その言葉を自分から遠ざけてしまう。

「私自身がつらかった時期に、自分は助けてもらうのが下手だなって気付いたことも大きかったんです。いい友達はたくさんいるのに、私、誰にも助けてって言えないなって……。みんなもっと、私自身も含めて気軽に『助けてもらいたい』と口に出せるようになれば、言われた側もおこがましさを感じることなく『救う』ことができるような気がするんです」

 小説家の仕事は、まだ言語化されていない現象に言葉を与えることと同時に、すでにある言葉の感じ方や使われ方を変化させることにある。古谷田奈月は自己最長長編となる『フィールダー』で、最高の仕事を果たした。


フィールダー

集英社

総合出版社の編集者・橘泰介は、担当の著者で児童福祉専門家の黒岩文子について、同期の週刊誌記者からある報せを受ける。黒岩が、ある女児を「触った」との情報を追っているという。時を同じくして橘宛てに黒岩本人からの長文メールが届く。そこには、自身が疑惑を持たれるまでの経緯が記されていた。一方、消息不明となった黒岩の捜索に奔走する橘を唯一癒すのは、四人一組で敵のモンスターを倒すスマホゲームだった……。


古谷田奈月(こやた・なつき)
1981年千葉県我孫子市生まれ。2013年、「今年の贈り物」(のちに『星の民のクリスマス』と改題)で第25回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。17年、『リリース』で第34回織田作之助賞受賞。18年、「無限の玄」で第31回三島由紀夫賞受賞、「風下の朱」で第159回芥川龍之介賞候補となり、同年刊行の『無限の玄/風下の朱』で第40回野間文芸新人賞候補となる。19年、『神前酔狂宴』で第41回野間文芸新人賞受賞。

(文・取材/吉田大助  写真提供/ 黒石あみ)
〈「STORY BOX」2022年12月号掲載〉

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