週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.60 成田本店みなと高台店 櫻井美怜さん


フィールダー

『フィールダー』
古谷田奈月
集英社

 音は光よりも遅い。頭ではわかっていても、花火が打ち上げられたドーンという音が背後から聞こえると、振り返らずにはいられない。そこにはもう、火花の気配すらないというのに。

 出版社で働く橘は、美麗なグラフィックの世界観の中でモンスター討伐をする〝リンドグランド〟というアプリゲームにはまっている。昼は社会人としてきちんと働き、夜は好きなゲームをして過ごすしごくまっとうな若者だ。

 この橘を軸にしながらリアルとネットの世界で起こるねじれや歪みが描かれるのが本書なのだが、これが凄かった。小説を読むとき、言葉は常に私たち読者の前にある。だから、そこに描かれていることを私たちは即座に理解したと思っている。だが、この小説は、言葉が脳に、心に、音のように遅れて響くのだ。

 ネットで知り合った、本名はもちろんのこと、年齢も性別も、まして居住地など知る由もないどこかの誰かと繋がるのは、現代社会では日々当たり前のように行われていることだろう。橘も、ゲームの中でパーティを組んでいるメンバーとは、私生活に立ち入らないながらも、ネットの中で友情と信頼関係を築いていたのだが、リーダー的存在の「隊長」には、一抹の不安を覚えていた。学校や会社といった現実の生活と並行してゲームを楽しんでいるのではなく、まるでその世界の住人かと見紛うようなログインの仕方をしているのだ。四六時中スマホを触っているのを許され、躊躇なくガチャへ課金できる人物像からは不穏さしか感じられないではないか。

 リアルでは、著書を担当している児童福祉の専門家、黒岩文子についての黒い噂がもたらされる。子供を守る立場としてメディアに引っ張りだこの黒岩自身が、「子供を触った」というのだ。混乱する橘の元へ、黒岩本人からその時の様子を綴った長文のメールが届く。子供が、純粋な母体への欲求としてぬくもりを求めてきたときに、それをそうだと理解して、ただただ受け入れたのだとしても、はたしてそれは大人の罪になるのだろうか。

 かわいいは正義、とはよく言ったものだ。橘が隊長に、黒岩がその子供に対して感じたかわいさは本当に正義だと世間で許されるものなのだろうか。私自身も、まだ答えは見つからない。

 ただ、言葉の本質が遅れて届く、この音速小説爆誕の瞬間に、ぜひとも多くの方に立ち会っていただきたい。振り返った先に広がる暗闇に、何が見えるだろうか。そこに、花火の面影は残っているだろうか。

  

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