★編集Mの文庫スペシャリテ★『一瞬の雲の切れ間に』砂田麻美さん
ドキュメンタリー映画『エンディングノート』『夢と狂気の王国』で、高い評価を受ける映画監督の砂田麻美さん。小説家として『音のない花火』『一瞬の雲の切れ間に』を発表するなど、文筆方面でも才能を発揮されています。その2作の小説が文庫化されたのをきっかけに、「号泣必至の家族小説」と話題になっています。映画と小説、どちらも次回作が待たれている砂田麻美さんに、創作の原点などをお聞きしました。
ものをつくるエネルギーにあふれていた
きらら……『音のない花火』は、映画『エンディングノート』の構成をベースに書き下ろされたフィクションです。映画を制作される前から、書かれるご予定はあったのですか?
砂田……いえ、まずは映画のことだけを考えていました。『エンディングノート』は、できるだけ客観的に、父の死を描くことが前提でした。私の主観的な部分は一切入れず、世のなかの人みんなの、普遍的な話にしたかったのです。父に対して何を思っているのかとか、父はどう考えているのかなど、私のプライベートな視点は極力、省くように心がけました。
けれど編集作業をしているうちに、娘からの父親の死に対する個人的な思いが、蓄積していきました。私の主観であふれてくるものを、どこかに記録したい。そこでポプラ社の担当編集者さんに相談しました。はじめはノンフィクションの形を考えていましたが、「小説ならいいですよ」と言われて、『音のない花火』を書いていきました。結果的には、創作の小説のスタイルにしてよかったです。
きらら……初めての小説だったのですか?
砂田……はい。それまで小説をきちんと書いたことは、ありませんでした。
きらら……初めてとは思えない、素晴らしい完成度でした。
砂田……ありがとうございます。けれど『音のない花火』を書いていた頃の記憶は、あまり残っていません。午前中に執筆して、午後から夜中まで映画の編集をする毎日でした。とにかく必死で、どんな気持ちで小説を書いていたかよく思い出せないです。当時の、1日を割って没頭するような仕事は、もうできないでしょう。
ディレクターとして映画を手がけること自体、初めてでした。何もわからないからこそ、必死になれたというか。ものをつくって世に出すエネルギーに、最も満ちあふれていました。小説と映画をほぼ同時期に完成できたのは、どちらも初めてだったからだと思います。
限界まで追い詰められると他人は頼れない
きらら……『音のない花火』の多くの登場人物のなかで、女装のバー店主、小堀さんが際立っています。優しすぎず厳しすぎない、主人公への接し方がとても印象的でした。
砂田……彼女というか、彼が出てきた理由は、自分でもよくわかりません。実在のモデルが、いるわけでもないです。
主人公の藤田しぐさは、私と重なっています。窮地に立たされたときに、どういう人に慰められたいか? と考えたとき、女性というのは、考えられませんでした。女友だちに弱音を吐くのが、あまり得意ではないのです。
女友だちに苦しい状況を打ち明けると、親身になって言葉を返してくれます。それが時折偽善者めいた言葉に聞こえてしまうことがあるのです。女の人は、基本的には、すごく同情しますよね。「辛そうだね」とか、いろいろ言ってくれる。その瞬間は、すごく救われるのですが、みな1時間後にはいつもの生活に戻って、友だちの辛いことや苦しい境遇なんて、忘れてしまいます。当然ですし、悪いことではないのだけど、こちらがどんな窮地にあっても、話をひとしきり聞いて同情してくれた後は、さっと切り替えて自分の生活に戻っていく……という想像をしてしまい、逆に落ちこみます。
父が死へ向かっていく日々の最中は、本当に苦しい思いに苛まれていました。そういうとき、女友だちではなく、小堀さんみたいな男の友だちが、欲しかったのかもしれない。優しくも厳しくもなくて、変に慰めたりせず、自分自身が大きな苦しみを抱えている。そういう人に、寄り添ってほしかったという願望が、小堀さんに投影されたのだと思います。
だけど父の病気が進んでいく、過酷な日々の苦悩を、小堀さんに助けてもらいたいとは、考えていませんでした。人は、限界まで精神的に追い詰められたとき、他人に助けを求めたりはしないでしょう。私はそう思うんですけど、みなさんは違うのでしょうか? 私は父の病気のときほど、追い詰められたことはなかったです。その乗り越え方が、映画をつくる、映像を編集する、文字を書くという方に向かったのだろうと、いまになれば思います。
ポプラ文庫
カメラで撮ると家族が違って見える
きらら……小堀さんがある場面で、ボールペンのエピソードを語ります。主人公の喪失感とシンクロする、秀逸な表現でした。
砂田……人生のなかに、ふっと存在していたアイテムが現れたのかもしれません。父方の親戚は医者が多くて、家に遊びに行くと、ロゴ入りの営業用のボールペンがたくさんありました。ゴミのように、そこらじゅうに転がっていたのです。存在感がなく、日常のなかに無造作に転がっている、あの感じが『音のない花火』のラスト近くに結びつきました。記憶のなかの景色や行動が、自然に表れたと思います。
きらら……小説の描写は、カメラで撮影しているように観察的で、砂田さん自身の体験と、つながっているのではと推測しました。
砂田……関係はあるでしょうね。
きらら……映画『エンディングノート』では、お父さんのだいぶお若い頃の映像も出て来ます。いつ頃から撮影されていたのですか?
砂田……小学生から、カメラで撮っていました。主な被写体は、家族です。映画監督になろうなんて少しも考えていませんでしたが、目の前の光景を記録する行為自体に、興味はありました。
兄姉とも、私とは歳が離れていました。私が小さいうちに兄姉は精神的に自立していて、自分たちの逃げ場がありました。でも幼かった私に逃げ場はない。家のなかで、取り残されてしまいます。どうサバイブしていくか考えた結果、カメラを家族に向ける方法が、役に立ちました。
レンズ越しのフィルターを1枚通すことで、対象の見え方は変わり、編集が加わると別のものとして誕生する。シリアスな場面が、笑いに変わったりするんですね。いつも一緒の家族であっても、まったく違う顔に見えたりします。この変換が面白くて、「映像で記録する」ということを、独学で覚えていきました。
きらら……映画監督の素養が、気づかないうちに磨かれていったのですね。
砂田……あと、うちの両親は若い頃は、本当によくケンカをしていました。いつ親の機嫌が悪くなるのか、びくびくしていました。両親の顔色を見ながら、育ってきたような気がします。
私は家族が楽しくてハッピーで仲良くしている時間は、非常に貴重だという認識を、ずっと持っていました。楽しい時間は続かない。必ず終わる。この「終わる」という刷りこみは、大人になったいまでも、残っています。
どんな時間も、風景も、終わりのことばかり考えてしまいます。家族を撮っていたのは、いつか終わってしまう時間を、記録に留めておきたいと、無意識に願っていたのかもしれません。
絶望を抱えた人の心理を知りたい
きらら……第2作『一瞬の雲の切れ間に』も素晴らしい完成度でした。小学生の男児が亡くなった交通事故の被害者や加害者、周囲の人々の心象を、多視点で描いた連作集となっています。
砂田……本当に苦しい境遇に追いつめられた人間の心理を、私は描きたいのだと思います。
表面的に回復していくものではなく、一生背負っていかねばならないほどの絶望とは、どういうものだろうか? 例えば、殺す意図はなかったのに、他人をあやめてしまった人は、残りの人生を、どうやって生きていけばいいのだろう。そんな人々の心理を知ろうと、『一瞬の雲の切れ間に』の構想が、まとまっていきました。
最後の5章目、ある人物の手紙で物語は閉じます。この構成は緻密に計算していたわけではないのですが、後で読むと、手紙で終わらせる形で、良かったなと思います。
リズムとタイミングが合ったときに書く
きらら……最後には、交通事故当時の隠れた事実が明かされます。その事実によって、絶望を背負った人々を回復させる希望の光が差します。
砂田……最後は希望のある方へ向かいたい、という気持ちはありました。事故の加害者だけでなく複数の人物の視点から描いた理由は、書き手としての持久力の問題だと思います。私にはまだ、1人の視点だけで書ききる力が弱い。プロの職業作家の方は、書くことが好きで仕方ないとか、1冊でも多く読者に届けたいという気持ちを明確に持っていらっしゃると思いますが、私の場合は、そういうはっきりした原動力がないこともウィークポイントのような気がしています。そういう強い思いを、『音のない花火』のときに、出しきってしまったのかもしれません。もちろん『一瞬の雲の切れ間に』は、大切な小説です。文庫になって、いろんな方に褒めていただけるのは、ありがたいです。
きらら……もう小説を書きたくない、と思ってらっしゃるのではないのですよね?
砂田……そうなんです。書いていきたい気持ちはあります。映画の企画と同じで、これでいこう! と確信できるまでに、時間がかかります。「いまつくるべきじゃない」と、ボツにした脚本もあるのです。脚本も小説も、世のなかの流れや自分の心の変化を見ながら、書くべきタイミングと、書くべきことがパズルのように噛みあったとき、いいものができる気がします。
22年も間があって、『未必のマクベス』を書かれた早瀬耕さんの例には、いろんな意味で勇気づけられます。いつ完成するのかわかりませんが、次に書きたい小説はちゃんとあるので、待っていていただけると嬉しいです。