映画ドラえもん × 辻村深月さん 『小説 映画ドラえもん のび太の月面探査記』刊行記念インタビュー!
かねてから『ドラえもん』に対する愛情を公言してきた辻村深月さん。今回ついに、「映画ドラえもん のび太の月面探査記」の脚本を担当し、さらにそのノベライズまで手がけることになったことは、自身にとっても大いなる冒険であったに違いない。あらためてその舞台裏と心境をひもとこう。
冒険の舞台に選んだのは、近くて遠い月面の世界
──日頃からドラえもん愛を公言されてきた辻村さんですが、今回、映画『のび太の月面探査記』の脚本のオファーを受けた際、どのように感じましたか。
実は最初に声をかけていただいたのは、今から6年ほど前のことでした。ドラえもんが大好きな私にとって夢のようなオファーでしたが、あまりにも恐れ多くてこのときは辞退させていただいたんです。仕事として携わるようになると、純粋なファンではいられなくなってしまうのではないかという懸念もありましたし。
──それから年月を経て、あらためて脚本を書く決意をされたのは……?
きっかけの1つは、藤子・F・不二雄先生のチーフアシスタントを務められていた、むぎわらしんたろう先生にお会いしたことでした。むぎわら先生は自著『ドラえもん物語 ~藤子・F・不二雄先生の背中~』の中で、藤子先生から大長編ドラえもんを引き継がれた時のことをお描きになっているのですが、それがもう本当に壮絶なんです。「藤子先生の絵はこんな絵じゃない」と葛藤しながら机に向かい、ついには「先生ごめんなさい、描けません」と頽(くずお)れてしまいます。そこから「先生、これで合っていますか?」「これでだいじょうぶですか?」と心の中で何度も問いかけながら、必死な思いで原稿を完成させていった。
その様子を見たときに、藤子先生の遺志を継ぐ方々の知られざる努力と情熱があって初めて、毎年ドラえもんの新作映画が観られる状況が維持されているのだと痛感させられました。私はそうやって繋いできてもらった映画を、当たり前にあるものとして、毎年ファンの立場で楽しませてもらってきたんですよね。私なんかがドラえもんを書いていいのかなという気持ちは今もありますが、ドラえもんを次の1年に繋げるお手伝いをさせてもらえる機会があるなら、喜んでそのバトンを受け取り、次の一年のために全力で走りたいと思うようになったんです。
──今回の冒険の舞台は月面。設定やストーリーについて、どのような苦労がありましたか。
これだけ長く続いてきたシリーズですから、ドラえもんたちがまだ冒険していない場所なんて、もうほとんど残っていないんです(苦笑)。考えに考え抜いた末、私たちにとって近くて遠い場所である月は、冒険の舞台として魅力的なのではないかと考えました。
ただ、藤子先生の世界観というのは、自然科学や物理法則など、現実に寄り添った上での不思議を描いているので、どんなウソでも許されるわけではありません。だから、地球という恵まれた星が近くにありながらなぜ月で暮らす必要があるのか、月に文明が存在するとするなら、なぜ今日まで発見されなかったのかといった点については、細かな整合性が求められました。
──そうしたリアリティこそが、「映画ドラえもん」の魅力でもありますね。
そうですね。初期の打ち合わせでは、八鍬新之介監督が『ナショナル・ジオグラフィック』などの資料をたくさん持ってこられて、月の成り立ちなどについて詳細に話し合いました。内心、「これは大変な舞台を選んでしまったな……」と少し後悔したほどです(笑)。
"藤子作品らしさ"とは何か
──辻村さんにとっては初の脚本となります。苦労された点も多いのでは?
当たり前のことですが、小説の流儀では対応できない分野だと実感させられました。それでもどうにか書き上げられたのは、これまで自分の作品を映画や舞台にしていただいた経験が大きいですね。例えば、脚本単体で見ていると「これで伝わるものかな?」と疑問に感じるような描写でも、演出が加わると完璧な表現になっていて驚いたことが何度もありました。限られた短い言葉でも、映像や舞台になると伝わることがたくさんあって、監督や脚本家にはこの光景が見えていたんだなぁ、と感動したり。自分の原作がどう脚本になったかをこれまで見てきたことで、無意識に脚本の流儀を勉強させてもらっていたのだと思います。優れた脚本にたくさん触れてきた経験に、今回はかなり助けられました。
──今回の物語では、ドラえもんファンにはおなじみのひみつ道具、「異説クラブメンバーズバッジ」が採用されています。数ある道具の中からこれをセレクトされた理由は何でしょう。
舞台を月に決めたのはいいものの、どうやってのび太たちを月面に行かせるか、その理由付けにすごく悩んだんです。そこで「異説クラブメンバーズバッジ」を提案してくれたのは八鍬新之介監督で、この道具名を聞いた瞬間、「書ける!」と直感しました。
ストーリーを考える上で気をつけたのは、映画や小説を見てくれた人たちが、最終的に藤子先生の原作に立ち返れるような物語にしたいということ。そのため、ひみつ道具も新しいものを考えるのではなく、すでに原作に登場しているものを多く使うようにしました。
──ドラえもんの世界観を守るために、何か特別に配慮されたことはありますか。
私はファンなので、「藤子先生だったらどうするか」なんていう視点には絶対に立てないんです。けれど、ファンだからこその「藤子先生ならこういうことは絶対にしない」という部分についてはわかる気がする。迷ったら、そこの基準に立ち返りながら、「先生には絶対に敵わないけれど、どこまで近づけるか」を探していきました。長年のファンだから、ドラえもんっぽさ、藤子先生っぽさということであれば、自分の中ではっきりとイメージすることができます。
──では、辻村さんが考える「藤子先生っぽさ」とは?
今回とくに意識したのは、日常から始まる冒険であることですね。ドラえもんというのは基本的に小学生の日常を描いた作品で、そこにたまたま未来のひみつ道具がある物語だと思うんです。だから机の引き出しがタイムマシンになっていたり、畳の向こう側が宇宙と繋がっていたりするわけですが、それによって私たち読者は、海底や地底に自分たちのような心を持った存在がいるかもしれないと想像することができます。
その意味で今回の作品のゴールは、映画を観た子供たちが月を見上げたとき、物語に出てきたキャラクターたちがそこにいるかもしれないと想像できる物語であること、でした。それこそが、藤子作品らしさなのだと私は考えています。
脚本では描ききれなかった部分まで表現できたノベライズ版
──さて、今回は脚本のみならず、自ら書き下ろしのノベライズも手がけられました。
実は当初は、自分で書いた脚本を自分で小説にすることの意味が、あまりピンと来ていなかったんです。それでも正式にオファーをいただいたので、腹を括って小説版を書き始めましたが、最初のうちは「きっと書き進めるうちに意味が見つかるだろう」というくらいに思っていました。
──自ら手がけた脚本だからこそ、ノベライズにやりにくさがあった、と。
そう思っていました。ところが、冒頭の月面探査機が壊れるシーンを描き始めたら、「ああ、これは映画とはまったく異なるアプローチになるな」とすぐに実感できたんです。すでに私の手を離れている映画のほうは、スタッフの皆さんが素晴らしい作品に仕上げてくれるでしょうから、私は私でもう一度キャラクターたちと向き合いながら、小説ならではの新たなアプローチで描けそうだなと。
──脚本と小説では、書き手としてどのような違いがありましたか。
脚本の場合はちょっとしたセリフであっても、「このひと言で伝わるだろう」と、作画スタッフの皆さんに託すようにして送り出したところがあります。しかし小説では、なぜそのキャラクターがその発言をしたのか、なぜそういう心情になったのかを、彼らの視点で描写しなければなりません。言ってみれば、今度は自分でカメラワークなどをすべて考えて、もう1本、私は私で別演出の映画を撮るような感覚でした。
──その分、脚本では描ききれなかった部分まで、小説ではフォローできたのでは?
そうですね。その1つが、各章の幕間に挿入した「interlude」ですが、この部分は私自身、書いていてすごく楽しかったんです。脚本の他に絵コンテもある映画のほうが、伝えるのは楽なはずなのに、物語の背景や細部を補足的に描いている「interlude」の部分が、最も作家らしい仕事だったような気がしています。
──こうしたドラえもんとのコラボレーションにより、従来のファンとはまた違った層に作品が届くことになると思います。いつもの作品と比べて、何か特別に意識したことはありますか?
最も悩んだのは、文章をどこまで簡単にするかということでした。でも、多少難しい言葉を使ったとしても、ジュニア向けの文庫ではルビを振ってもらえますし、作品を通して覚える言葉があってもいいのではないかと思います。小学生にとっては少し難解な描写があったとしても、映画と一緒に楽しんでもらえれば補えるはずですし。
タイトルに関しても、「月」や「ムーン」というわかりやすい単語ではなく、「月面探査」という言葉を使ったのは、私自身が映画ドラえもんを通して「海底」や「魔境」という言葉を覚えた過去があるからでした。その意味では今後、「探査機」よりも「探査記」という言葉のほうが、子供たちにとってなじみ深い言葉になってくれたら最高ですね。藤子先生がされてきたお仕事というのは、そういうことだと思います。
あらためて知った藤子・F・不二雄の凄さ
──一度は躊躇されたドラえもんでの創作。脚本と小説、2つの大仕事を終えてみて、どのような感想をお持ちですか。
子供の頃、誰もが一度は「漫画ばかり読んでないで勉強しなさい」と怒られた経験があると思います。でも、こうしてその内側に携わってみて、多くの大人たちがそれぞれのキャラクターを現実以上の存在に仕上げるために、想像を絶する努力を重ねていることを知りました。私たちが無邪気に楽しんできた作品は、こうして創られていたのだな、と。
当初はドラえもんを仕事にすることで今後、以前のようには楽しめなくなってしまうかもしれないということがとても怖かったのですが、結果的には前よりもさらにドラえもんが大好きになりました。
──今回の仕事を通して、藤子・F・不二雄というクリエイターの凄さをあらためてどのような点に感じていますか。
それはもう、言い尽くせないくらいたくさんあります。「異説クラブメンバーズバッジ」にしても、これを使ってのび太たちを月へ行かせようとすると、どうしても細かな矛盾が随所に生じてしまうんです。では、原作ではこの道具をどう使っていたのかなと読み返してみたところ、一切の矛盾がないことに驚かされました。藤子先生がどこまで計算してやっていたのかはわかりませんが、多くの締め切りに追われながらこれほどのクオリティのお話を次々描かれていたことに、あらためて衝撃を受けています。
──こうした『のび太の月面探査記』を通した一連の経験は、今後の辻村さんの活動にどのような影響を与えるでしょうか。
私は以前、『ハケンアニメ!』という作品で、アニメの制作現場を舞台に小説を書いたのですが、今回の映画の制作中に「あ、これは『ハケンアニメ!』に書いたことと同じだ」という発見が何度もありました。取材した当時には実感としてわかっていなかったことが、自分の感情としてようやくわかるようになったというか。小説業界以外にも自分に仲間ができたような、言うなれば「他の星にも友だちがいる」状況に近いものですね。それこそ、のび太たちが毎年、大長編で新しい世界に友達を作るような感覚で、そんな存在が自分にできたことがとても心強いです。
今回は、これまで小説で培ってきた私の流儀が、アニメという異なる世界からどう見えるのかというすり合わせを、たくさんさせていただきました。そこで得た多くの体験や発見は、これから小説の世界でやっていくうえでも、確実に私を支えてくれる財産になったと思います。
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小説「映画ドラえもん のび太の月面探査記」
原作/藤子・F・不二雄 著/辻村深月
四六判
辻村深月(つじむら・みづき)
1980年生まれ。千葉大学教育学部卒。2004年『冷たい校舎の時は止まる』で第31回メフィスト賞を受賞しデビュー。11年『ツナグ』で第32回吉川英治文学新人賞を受賞。12年『鍵のない夢を見る』で第147回直木三十五賞を受賞。18年『かがみの孤城』で第15回本屋大賞第1位となる。著書に、章タイトルをすべて「ドラえもん」のひみつ道具にした『凍りのくじら』などがある。