本と私 カレースター 水野仁輔さん
誰もやらないから面白い
カレー研究家。
水野仁輔さんはそう周囲から呼称されるほど、 カレーにまつわる様々な活動に携わってきた。
広告会社に勤務する傍ら、 出張料理集団「東京カリ~番長」を結成し、 全国各地のイベントでカレーのライブクッキングを実施。
日印混合インド料理集団「東京スパイス番長」では、 毎年インドを訪れては、研鑚を積む。
カレーに関する著作は40冊以上にのぼる。
そして43歳になって、遂にカレーの道一本で独立することを決意。
同時に、日本のカレーのルーツを辿る初のノンフィクション 『幻の黒船カレーを追え』も上梓した。
その原動力は、ある一冊との出会いから生まれた。
星野道夫の人生に
自分を重ねて読む
──「東京カリ~番長」「東京スパイス番長」主宰として、カレーにまつわる活動をし続けてきた水野仁輔さん。その原点は、幼少期にまで遡る。
僕は静岡県浜松市の出身で、5歳の時に地元にあったインドカレー店「ボンベイ」と出会います。以来、高校までそこに通いつめました。そのご主人が、もう話しかけられないほど恐かった(笑)。カレーそのものより、なぜ彼がこういう世界観を作り上げたのかということに興味があったんです。一度ハマると、徹底的になる性質はこの頃からですね。
──その性質のもと、小学生の時に夢中になった本は推理小説だった。
当時は、とにかく推理小説ばかりでした。江戸川乱歩の『少年探偵』を読破し、さらにはコナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』やアガサ・クリスティも読みました。謎解きが大好きで、小学校の卒業文集には将来、名探偵になりたいと書いたほどです。中学生になると、憧れの進学校へ入りたくて受験勉強に没頭します。合格した後は目標を失い、高校生の時は麻雀三昧でした(笑)。
──そして大学入学とともに上京。そこで初めてカレー自体の魅力に開眼する。
都内を中心に食べ歩きをして、そのバラエティの豊かさに驚きました。インド料理店でバイトして、基本的なカレー作りの方法を習得したり。でも、グルメとしての食べ歩きとか、評論には全然興味がなかったんです。たまたま僕の場合はカレーでしたが、缶コーヒーでもスニーカーでもいい、ひとつのモチーフでどれだけ面白がれるかを、実践していたような感じです。例えば大学時代、一時的に写真にハマったことがありました。友人が、写真をフィルムから印画紙に焼き付ける時に「この絵が出る瞬間がたまらないんだ」と本当に楽しそうに話していて。彼をこれほど突き動かすものは何なのか、それを追体験したいと思って始めた。つまり、偏愛という行為、そしてそれをやる人自身に僕の興味があるんですね。
──広告会社に勤務。社会人1年目に、知り合いを30人ほど集めて都内の公園でカレーイベントを開催し、成功する。それを契機に男性8人で「東京カリ~番長」を結成、全国各地でカレーの出張料理を始めた。
学生時代も社会人になってからも、自分にはやりたい職業が見つからないというのがコンプレックスだったんです。それで世の中で活躍している人のノンフィクションを読むようになった。なかでも大きな影響を受けたのが星野道夫さんの『旅をする木』です。彼は19歳の時に出会ったアラスカの写真集に惹かれて、現地の村長宛に手紙を出し、現地で3ヶ月間を過ごす。そして26歳で夢を実現して、アラスカに移住します。ひとつのことにのめり込む星野さんのような人と、自分の人生を照らし合わせながら読んでいる感じでした。
他には、料理人の人生を描いた野地秩嘉さんの『食の達人たち フードストーリー』も面白かった。あとは大崎善生さんの『将棋の子』ですね。将棋の天才少年たちがプロを目指してしのぎを削る奨励会という場で、青春すべてを賭けても、夢が叶わず挫折していく。そんな無名の人たちのドラマにも、心打たれました。
価値有るのは文献に頼らず
自分の舌や足を使った書物
──やがて自身もカレー関係の著作を出版するようになり、食に関するノンフィクションも興味深く読んだ。
勝見洋一さんの『中国料理の迷宮』は、文化大革命の時に中国に居合わせた著者が、自らの舌や足を使って「中国料理」の歴史的な実相を明らかにしたもの。森枝卓士さんの『カレーライスと日本人』は、国民食ともいえる「カレーとは何か」を丹念に辿った一冊です。アジア全土を食べ歩いた一次情報をもとに書かれていて、とても参考になりました。あとはカレーを作るうえで多くを学んだのが翻訳本『マギー キッチンサイエンス』です。食材の性質や調理法を、科学的に解説した大著です。こういう本こそ価値があると思います。
──そんな日々のなかである時、カレーについてひとつの大きな疑問が湧く。それが水野さんの人生を大きく揺り動かすことになった。
日本のカレーは、玉葱を炒めるのが肝要だとされています。レシピ本には4時間炒めなければいけないとも書いてある。でも、僕の好きな東京墨田区の「レストラン吾妻」の3代目は、カレー粉と小麦粉をオーブンに出し入れしながら4時間焼くんです。そして「カレーで玉葱を炒めるなんて、手抜きだ」と。これは、僕にとっては大変な事件でした。玉葱を炒める作業は本当に必要なのか。そして150年前に日本に上陸したカレーのルーツはどこにあるのか。その味はどんなものだったのかを知りたくなりました。これまであたり前とされたことに対する疑問について、誰も答えを提示してくれない。文献もない。それならば自分で解決しようと、黒船が寄港した横須賀、舞鶴、函館、呉、長崎などを訪れます。そしてカレー粉を発明したイギリスにも調査に行きたいと思っていたのですが、会社は休めないからと躊躇していた。すると妻が、「そんなに探したいものがあるなら、今すぐ会社を辞めて行ってくれば」と、言ったんです。
妻の言葉で会社を辞める
カレーの謎を捜しに英国へ
──広告会社の仕事はやりがいがあり、合間にカレー活動をする日々はそれなりに満たされていた。しかし、心の内に少しずつ違和感が膨らみ始めていたのもまた事実だった。
自分の道を追求している人たちのノンフィクション作品を読むにつれて、二足のわらじで安定している日々でいいのかとも思い始めていました。でも僕には子供が3人もいるし、一家の大黒柱である限り今の生活を続けるのが普通だと踏ん切りがつかなかった。自分の正直な心に蓋をして、直視することを避けていたんですね。でもその妻の言葉を契機に、会社を辞めてイギリスに行くことにしたんです。
──日本カレーの謎のルーツを辿る旅と、自らの人生の変化を綴った近著が、『幻の黒船カレーを追え』だ。
僕が憧れる星野道夫さんは26歳でアラスカに移住し、43歳で『旅をする木』を上梓しました。僕が「カリ~番長」の出張料理を本格的に始めたのが26歳、そしてカレーの道で独立して、初めて『黒船~』というノンフィクション本を出版したのが43歳です。そう思うと、感慨深い。遅くなったけれど、僕はようやく面白いと思えることに専心できるスタート地点に立てた。そういう喜びを噛み締めています。今後は、アクセルを精一杯踏んでいきたいと思っています。
(構成/鳥海美奈子)(撮影/田中麻以)