週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.149 紀伊國屋書店浦和パルコ店 竹田勇生さん
『なめらかな人』
百瀬文
講談社
本書の中で、美術家である著者がルソーの言葉を引用している箇所がある。
〝嘘をついても、自分にも他人にも得にならず、損にもならない場合は、それは嘘ではなく虚構である(中略)こうした虚構は、もはや嘘ではなく、「言う義務のない真実の隠蔽」と同様である〟
これは『なめらかな人』というエッセイ集の在り様を、真っ直ぐに貫く槍のような言霊だと私は思う。
この本に書かれている言葉は、声は、いったい誰に帰属し、誰のもとへ還ってゆくのか──
それを考えたい。
私はその書物が小説だろうとエッセイであろうと、究極的に真実なのか、虚構であるのかは誰にも知り得ないと考える(たとえ、それがその本の作者であったとしても、だ)。
仮にこの本のどこにも百瀬さんが存在しなくとも、それはつまりここに書かれていることが真実ではない、ということではないし、エッセイの「私」という主語は必ずしも著者のみを指すものではなく、それはもっと漠とした自分を含めた社会全体を俯瞰する存在なのではないか。
であるなら、エッセイとは常に虚構を内包した真実と言えるし、だからこそ、そこにちりばめられた感情は、行方なく彷徨う誰かの声となり得るのではあるまいか。
私は『なめらかな人』を読みながら、何度も百瀬さんの言葉を自分の言葉として受け入れた。それは私がこの世界に対して、思いはしても産み落とさなかった感情たちであり、そういうものが反響するように、こだまするように、私のもとへ還ってきたことは、驚きであると共に、何かとても尊いことのように感じられたのだ。
だから私はこの『なめらかな人』というエッセイ本を評するとき、真実の「隠蔽」などという後ろめたい言葉ではなく、ここに書かれているのは言う義務のない真実の「伝播」なのだと信じたい。
百瀬さんが紡いだ途方もない逡巡の痕跡を、あなたはどんな風に受け止めるのだろう。
ここに確かに存在する切実なるものは、生命の咎を背負ってなお美しく輝いている。
こうだからこう、という矢印を一本引いたような世界は誰かの規定したまがいものに過ぎず、私たちはその否定でも肯定でもない揺らぎの間を生きている。
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竹田勇生(たけだ・ゆうき)
1980年生まれ。2021年3月より紀伊國屋書店浦和パルコ店店長。2023年本屋大賞受賞作、凪良ゆう『汝、星のごとく』紀伊國屋書店特装版を企画。2024年6月より新宿本店仕入課にて勤務。