◎編集者コラム◎ 『姉川忠義 北近江合戦心得〈一〉』井原忠政

◎編集者コラム◎

『姉川忠義 北近江合戦心得〈一〉』井原忠政


『姉川忠義 北近江合戦心得〈一〉』編集者コラム
小谷城から見た虎御前山。浅井長政は、この砦に翻る織田信長の旗印を、どんな思いで見やったのだろう。(撮影/西川雅司)

 戦国時代小説に新しい風が吹いている。

 言わずと知れた「三河雑兵心得」シリーズ(双葉文庫)だ。先ほど刊行された最新刊『馬廻役仁義』を合わせた発行部数は累計、なんと75万部。驚嘆すべきは部数だけではない。これまで、これほど生き生きと、かつリアルに、百姓から身を起こし、戦国時代を懸命に生き抜く人物像を描いた作品があっただろうか。映画と小説の違いはあるが、その抜群の面白さは、かの深作欣二監督「仁義なき戦い」シリーズと甲乙つけがたい、と担当者は勝手に感心した次第。となれば、旋風の張本人いや風神ともいうべき生みの親に原稿を依頼しないでどうする。早速、著者にお会いしてお願いしたところ、二つ返事でお受けいただいた。しかも、徳川側から描く「三河雑兵心得」シリーズと対をなすべく、織田側から戦国の世を描くという。なんと、スバラシイ!

 となれば、「三河雑兵心得」シリーズに匹敵する内容の吟味は当然のこととして、販売戦略にも抜かりがあってはならない。ここは、なんとしても、双葉文庫と小学館文庫のコラボレーションが欠かせない。11月に発売された『三河雑兵心得〈拾〉馬廻役仁義』に挟み込まれた読者への著者からのメッセージ「井原忠正 戦国心得第1号」を手始めに、小学館が前宣伝用に作成した『姉川忠義』の8Pパンフレット(書店にて無料配布)。

『姉川忠義 北近江合戦心得〈一〉』編集者コラム
地図や登場人物のイラスト入りパンフレットが書店レジ脇などにあります。もちろん無料。ぜひ、お手に取ってご覧ください。
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双葉文庫『三河雑兵心得〈拾〉馬廻役仁義』に挟み込まれた「井原忠正 戦国心得第1号」

 12月の新シリーズ発売時には、「三河雑兵心得」シリーズ第一巻『足軽仁義』と「北近江合戦心得」シリーズ第一巻『姉川忠義』の並列販売の試みなど、これまでにない版元同士の協力態勢が実現した。

『姉川忠義 北近江合戦心得〈一〉』編集者コラム
『足軽仁義』と『姉川忠義』は、このようなケースで並列販売されています。

 さて、手前みそのあれこれはここまでにして、肝心の物語はというと――。

 元亀元年(一五七〇)六月二十八日(新暦七月三十日)、浅井・朝倉勢と織田・徳川勢が激突した姉川の合戦が、弓の名人・与一郎の初陣だった。父・遠藤喜右衛門が壮絶な戦死を遂げてから三年、家督を継いだ与一郎と、郎党の大男・武原弁造は、主君・浅井長政率いる四百の兵とともに巨大な山城・小谷城の小丸に籠っていた。戦況はまさに風前の灯。長政には、信長の妹で正室の於市との間に、五歳の長女・茶々以下三人の女子があり、於市ら四人を織田方に投降させるという。だが、十歳の万福丸と乳飲み子の万寿丸は、信長とは血の繋がりがない。信長は決して男児を許すまい。万福丸を連れて落ち延びよ。主命とはいえ、浅井家が果てようという時に、自分一人生き残るなど、与一郎には、及びもつかない。だが、死にゆく主人から嫡男を託されて、ともに討ち死にするという美意識も矜持も吹き飛んだ。浅井家再興がなるまで万福丸を守り抜く。菊千代と改名させた万福丸を弟に仕立てて、小谷城脱出を決行する与一郎。供は、元山賊の頭目・武原弁造ただ一人。天正元年(一五七三)旧暦八月二十八日未明、三人は敦賀に向けて出立した。ベストセラー「三河雑兵心得」シリーズの姉妹篇、いよいよ始動! 目指すは第六天魔王・信長の首! いざ、出陣!

──『姉川忠義 北近江合戦心得〈一〉』担当者より

姉川忠義 北近江合戦心得〈一〉

『姉川忠義 北近江合戦心得〈一〉』
井原忠政

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