◎編集者コラム◎ 『負けくらべ』志水辰夫

◎編集者コラム◎

『負けくらべ』志水辰夫


『負けくらべ』写真1
著者近影。庭に植えた柑橘類は実を着けるにはちと早い、とか。

 冒険小説ファンの親睦団体「日本冒険小説協会」が発足して2年後の1983年、森詠さんの提唱で「日本冒険作家クラブ」が産声をあげた。発足人に名を連ねたのは船戸与一、北方謙三、大沢在昌さんら13人。日本の小説界に新しい分野を開拓した功績は目を瞠るものがある。本作品の推薦文に名を連ねる北方、大沢両氏並びに同クラブの代表幹事を務めた今野敏氏はもちろん、佐々木譲、夢枕獏、馳星周各氏のその後の目覚ましい活躍を見れば、まさに綺羅、星のごとし。

 作者の志水辰夫さんもその中核メンバーの一人として、二つの特筆すべき作品を残した。『背いて故郷』(85年第4回日本冒険小説協会大賞&第39回日本推理作家協会賞長編部門同時受賞)と『行きずりの街』(90年第9回日本冒険小説協会大賞)である。とりわけ、『行きずりの街』は92年度「このミステリーがすごい!」第1位を獲得、その後、文庫化され、大ベストセラーとなった。

 だが、2005年10月、作者は長編『うしろ姿』のあとがきの末尾に「この手の小説はこれが最後になります。」と書いて以来、時代小説に舵を切る。生憎、その心境の変化を推し量る術は持ち合わせていないが、ともかく、抑制の効いた、それでいて抒情あふれるシミタツ節は愛読者の前から消えていったのである。

 それがどうだ。あれから幾星霜、伝説のシミタツ節が戻ってきた! しかも、いささかの老いも衰えも見せずに。冒険小説の最大の応援者だった故内藤陳さんなら、きっとこう叫ぶだろう。「これを読まずに死ねるか!」と。

『負けくらべ』写真2
昨年はたわわに実り、著者の胃袋に収まったそうな。写真手前から右奥に向かって、土佐文旦、甘夏、小夏。著者曰く、「あたしゃ、食えない花には全然興味がない」。

 本作は三題噺である。主人公は60歳を過ぎた介護士・三谷孝。それなりの苦労人だが、三谷には常人にはない才能があった。人の警戒心を解く力は比類がない。誰もが匙を投げた認知症患者が心を開いた。さらに、GPS無用の空間認識力、カメラアイともいうべき記憶力に秀でた三谷は、内閣情報調査室にも協力を懇請されるいわば、ギフテッドだったのだ。

 その三谷と偶然知り合ったのが、ハーバード大卒のIT起業家、大河内牟禮。IQ135の天才だが、その大河内が三谷に心惹かれたのは、三谷の持つ才能・ギフテッドが自分とは別ものだと直感したからだ。

 その大河内には、複雑な家族関係があった。大河内の母鈴子の尾上一族は材木商で財を成し、一時は没落したものの、鈴子はそれを東輝グループという大企業に成長させた立役者だ。鈴子の叔父・深浦泰河は満州浪人で、その息子で鈴子の従弟にあたる深浦希海は、北京大学を出て周恩来とも親しい。いわば、鈴子の懐刀だ。東輝グループの今日あるは、どうやら日中戦争時代の満州事情が絡んでいるらしい。

 ギフテッドの介護士、IT起業家、複雑な家族のしがらみと満州の影を引きずる一大グループ企業を牛耳る老女。さあ、作者はこのお題からどんな物語を展開して見せたのか。

 物語の発端、人物の設定、複雑な家族関係、避けられない老いと介護という日常事から冒険活劇へとつづくストーリーの展開は、これぞ冒険小説の王道ともいうべきものだ。しかし、これは作者の癖、あるいは持ち味というべきことかもしれないが、敢えて書かなかったことがあるのではないか。三谷孝と、作中に名前も記されなかったその母がどんな人生を送ってきたのか。それは鈴子と尾上一族にも共通する、満州政策に端を発する日本帝国の崩壊が、三谷いや作者に与えた人生のなんたるかを物語るような気がしてならない。作者は本作で書かれなかったことをテーマにして次回作を考えているのではないか。なんとも不思議な冒険小説でもあるのだ。

 こんな思いを抱いたのは、本書の解説原稿を拝読したからに違いない。佐々木譲さんの解説は、この文庫の画竜点睛というべきものである。志水辰夫という作家の目に見えるところを書きながら、背後に隠れた本性のようなものを読者に提示してくれる。まさに小説と解説がふたつ合わさって、一冊の文庫がある。

 さてさて、90年代に作者が読者を魅了した冒険エンターテインメントが現代に甦ったらどうなるのか。陳さんの決め台詞を再び読者に申し上げたい。

「これを読まずに死ねるか!」

──『負けくらべ』担当者より

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