中濵ひびき『アップルと月の光とテイラーの選択』
わたしはいまでも日本語を上手に話すことができません。イギリス人の友達と一緒にいるときは、日本語を使ってはいけないと言われていたからです。ママが言うには、「もし日本語で話したら、相手はわたしの言ってることがわからないし、いやな気分になるでしょ。狭い世界に生きていたって、仕方ないじゃない」ということです。
そんなわけで、わたしはある意味、日本語を失うことになりました。でも、気にしていません。小さいころ、わたしが初めて使った英語の言葉は「ストロベリー」だったと、友達のパリスのママが教えてくれました。
イギリスでは女性が仕事を持つのは当たり前のことです。シングルマザーは自分の子どものミルク代をしっかり稼ぎます。ソーシャルワーカーは担当地区の子どもたちを見守ります。親が子どもを虐待していたら、ソーシャルサービスが子どもを保護します。子どもは社会で大切にすべき存在だと認識されているのです。医療費は無料です。
わたしは日本に帰国して、イギリスとのちがいにびっくりしました。
何よりも、狭い島国なのに、いじめが横行しているのに驚きました。
テイラーは自分の見た夢を覚えていません。でも、わたしはこの本を読んでくれるみなさんに、彼女の見た夢を知ってほしいのです。世界にはさまざまな人種が存在します。性別、地位や階級、宗教、健康状態……あらゆることにちがいがあります。
大人や子ども、才能やハンディキャップの有無など、無数のちがいがあるのです。自分とはちがう人を受け入れるのは大変なことです。でも、イギリス人は少なくともそうしようとしていました。イギリスでそうだったように、どんな人でも受け入れられるべきだと思います。
ママは帰国後に、わたしたちを養うために契約社員になり、そこでつらい思いをしました。契約社員と正社員とのあいだには大きな格差があり、フリーランスとして働けるのは、ひと握りの才能ある人だけです。
外国人と日本人。男性と女性。それだけでなく、この国は、もっとたくさんの「他者」を受け入れなければいけません。それが、ほんとうの「多様性(ダイバーシティ)」なのです──東京のお台場にあるショッピングモールではなく。そういうこともお伝えしたかったのです。
この作品では、愛の本質についても取り上げたいと思いました。
わたしは特定の宗教を信じていません。以前は、キリスト教の聖書を教科書のように読んでいましたが、つらいことばかりが続いて(いまでも続いています)、試練を受けるのはもうこりごりだと思うようになりました──聖書から知ったことのおかげで、何度も荒波を乗り切ることができたのはたしかですが。生きていくためには、強い身体と安定した心が必要です。だからわたしは中学校で陸上部に入りました。
小学校時代とくらべると、いまはずいぶんましになりました。何にかかわるべきかをきちんと判断して、やっかいごとには近寄らずにいられるようになったからです。いちばん大切なのは、他人を愛するのを忘れないようにすることです。人間だけでなく、動物や植物、地球そのものに敬意をもつことが大切です。
他人とつながるには、調和(ハーモニー)が欠かせません(国際宇宙ステーションの第二結合部、「ハーモニー」のように)。どれだけ許したか、どれだけ愛したか。それが、どれだけ学んだかということです。そういうことは、どこかに記録すべきです。信心深い人はそれを「聖典の教え」だとか、「天国への扉」と呼ぶのでしょう。わたしの夢のなかに現れたテイラーのお父さんが教えてくれました。わたしはその言葉を書きとめて、小説に記録として残しました。
わたしは祖父母を亡くしています。ふたりを看取るのはほんとうにつらく、わたしの人生のなかでいちばん悲しい出来事でした。
ふたりとも亡くなったのは夜でした。月がわたしたちを見下ろしていました。亡くなった人は次の朝日が昇るのをもう目にすることはありません。祖父が亡くなったのは、オレンジがかった赤色をした満月の晩でした。
祖母が亡くなったのは夏の夜で、病室の窓から大きな花火が上がるのが見えました。ふたりがこの世を去って、とてもさみしいです。でも、わたしはなんとなく来世があると信じています。来世というと、魂そのものが生まれ変わるように思われていますが、わたしは、魂の本質がばらばらになって、宇宙に拡散するのではないかと思います。ふたりはいま、愛と慈しみをもってわたしたち家族を見守り、わたしたちの人生がよい方向に進むよう、導いてくれています。