鬼田隆治『対極』
みっともなくても生きてみるか
高校生の頃、中学生時代にほとんどの作品を読破していた、北方謙三氏をお見かけしたことがあります。お金がなく、友人と二人で青山界隈をぶらぶらしていた時、一台のオープンカーがすぐ横を通り過ぎていきました。意外にも、「あっ、北方謙三じゃん」と気付いたのは、私ではなく、小説を読まない友人の方でした。私がファンだったことを知っていたので、駆け出し、追いかけてくれましたが、間に合いませんでした。おそらくマセラティだと思われる車を運転されていた氏のお姿は、作品に出てくる登場人物、どこか薄汚れた気配をまとい、のたうち、必死にたたかう──そういった印象とは異なり、とても優雅なものでした。成人してからも、たびたび足を運んでいる有隣堂で、氏のサインが飾られているのを見たことがありました。
第二回警察小説大賞を受賞し、かつて憧れていた方がご活躍する世界の片隅に立つことができました。生意気にも遅すぎるぐらいだという自負と、矛盾する不安、そして現実味を伴わない不思議な気持ちとが、交錯しております。
受賞作に関しましては、相反する環境と信念をバックグラウンドに持つ二人を中心に据える構図を、真っ先に決めました。正邪の区別なく、世の中の様々な状況を正反対の二人を通して描写したいと思ったからです。取り上げるべき中心的な社会問題に関しましては、これまで小説で取り上げられたことがないと思われるものに焦点を合わせました。
小説を読むことで人生の問題をすべて解決することは無理かもしれません。しかし、思考と行動に影響を与える力は確実にあります。全てを破壊したい、暴れたい、強盗でも働いてやるか──そんな怒りに囚われた時、私なら敬愛する髙村薫氏の『黄金を抱いて翔べ』を読みます。すると、カタルシスが生じ、みっともなくても生きてみるかと、勇気が湧いてきます。
『対極』も、鬱屈した思いを昇華させる力が宿るようにとの思いを込め、書き上げました。よろしくお願いいたします。