ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第8回
前回、プロアマ問わず、漫画などの創作をする者にとって「読んでいるヤツがいる」というのは大きなモチベーションであり、感想があればなお良い、と言った。
特に肯定的感想は、漫画家にとってはシャブみたいなものであり、これさえあればアイディアが次から次へと「降りて」きて、不眠不休で書き続けられる上、何といっても合法だ。
つまり好きな漫画の作者がクスリで捕まって打ち切りになった上、販売停止とかになりたくなかったら、作家が違法薬物なんかに手を出さないように、感想という名のシャブ漬けにしてやった方が良い。
そのぐらい、読まれることと、それに何か一言言ってもらうことは大事なのだ。
だが正直「目の前で読まれるのはキツい」
そもそも、漫画を描き、あまつさえそれを人に見せる、というのは恥ずかしい行為なのである。
想像や空想をしたことがない、という人間はおそらくいないだろう。
空想というのは、荒唐無稽なのはもちろん、倫理観が欠如していることもあるし、人に知られたら自害する他ない恥ずかしい妄想の場合も大いにある。
しかしそれを行う「脳内」が一生他人が立ち入ることのない前人未踏の秘境かつ、何をしても罪に問われることがない、地上唯一の治外法権地帯であるため、人は安心して「AKBに総選挙順に告られる」みたいなことを考えられるのである。
そんな安全地帯を生まれながらに与えられているにもかかわらず、何故かその空想をわざわざ絵や文章に書き起こし、何をトチくるったか「他人にも見せよう」と考えるクレイジーゴナクレイジーこそが、漫画家を含む、創作物を世の中に発表している人間なのである。
恥部を自ら他人に晒す、という意味では露出狂と同カテゴリなのだ。
露出狂との違いは、素材のままではとても出せない妄想を、他人から見ても面白く感じられるように料理して出しているという点だ。
つまり露出狂で言えば、見た人間に「クール」と言われるように局部をおめかししてから出す、ということである。
事実「俺の家の前に乃木坂が列をなして待っている」みたいな「ないわ」という設定の漫画は山ほどあり、それがちゃんと面白い話として成立しているのである。
逆に言えば、誰もが寝る前に考えるクソみたいな悪い夢をエンタメに昇華できるのがプロなのかもしれない。