風 カオルさん『漫画ひりひり』

目指しているものに向かい、走っている人たちを書きたいと思っています。

 ラジオの投稿職人の高校生の成長を描いた『ハガキ職人タカギ!』でデビューした風カオルさん。ハイレベルなネタ合戦シーンなど、通のお笑いファンからも高く評価されました。第2作『ラーメンにシャンデリア』も好評で、ユーモアあふれる設定とたしかなストーリーテリングで読者を引きこむ、青春小説の新たな書き手として期待されています。
 最新作『漫画ひりひり』は、平成元年のマンガ家志望の少年たちの物語。大分を舞台に"平成のトキワ荘"のドラマが繰り広げられる本作は、主人公たちと同じようにマンガ家志望だった風さんのさまざまな思いが込められているそうです。実体験をはじめ、詳しくお聞きしました。

風 カオルさん『漫画ひりひり』

次はないという気持ちでいつも書いている

きらら……新作『漫画ひりひり』は、マンガ家を目指してデザイン学校に通う主人公・細川と友人たちの物語です。構想は前から練られていたのですか?

……マンガの話はいつか書くだろうと、漠然と思っていました。私自身、小さい頃からマンガ家になるのが夢でした。細川くんと同じ、少年ギャグマンガを描いていました。投稿もしていましたが、残念ながら結果は出ませんでした。
小説家になったいまでも、マンガは私には特別なテーマです。3作目で、もう挑むの? と言われるかもしれませんが、いつも「次はない」という気持ちで書いています。
立場的にもキャリア的にも、出し惜しみをしている場合じゃないんです。これだけは絶対に書いておきたい! というものをデビュー以来、書いています。今回も正面から、大好きなマンガの話を書こうと決めました。

きらら……細川たちと、かつてのご自身がリンクする部分もあるのですね。

……そうかもしれないですね。私も細川くんとタイプが似ていて、絵が得意ではありませんでした。絵が下手というより、私はコマ割りとか構図の取り方など、マンガそのものが下手だったんだろうと思います。
下手なりに、少年誌の新人賞へ応募したり、何作もマンガを描きあげました。その経験値は無駄ではなかったです。カメラアングルの工夫など、小説に活かせる技術は身につきました。でも基本的には、小説とマンガはまったく別物。マンガを書くときの方法論は、小説の執筆には、あまり役立たないんです。両方やってみた立場だから、わかります。同じ物語づくりなのに、不思議なものですね。

きらら……技術レベルの低い細川に対して、絵が上手いのに遊びを優先したい黒田、すでに新人賞デビューしている天才肌の宇治山と、友人たちのまるで違う個性が際だっています。

……仲間3人組の構成は、少年マンガの王道です。プロットで登場人物を振り分けていくときに、3人のキャラクターは、ぽんぽんと決まっていきました。主人公は平凡で努力家、ひとりは遊び好き、残りひとりは才能に恵まれているという。性格も考え方も違う彼らが、同じ夢を追っていくうちに、夢を叶えられる側と叶えられない側に分かれていく、マンガ家志望者のリアルな部分を書きたいと思いました。
努力と才能があれば必ず夢は叶う、という話にはしたくありませんでした。努力と才能だけではない、プロになるための必要なものは何だろう。その答えを私なりに考えて、細川くんたちに託した気持ちです。

きらら……前半の展開では細川がマンガ家になれるのか、途中で諦めるのか、どちらになるのかわかりませんでした。

……なんせ絵が下手ですからね。けれど彼に足りないのは画力ではありません。絵が上手いにこしたことはないのですが、マンガに必要な線が引けていれば、読者に届きます。上手下手じゃないんです。残念ながら私には、その線は引けませんでした。
シンプルに言うと、魂です。小さい頃からマンガ好きな私がそうであるように、読者は絵の上手い作品ではなく、魂がこもった作品を求めています。細川くんがどのようにして魂を獲得していくのか、模索しながら執筆を進めました。

少年マンガのエポックだった年を再現

きらら……物語の始まりは1989年(平成元年)です。風さんの世代より、少し前の時代の話にしようと思われたのは、なぜですか?

……1989年は、私は小学3年生ぐらいでした。いわゆるマンガ少女の年齢ではありませんでしたが、後になって振り返ると、平成元年はマンガ史的にはエポックな年だったのです。
まず手塚治虫が亡くなりました。マンガの神様が旅立った年にマンガ家を目指し始めた少年たちの、何かしら運命的な世界を書きたくて、1989年を始まりにしました。
手塚の逝去と前後して、マンガはつまらなくなったという論評が出始めていました。でも『ドラゴンボール』は大人気でしたし、『寄生獣』『ベルセルク』『SLAM DUNK(スラムダンク)』『幽☆遊☆白書』など、名作の連載が始まる直前でした。実は革命的な、すごい時代なんです。少年マンガのスタイルが大きく変わる、この時代の空気感も、表現したいと思いました。

きらら……雲形定規やカラス口など、昭和からのマンガファンには郷愁をくすぐられる道具が出てきます。

……細川くんが初めて、Gペンのペン先をインク瓶に入れて最初の線を失敗するエピソードなどは、私の実体験です。作中に出てくるアナログ作画の道具のほとんどは、いまの若い読者はわからないかもしれませんね。現在はデジタルでの製作環境が主流になっています。ネットでの発信も手軽になって、持ちこみや投稿しなくても、プロになれる作家も増えてきました。
30年でツールや環境は変わりましたが、マンガを描くうえでの大事な本質は変わっていないと思います。さっきも言ったように、魂を線に、いかにして込めていくかが肝心です。不変的で古びない、現代にも通じる若者たちの成長物語として、書いていきました。

勝者には勝者の苦悩がつきまとう

きらら……物語の後半、ある女子が、本気でマンガ家を目指す男とは付き合えないと言います。「もしデビューしたら嫉妬でおかしくなる」からと。あのシーンは痛切でした。

……彼女もかつてはマンガを描いていて、すべて新人賞の努力賞止まりでした。自分はもう夢を諦めてはいるけれど、例えば恋人がマンガ家として成功したとして、素直にお祝いできるわけがないんです。マンガを応募作の形まで完成させるのって、ものすごく大変。そのハードルを、多くの人は越えられません。「もしデビューしたら嫉妬でおかしくなる」は、マンガを完成させる作業を、何回も乗り越えた人にしか言えない、本心のセリフでしょう。
宇治山くんは仲間たちのなかで最も早く、マンガ連載デビューを勝ち取り、すぐに人気作家になっていきます。彼も同年代の仲間たちの間では、すごい妬みの対象だったはずです。ただ、細川くんは妬みまでいかない、というのが正直なところだったと思います。圧倒的な才能の差を、身近な友だちに見せつけられて、羨ましいとかじゃなく、自分はどうするべきか? を深く考えるようになります。

風カオルさん

きらら……宇治山の苦悩も描かれています。描くだけの日々で、一般社会人としての普通の生活ができないと嘆きます。

……勝った者には勝った者の苦悩が、必ずつきまといます。結局、本当の勝利って、何だろう? と思います。マンガ家になる夢に限らず、人生全体がそうですよね。お金や実績や肩書きで、勝敗のつけられるものではない。おそらく細川くんの場合は、宇治山くんのような成功が勝利だと解釈していたと思うのですが、後に必ずしもそうではないと理解しました。
仲間がマンガの道から脱落していったり、寂しい思いもします。そんななか深く悩みぬき、あるきっかけを経て、自分がマンガで描くべきものを見つけました。彼自身のなかに、正解はあったのです。
才能あふれる天才が活躍する世界で生きていくには、自分と向き合うしかない。そこに気づいたとき、細川くんは彼なりに勝利できたのかもしれません。

目指しているものに 向かっている人を描きたい

きらら……『漫画ひりひり』は、トキワ荘物語風なノスタルジックな物語でもありますが、風さんが描こうとされているのは、ノスタルジーではないのだろうと感じます。

……その通りですね。私がデビュー作から一貫して書きたいのは、何かを目指す人の姿です。努力したその結果、何者かになれるかどうかは別にして、とにかく目指しているものに向かい、走っている人たちを書きたいと思っています。
走っていれば、多少の勝敗は決まっていくでしょう。でも、たとえ勝てたとしても強くなれるわけではない。何かを目指して走っている人は、本気であればあるほど、弱さを抱えています。人はそう簡単には強くなれない。いつだって打たれ弱いんだよ、というメッセージは、どの小説にも残しておきたいです。

きらら……夢を叶えるための説教くさい話ではなく、エンターテイメントとして、夢を追う人たちの実像が爽やかに描かれています。

……ありがとうございます。説教って、ひとつの視点の話を述べるだけなんですけど、小説は「こういう面もあるよね?」と、別の視点の話も書いておかないといけないと考えています。『漫画ひりひり』で言えば、夢を叶えて成功した人、夢を諦めて別の道へ行った人、いくつものパターンの進路を提示しています。そうしないと挫折した人は負け、挑戦するだけ無駄だったという、説教じみた話になりかねません。
両論をきちんと書くよう、戒めています。私自身が読みたい話が、そういう物語なので、これからも心に留めておきたいです。

きらら……風さんはマンガではなく、小説で書くべきものを見つけられたのでしょうか?

……まだ全然ですね。小説家として大まかな方針は決めたけれど、書くものに関しては五里霧中の段階です。細川くんと同じぐらい、私も苦労しながら、書いていくしかないんだと覚悟しています。
まずは次回作につなげられるよう、『漫画ひりひり』の売り上げを伸ばしたいです。そのためにやれることは、何でもしたいですね。まずは神社で御神籤を引かないとか、運を無駄使いしないように気をつけています。

漫画ひりひり

風 カオル(かぜ・かおる)
1981年大分県生まれ。短大卒業後、県の臨時職員、古書店、100円ショップアルバイトなど様々な職を経験しながら小説を執筆。2014年に第15回小学館文庫小説賞を受賞。受賞作『ハガキ職人タカギ!』でデビュー。大分を拠点に作家活動を続ける。他の著書に『ラーメンにシャンデリア』。

(構成/浅野智哉 撮影/浅野 剛)
〈「きらら」2019年4月号掲載〉
ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第8回
「平成のベストセラー」を出来事とともに振り返ろう!<前編>