滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第4話 運転手付きの車③

滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第4話 運転手付きの車

どこからどう見ても、ちゃらんぽらんで
胡散臭く見えるハーヴェイ。
綾音さんにはまったく違って見えるようで――。


 綾音さんは、グリーンカード更新のための面接を受けに、去年の夏の終わりにまたアメリカにやって来た。

 が、「3か月ほどジャネットのアパートに居候する予定でアメリカに着いた」という知らせを受けてから1週間後に、「あさってニューヨークから日本に帰ることになった」と綾音さんから電話がかかってきた。「今から最終のバスに乗って行くから、2晩、泊まらせて」

 なんでも、ハーヴェイに「今から旅行に出かけるから荷物をまとめるように」といきなり言いわたされ、ジャネットも含めて3人でデラウェアのホテルで1泊したあと、そのままホテルに置き去りにされたのだと言う。

 そして、それから予期もしなかった運命がわたしを待ち構えていた。綾音さんは、岩でも詰め込んだように重い、最大サイズのスーツケースと大小合わせて8つのバッグを持って現れた。荷物だけでうちの廊下が埋まってしまった。スーツケースの中には、3か月の長丁場に備え、キビ砂糖や玄米や圧力釜まで入っており、秋物の服も用意してあった。

 綾音さんを長いことあずかって初めて、ハーヴェイとジャネットが綾音さんをデラウェアに置き去りにした理由を直(じか)に知ることになった。ジャネットも毎年数か月居候されて、いろいろ大変なこともあったろう。屈託のないお嬢さまの綾音さんは、午後2時、3時まで寝ていて、こちらは寝具の上げ下ろしに始まって生活全般に寄りかかられ、いつの間にか綾音さんの小間使いになって、あれこれと世話でエネルギーの大半を使わなければならなくなるのだった。

 2晩だけのはずが、綾音さんが帰国する日は、毎日1日分ずつずれていった。パソコンがフリーズし続けて、今日は予約できなかった、とか、グリーンカードの面接日がまだわからないから予約できない、とか、旅行会社の閉店時間を知らなくて予約しそこなった、とか、毎日毎日、帰国便の予約を入れられない、いろんな理由があった。ある日は、街角で大人用の電動キックスケーターを見かけたことで予約しそこなったこともあった。コンパクトで移動手段にいいと思ったので、乗っている人に話しかけて、売っている店を教えてもらい、遠かったけれど、行ってみて店員にいろいろ尋ねているうちに夜になってしまった、というわけだった。それらはみんな、こじつけとしか思えない理由だった。どうやら綾音さんには、帰国便を予約する気持ちがないらしかった。

 綾音さんには、帰国便を予約したくない理由があったのだ。何日かたってから、「綾音がお金がなくて困っているみたいだって、ハーヴェイとジャネットに電話をかけて言ってちょうだい」と頼まれて、やっとわかった。連日、ハーヴェイに電話をかけて飛行機代を請求していたのだけれど、らちが明かなくなり、そこでわたしにも働きかけるよう泣きついてきたのだった。なんでも、ハーヴェイは、綾音さんの飛行機代ぐらい払ってやると大きいことを言ったのだと言う。

 見栄(みえ)っ張りのハーヴェイだから口から出まかせを言っただけだということぐらい、長い付き合いだからわかってよさそうなものだし、そもそも、親から引き継いだ財産で生活していける綾音さんの飛行機代を、余裕のないハーヴェイが払う筋合いなんかないと思うのだけれど、今まで親に養ってもらってきて、ちょこちょこやったバイト以外はまともに働いたことがない綾音さんだから、つい人頼みになるのかもしれない。そんな、ちゃっかりしているというか、したたかな綾音さんに、このところハーヴェイも愛想が尽きたらしく、よく「綾音はパラサイトだ」とこぼしているから、綾音さんも気づいてよさそうなのだけれど、激高したハーヴェイにミミズ腫れの引っかき傷を負わせられたり、デラウェアに置いてきぼりにされながら、綾音さんは一向に気づかない。というより、気づきたくないのかもしれない。

(つづく)
次記事

前記事

桐江キミコ(きりえ・きみこ)

米国ニューヨーク在住。上智大学卒業後、イエール大学・コロンビア大学の各大学院で学ぶ。著書に、小説集『お月さん』(小学館文庫)、エッセイ集『おしりのまつげ』(リトルモア)などがある。現在は、百年前に北米に移民した親戚と出会ったことから、日系人の本を執筆中。

◎編集者コラム◎ 『遙かなる城沼』安住洋子
芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第59回】心の奥底に雨が降る