秋谷りんこ『いのちのカルテ 潜入心理師・月野ゆん』

秋谷りんこ『いのちのカルテ 潜入心理師・月野ゆん』

支える人も、ひとりじゃない


 このたび『いのちのカルテ 潜入心理師・月野ゆん』を刊行することができました。ありがとうございます。前作に引き続き、人の記憶の中に直接潜入し、「死にたい気持ち」の解消に取り組む架空の専門職「潜入心理師」が活躍する物語です。

 私は13年間、精神科病棟で看護師として働いてきました。

 精神科の患者さんは、さまざまな症状を抱えています。なかでも最も厄介なのが「死にたい気持ち」、すなわち希死念慮でした。

 希死念慮を訴える患者さんには、心から寄り添い、「あなたはひとりじゃない」と伝えることが大切だと考えています。

 けれど、ケアする側も人間です。そこには、葛藤が生まれることもあります。

 私が新人の頃、ある若い女性の患者さんがいました。

「生きているのがつらい。死にたい」

 そう訴える彼女の言葉を、できる限り傾聴し、共感し、寄り添おうと決めていました。けれど、少しずつ自分の中に変化が起きていきました。

 患者さんは、「両親が離婚して悲しい」と話してくれました。私はその話を、もっと聞いてあげたいと思う一方で、もう聞きたくないという気持ちも同時に持ちました。

 私の両親も離婚していたからです。

「うちの親も離婚しているけれど、私は働いている」

 そんな感情が芽生えてしまったのです。

 先輩たちに相談するなかで、患者さんの生い立ちと自分を重ね、自他の境界が曖昧になっていたのだとわかりました。客観的に捉えることができず、治療者としての適切な距離が取れていないことにも気付きました。けれど、ひとりではわかりませんでした。

 こうしたケアする側の葛藤は、なかなか口に出しにくいものと言われています。

「看護師なんだから、患者さんに寄り添うのは当たり前」

 たしかに、その通りです。でも、ケアする側にも感情があり、迷いがあり、葛藤があります。そのうえでなお、患者さんの力になりたいと願っている──。

 そんな思いを込めて、今作では新人・綾川を登場させました。綾川の揺れる気持ちに、月野は振り回され、ともに悩み葛藤していきます。ふたりの成長を、あたたかく見守っていただけたら幸いです。

 そして、身近に精神疾患を持つ人がいる方へ。ときに葛藤や不快な感情を抱いてしまうこともあるでしょう。それは自然なことで決して悪いことではありません。「こんなことを考えてはいけない」と押し殺さず、周囲の人に相談してください。

 支える側も、ひとりではないのです。

  


秋谷りんこ(あきや・りんこ)
1980年生まれ。神奈川県出身。横浜市立大学看護短期大学部(現・医学部看護学科)卒業後、看護師として十年以上病棟勤務。2023年、「ナースの卯月に視えるもの」が note 主催の「創作大賞2023」で「別冊文藝春秋賞」を受賞し、翌年同作でデビューした。他の著書に『桃井ナースがお邪魔します』『人生最高ごはん』などがある。

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いのちのカルテ 潜入心理師・月野ゆん

『いのちのカルテ 潜入心理師・月野ゆん
著/秋谷りんこ

◎編集者コラム◎ 『傘のさし方がわからない』岸田奈美
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